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けもフレとプリリズRL+キンプリの根底にある愛の本質

おはよう、しゃしゃ。
けもフレ2が終わって1か月ほどが経った。

けもフレ1期と2期の比較からの考察動画が大変勉強になるよ。

ところで先日からアニメキンプリこと、
「KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-」が始まった。

アニメキンプリに合わせて元となった作品、
プリティーリズム・レインボーライブ一挙放送をしていた。

一挙放送を見るからこそ新しい発見もあるし、
改めて24話で胸が締め付けられてハラハラさせられる……

さて、けもフレの「愛」に関する考察動画を見た。

愛を通してクリエイターやビジネスマンとして、
「愛の本質」についてともに見ていきたいと考えた。

人はどんな愛を求めているのか?
わかれば作品作りのヒントにつながるだろう。

 

けもフレ1期と2期の「愛の違い」

上記動画を見てほしい。愛の比較について述べている。

  • ケムリクサでは男女愛と恋と敬意
  • けもフレ1期は友情や相棒に加え監督たちの愛情

けもフレ1期の凄さについて解説した上記以外の動画を見ると、
登場動物の利点や特徴、性格など情報をきちんとつかんだうえで、
物語の中でどうやって活用できるのか?

ただ特徴を出すのでなく、
「この特徴がある」から「どんな意味や物語」が生まれるのか?

セールスでいうと、すべての商品には意味がある。

意味とは物語であり「これがあるから、こんなドラマが生まれる」と、
素晴らしい物語を生み出すチャンスとなる。

2期はなぜ炎上し不快感しか抱かなかったのか。
どうして私たちは2期を見て「愛」を感じなかったのか?

2期スタッフが1期監督のたつきさんに向けて、
憎しみと市場と功績すべてを奪い屈辱を与えたかったという考察があった。

ツイッターで2期スタッフのたつき監督に対する激しい罵倒を見ると納得できる。

もう一つは動画で指摘している関係性だ。
けもフレ1期は横の関係で、2期は縦の関係だ。

縦の関係とは主人公なしではいられない状況にし、
主人公キュルルから寵愛を受けるか否か

愛するかどうかはすべてキュルルが決めて、
けもフレ(脇役)に権限と決定を与えられていない

だから横(脇役同士)の関係がギスギスしていた。
縦(主人公と脇役の愛)が重要であって、脇同士の愛ではないから。

1期では主人公(かばんちゃん)とけもフレの愛もだけど、
脇役同士の愛と友情を描き、主人公が脇に徹する展開があった。

主人公にはっきり焦点を定めたい展開が、
2期スタッフには嫌だったのではないかと、動画主は考えている。

主人公がいても「あまりいなくても」、
脇役が一人の主人公として物語を成立させる。

脇役同士の関係性と信頼が成り立っているから。

関係性および信頼が少し崩れそうなところを補強するのが、
主人公の見せ場であり役目
でもある。

だから目立たなくてもきちんと仕事をすれば、
視聴者は主人公の凄さを評価してくれる。

2期は主人公が直接大活躍しないと評価されないのではないか?
想いがスタッフにあったと考察動画を通し、私は見ている。

 

プリリズRL+キンプリがなぜ愛されるのか?

プリリズ一挙放送をやっており、改めて見ていた。

プリリズシリーズの出会いはもともと、
オーロラドリーム特番(声優と監督出演)を見たのがきっかけ。

特番から興味を抱き、1話から13話まで一挙放送を見たとき、
朝の4時ごろに終わった番組なのに、寝るのが惜しいほど真剣に見ていた。

「子供向けアニメなのに、なぜ心に突き刺さるのだ!」

オーロラドリームは最初「手抜き描写」が多かった。
(後に手抜きも「すべて伏線かつ意味がある」と分かり、愕然)

脚本はしっかりしている。準主人公りずむが魅せる闇落ち伏線と、
Junさんの迷言という笑いとシリアスのギャップが大きく、最終回まで生で見ていた。

オーロラドリームで一番有名だった話が46話。

今まで準主人公が抱えていた闇落ち伏線を一気に回収した挙句、
正面から闇落ちした彼女の心を主人公らが救った。

菱田監督らの「作品に対する姿勢」を実感したし、
彼らが言う「愛の定義」もなんとなくつかめた。

次作DMFは登場人物が増えすぎたので、
心に突き刺さるエピソードはあまりなかったのだけど……
(韓国は抜きにしてね)

レインボーライブでは主人公のなるを筆頭に、
準主人公(りんねを含むほかの少女)とわき役(男性陣)が、
それぞれ与えられた人生の問題から真正面に取り組み克服した

菱田監督らが作るプリリズシリーズは愛をテーマにしている。
愛は男女間の恋愛、家族間や友達、仲間同士の絆だ。

愛を強くするために作中内で生じた問題に対し、
時には逃げるけれど最後は正面から向き合い、覚悟を持って乗り越える。

レインボーライブの展開を見ると、
準主人公らが抱える問題に対して主人公が支える形で助けている。

一番有名なところだとべるさまがプリズムダイブを行い、
ライブができなくて挫折を味わったとき、
なるがべるに対して正直に思ったことを述べた。

べるさまは親の一存で無理やりプリズムショーと決別させられ。
私たちでいうところの、自分の正直な気持ちから逃げようとした。

仲間(わかなとおとは、ヒロ)の説得によって、べるはついに問題の本質と向き合った。

「自分の素直な気持ちを優先する」心の問題だ。

24話までは「親>自分」だったが、
25話では仲間の正直な気持ちに心を打たれ「親<自分」という心の課題を乗り越えた。

「誰か」や「自分の上部な気持ち」と「自分の本心」における戦い。

プリリズはうわべや他人よりも「本心」との闘いであり、
私たちは「本心」に沿って何かを断ち切る覚悟を示す人物らに、
感動を覚えて、スタッフの本気度と愛を感じるよ。

プリリズからキンプリになっても、

  • 自分の素直な気持ちを優先するか
  • 周りや自分の焦りを優先するか

彼らはそれぞれ形は違えど最後は自分の素直な気持ちを優先させる。

準主人公たちの素直な気持ちを引き出すために、
主人公や脇役が手を差し伸べる形で助言や事件を起こすわけだ。

けもフレとは違いがあるかもしれないけれど、
「自分自身の問題」から逃げずに向き合ったからこそ、
ニコ生アンケートでも評価が高かったとみているよ。

 

女が中心のアニメに男を出すと不快な理由と対策

上記けもフレの愛に関する動画にあった。

けもフレ1期で仮にかばんちゃんが男の子だったら、
百合好きな人に取って不快感を抱く人もいるだろう。

ケムリクサでもわかばが出たとき「こいついらねえ」最初は思ったよ。
男が出ないけもフレ1期を知っているばかりにね。

プリリズも女の子の割合が多いし、キンプリは男の子の割合が多い。

割合が多いところに異性が出てくると、
「登場しなくていいのに」と思ったところはあるのではないか?

異性は同性が生み出す緩い環境を壊す存在であり、
「異分子」としてはじかれても仕方ない。

どうすれば異分子を受け入れられるのか?

レインボーライブを見て思ったよ。

異分子にもきちんと物語があり、省略せずに示す。
笑いもあるけれど涙もあり、タレントでなく人間を描いている

タレントとは個人にまつわる深い問題を示さず、
上っ面な部分だけを見てる行為だ。

例えばプリリズで女性陣より大人気な速水ヒロは、
最初「笑いを誘うクズ野郎」だった。

物語を進めるうちにヒロがなぜくずになったのか?

家庭環境のひどさをきちんと出したうえで、
最後はヒロも挫折を通して正直に生きた

正直に生きるため、偽りをもたらす存在や出来事及び今までの自分と戦い、
偽りがもたらした幸せを自分から壊す覚悟をとり、恐れに負けずに乗り越えた

コウジもヒロとは違う路線で覚悟を持って生きたからこそ、
物語に必要で愛すべきキャラとなった。

カヅキは終始、準主人公(あんわか)に助言を行い、
「かっこいい先輩」キャラを確立した。

カヅキ先輩が女として登場していたら、物語は成り立っていただろうか?
三角関係も一つのテーマとなっているから……

ヒロは女だと絶対にダメなキャラだ。
男だからこそ女とは違う「大きな戦い」ができた。

何より女の部分はべるさんを見ていればいいし。
ヒロさんが女キャラとして出ていたら、べるさんが男キャラとして出ていただろう。

プリリズを見て思う。

そのキャラを男(or女)に設定した場合、女でも成り立つのか?
なぜ男でなければならないのか? 納得できる情報はあるか?

問いかけをしたほうがいいのではないかと、記事を書いて思ったよ。

 

菱田監督が炎上?

菱田監督はツイッターをやっているけれど、
最近「非公開」になってびっくりした。

かなり作品で深い情報を書いているので読んでいたのだが……

原因を調べたところ、ファンのクレームに殴りこんで炎上したのね。

クレームの内容もいととコウジがつきあうのを許さん
怒った人たちに対する怒りの言葉だ。

菱田監督が出演していた動画を見ると、
彼は正直かつ正面突破を好む傾向がある。

私も彼のまっすぐすぎる人柄にほれ込んだ一人だ。

なお炎上についての簡潔な経緯がこちらにあった。
こちらのブログはキンプリ感想がすごくためになるのでお勧め。

参照:まじなめんなよ騒動

参照:愚痴垢への宣戦布告をしたところ

 

愛とは何か?

けもフレ1期2期、プリリズRL+キンプリを通して、
作品を書く場合、絶対に定めるテーマが一つだ。

あなたにとって、愛とは何か?

作品はもちろん、仕事を通して「愛とは何か?」を、
大まかでいいから自分で定義できているだろうか?

私たちが相手や作品を見るとき、
物語を通して「その人が考える愛の本質」を見ている。

例えば薄い本だと徹底的に少女がおっさんらの慰み者になり、
最後はごみ箱に捨てられるがごとく終わる話がある。

いくら作者が「●●ちゃんを愛しているのですよ」とほざいても、
慰み者になって捨てられる結末を読むと、

「この人にとっての愛とは、この子をゴミのごとく扱うこと」

私は思ってしまうよ。
その人にとってはごみ扱いが愛の本質だ。

そっち方面にいくら需要があろうとも、キャラをないがしろにはしたくない……。
(自分も甘い考えだ、冷徹かつ鬼になれない…)

けもフレ2期ではキュルルばかり焦点がいき、
ほかのわき役は一部がどうなっても問題ない姿勢を通して、

「2期スタッフにとっての愛とは、自分さえよければ周りがどうなってもいい」

スタッフらは「そんなの全く考えていないから!」否定しても、
視聴者として「その人が定義する愛の本質」を見るよ。

プリリズは菱田監督らをはじめ、

「愛とはたとえ絶望や挫折および辛い出来事があっても、
少し逃げても最後は必ず向き合い克服した先にある絆」

私は作品を通して彼らなりの愛を感じる。

たつき監督も同じかな。

「最初は助けてもらい、途中から助け合う絆。
相手を守るためなら自分の犠牲をいとわない精神」

「愛」という視点でアニメや小説をはじめ、
ビジネスや株式市場ほかを見渡したとき、しゃしゃにとって「どの愛が一番最高」か?

愛という視点で捉え直してみてはいかがだろう。

 

どの作品にも愛がないのでなく違う愛があるだけ

けもフレ2も愛はある。1期とは違う愛だった。
視聴者の大半は1期の愛を欲していた。

2期の愛を求めていなかった。

しゃしゃにとって、どういった愛が一番心に突き刺さるのか
どんな愛に心を打たれ応援したくなるのか?

自身の過去を振り返ると必ずある。

新たなけもフレ考察動画を通して、
自分は「愛の視点」で物語を描いているか?

愛の定義をきちんと行わないまま、思い付きで書いていないか?

「物語を通し、私があなたに伝えたい愛はこれ!」

これ!の内容は単純に言い表されない。
作品を見ているうちに「なんとなく」感じる気持ちだ。

愛とは生き方でありエネルギーであり力でもあり……様々な形で表現できる。

だからこそ描くときは「愛とは何か」を自分で定義したうえで、
世界観を書いていった方がいいのではないか?

愛に関する考察動画を見て思ったよ。

 

「意味」をつかむうえで役に立つ本

商品にはすべて「意味」がある。
「意味」とは「それがあるからこういう効果がある」という、
物語にとって欠かせない部分だ。

意味をどう物語にするかを示した教材が、加賀田さんのセールス本だ。

本:営業マンは「お願い」するな!

本に書いてある内容を実践した結果、どんな物語が生まれたのか?

体験上、ただ本の内容を書くよりも、
内容を通してどんな出会い(実践含む)や事件が生じたのか?

内容で終わりでなく「次は」どうなるのか?
書いたほうが収益も増えている。

だからこそ「それがどんな物語を生んだのか?」と、
セールスも物語も同じだからぜひ、読んでほしい。

 

日記:やっぱり感動しちゃうよね
キンプラ

インスタグラムにてイラストを上げています。
今回はキンプリの西園寺姉弟。

二次創作において自分はあまり好きじゃありません。
まず元作品に対し、今でも申し訳ない気持ちがあります。

うまく書けなくて申し訳ない、汚してすまないといった気持ちでしょうか。

うまくなくても描きたくなる時は作品を見て、
「描かずにはいられない」感じたときです。

キンプリとプリリズRLは本当に描きたくなる。

感動という言葉があるね。

感動は何も作品を見て泣くだけが感動ではない。

作品を見て記事を書く、誰かに伝える行為も感動の一種だ。
感動といえば涙を流す印象しかないけれどね。

ちょっとまって

けものフレンズに関する考察は元がこちら。

次の感想はこちら

最終回考察はこちら

そしてキンプリ感想はこっち

もう一つキンプリについてこんな記事を書いている。

やっぱ面白いなあ。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。