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けもフレ2の9話炎上よりイエイヌとキュルルのやり取りに見る胸糞悪さ

おはよう、しゃしゃ。
けものフレンズ2が相変わらず炎上している。

9話ではイエイヌとキュルル(ヒト)のやり取りを通し、
ニコニコアンケートで「5:全く良くなかった」が9割を超えた

1期には全く考えられない現象がなぜ起きているのか?
けものフレンズ2の脚本に関し、前に記事を書いた。

今回はキュルルの人柄を通し「胸糞悪さ」視点で見ていきたい。

 

箇条書きで9話の流れを振り返る

初めにキュルルが拉致され、イエイヌと出会う。

イエイヌはヒトの帰りをずっと待っているフレンズであり、
ヒト(キュルル)と出会い大変喜ぶ。

※イエイヌが本当に待っているヒトではないが、
イエイヌにとって「ヒトなら誰でもよく」喜んでいる。

サーバルとカラカルがイエイヌを探し、見つける。

※ここでキュルルを拉致した犯人(フレンズ)と、軽いいざこざをおこす

カラカルがイエイヌと遊ぶキュルルにやきもちを抱く。
カラカルが叱るとキュルルはむっとし、
カラカルと口げんかした後、すねて別れる。

イエイヌが代わりに謝り、
ヒト(キュルル)を守ったサーバルとカラカルにお礼を述べる。

カラカルは悟り、サーバルを連れて自分たちの縄張りへ帰る。
(旅の目的が終わる)

キュルルは一人で落ち込み、気が利くイエイヌはお茶を入れる。

突如、獣の雄たけび(事件発生の起点)が起き、
キュルルはサーバルたちを心配してイエイヌの静止を振り切り、
たった一人で飛び出てしまう。

敵と出会い、イエイヌはキュルルを守るため一人で戦う。

自分たちの住処へ帰ろうとしたサーバルとカラカルが、
キュルルに忘れ物を届けようと戻ったところ、
イエイヌと敵が戦っていたので、二人もくわわり敵を追い払う。

キュルルはサーバルに「大丈夫」と声を掛け、カラカルはイエイヌを気遣う。

イエイヌはキュルルを引き離して「すまなかった」とカラカルに謝り、
一人でほかのヒトが帰ってくるのをただ待つと決断する。

イエイヌはキュルルに「おうちへおかえり」といってほしいと頼む。
キュルルは戸惑う様子もなく「おうちへおかえり」と笑顔でいう。

イエイヌが去り、次の話へ進む

参照:けものフレンズ29話感想

 

よかったところ

イエイヌの理念が一致していた部分はよかった。
ある日、突如いなくなったヒトの帰りをずっと待っている。

イヌの特徴を通し、きちんと物語に落とし込んでいた。

もう一つはカラカルがほかのフレンズにキュルルをとられ、
嫉妬している部分もよかった。キャラクターとして成り立っているからだ。

イエイヌが敵からキュルルを守った後、
カラカルはイエイヌに声を掛け、優しさが見えたよ。

カラカルはかわいいと思ったよ。

 

キュルル=ヒトとイエイヌ=フレンズの対比

9話で最も怒りを抱いた部分が、
ヒトであるキュルルの冷たさをきっちり出したところだ。

イエイヌが敵と戦い苦しんでいるときにキュルルは声を掛けたが、
敵を追い払った後にキュルルはイエイヌをねぎらっていない

感謝すらしていない。

反対にイエイヌは自分が原因で、
キュルルとカラカルがけんかしたのを感じ取り、謝っている。

元からイエイヌと一緒にいたヒト(飼い主)は気遣いができる、
優しくて少し弱い人だったのかなと私は考えているよ。

キュルルは自己中心的でわがままな少年?少女?を出している。

物語を通してだんだん相手を気遣えるような、
精神的成長を遂げる描写がほとんど見られない。

旅をしていたら肉体はもとより、
精神的な意味で大きな気づきや成長を経て何かが変わる。

キュルルには変わる部分がほとんど見られず、
むしろ自分を第一に考えた人間として描写されている。

キュルルの自己中心的な生き方と、
イエイヌの相手を気遣う生き様が対比
として、
うまく表現されているなあと思った。

スタッフ側は狙ってやったのだろうか。

 

胸糞悪い話の作り方

私以外の人が「今回ほど胸糞悪い話はない」述べていた。

胸糞悪い話の作り方として、
けもフレ2期の9話「おうちへおかえり」はためになる。

イエイヌをフレンズでなく「人間」としてみたとき、
温かみのある報われないキャラが、
「報われないどころか冷たくあしらわれて」終わってしまう。

キャラに冷たくあしらわれたというよりは、
脚本家などスタッフ(神様)によってあしらわれた印象が強い。

女性にひどい扱いを行う薄い本でよく見る終わり方だ。

救いのないキャラに救いがあるように見えて、
救いのないまま終わってしまう

イエイヌ自身が「おうちへおかえり」といってくれといったから、
キュルルが迷いなく「おうちへおかえり」言ったのは少しわかるとして、

イエイヌは敵と戦いけがを負ったのに、
キュルルによる戦闘後の気遣いが一切ない

サーバルには気遣っていた部分はいいのだけど、
イエイヌにもっと気遣ってほしかったなあと思った。

かばんちゃん(1期)なら上記のようにしていただろう。

しかもサーバルはただ敵ににらみをきかせただけだ。
イエイヌに比べて特に大きな働きをしていない。

助けてもらったのに対価がないどころか、
「助けてもらって当たり前」と感じている。

キュルルはヒトとして冷たいと感じた。

もしかすると9話はイエイヌの義務を解放させる話にしたかったのかもしれない。

キュルルの一言で、イエイヌが今まで持っていた役割を終え、
「自分の好きなように生きなさい」を伝えたかったのかな?

だけどキュルルの冷たさが目立ってしまい、
イエイヌの義務解放と、私は受け取れなかった。

 

スタッフは何を訴えたいの?

キュルルの対応を通して、物語のコンセプトが見える。

  • 1期は「ヒトとけものフレンズは友達」
  • 2期は「ヒトはけものフレンズよりも上

対等にあらずという関係が見える。

制作スタッフは2期を1期と同じ目線で見てほしいのか?
別物としてみてほしいのか?

私はスタッフでないからわからない。

けものフレンズの趣旨が「報われないフレンズを扱う」物語なら、
生き方として考える良い材料になるだろう。

趣旨は報われないフレンズを扱う物語ではないからこそ、
ただ怒りしかわかないわけだ。

趣旨が「人間の傲慢さ、冷たさ、温かみに隠れたひどさ」を出すなら、
今回の話は十分うまくできているわけだ。

ヒトの醜さを出すなら素晴らしい話だと思うよ。
スタッフは醜さを出す話など望んでいないだろう。

今回の監督、木村さんをはじめ、
プロデューサーの細谷さんのツイートを見ても、
イエイヌが苦しむ様子を喜ぶ書き込みもないしね。

 

話を作る人が気づかない事実

一番まじめに働いた人(イエイヌ)が報われない。
ほんの少しだけ頑張った人(サーバル)がとても報われ、
主人公(キュルル)はまじめに働いた人を冷たく突き放している。

キュルルって冷たいなあ。このままでは余計キュルルが嫌われ、作品全体に大きな傷がつくかも

脚本を書いている時点で、気づかないの?

私も物語を書いているけれど、気づきにくいものだ。
書き手は主観が強く、脚本で描けない部分に対し、
脳内で勝手に感動物語ができあがってしまう。

自分はわかっているけれど、相手にはわからない。

ビジネスマンなら誰もが味わうであろう一つの問題、
実用文の書き方に通じる。

書き手は「いつどこで誰に何があった」かわかる。
だから省略して読み手へ伝えてしまう。

読み手は「こいつは何を伝えたいんだ?」
書き手が省略した「わかっている情報」を共有していないので、
読んでもさっぱりわからないのだ。

昔、私がとても苦しんだ部分だ。

脚本家が物語を書いていく。

すると脚本家の「脳内」で脚本に書かれていない情報を、
勝手に補い「素晴らしい物語」が生まれる。

スタッフらは常に物語(けもフレ2)と接しているので、
脚本家の書いた情報を読んだ際、脳内で状況を勝手に補完する。

だからこそ自分が書いた物語を読むときは、
物語を読むうちに生じる「脳内の勝手な想像力」を無視し、
言葉に書かれた情報だけを読み取らなければならぬ

学生時代、国語の授業で小説読解を学ぶ。
小説は基本、票論文に比べると読みやすいのに間違える。

脳内で勝手に「新しい物語=文中にない展開」を作り、
文中にない展開に沿って設問を読み、答えてしまうからだ。

特に自分が書いた物語ほど強い想像力が生まれ、
脳内で別の展開が始まり、脚本となって生まれる。

だからこそ自分の物語を読み直すときは、
「他人目線」になって冷たく突き放さなければならない

自分で書いた傑作に容赦なく修正を加え戦っていく。

ほめるのは大切だ。自己否定に陥って嫌な気分になるから。
編集者として「もっと面白くする」工夫はより大切だ。

もっと面白くあたたかくするために、
自分が書いた物語を他人が書いた作品と捉え、容赦なくいじるのだ。

書き手と編集者が戦う前に、
傑作を書いた過去の自分と編集する側の今の自分が、
戦っていい作品を作っていかねばならぬ。

今回の話はキュルルの人柄がよく出たいい話だった。
次はどうなるのだろうか(汗

 

イエイヌかわいそう

イエイヌがいた家について、上記ツイートのように指摘している人がいた。

イエイヌ、人から性的な遊びをされていたの?

スタッフはそこまで考えているとは思わない。

「イエイヌがいる家は夫婦が住んでいたんだよ」を示すため、
ダブルベッドとを記号として置いたのだと思っている。

ツイッターを見ている限り、
視聴者がイエイヌを救うつもりで「幸せな結末=if」を描くのを見ると、
イエイヌはキャラとしてしっかり成り立っているね。

仮定だけどイエイヌが報われる絵を見て癒されるよ。

 

これでいいか…が大切なんだよ

記事を更新した後、けものフレンズ2に関する情報を集めたところ、
上記ツイートにあった言葉が勉強になった。

「これでいいか」と軽く見る部分こそ、
実は「キャラの特徴、性格、本質」が現れる重要なコマであると。

イエイヌが敵と戦いキュルルを守ったのち、
サーバルとカラカルが加勢して敵を追い払った後、
キュルルはイエイヌをねぎらう言葉をかけなかった。

スタッフ側からすれば、とりあえず戦いが終わったから、
終わった後のすべき行動を適当に埋めたのかもしれない。

一方でカラカルがイエイヌを気遣っていた。

スタッフ側からすると「カラカルがイエイヌを気遣うから、
キュルルは別にイエイヌのそばへ行く必要がない
」判断したのかもしれぬ。

スタッフからすると「なぜキュルルが冷たいとみられるか?」
作り手側だからこそわかっていないと思う。

私も物語を書いている。
書いた物語をすぐ公式の場で出してしまうと、
後で振り返ったときに「これは…」失敗をやらかす。

執筆中は「まさか読者がこんな反応をするなんて!」思うほど、
自分が書いている展開を客観視できない

一つの事件がおき、解決した。目の前にある仕事が終わった。

頭の中は疲れており混乱状態でもある。

最低3日以上時間をおいてから冷静に読み直していくと、
少しずつ物語の矛盾や不備に気づいていくのだ。

書いているときは気づきにくいものだよ。

だからこそ作品を表へ上げる前に3日ほど作品の中身を忘れ、
試写会や全体像を確認したうえで見ていかねばならぬ。

物語を書く人はぜひ、軽い展開でもいいから書いた後、
一週間ほど時間を置いたのち、物語を印刷して読むといい。

いかに第三者目線で自分の作品を批評できるか?

大手のプロですら難しいのだ。

ちょっとまって

けものフレンズ2に関してはこちらでも書いている。

まだ9話が出る前の感想だ。

こちらはたつき監督でけものフレンズ2と同時期に放送していた、
ケムリクサ11話の展開に対する感想だ。私は感謝と捉えているよ。

最終回を見たときの感想だ。イエイヌは最後に出た。
まさかあんな結末になるとは思わなかったよ。

イエイヌこそ最終話にほかのフレンズと出てきてほしかったものだが……

最終回後、木村監督ツイッター「いいね」が大きく盛り上がった。
たつき監督と木村監督のツイッター比較について軽く論じているよ。

私は木村監督タイプだから対策をとらねばならぬ。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。