おはよう。
すでに本放送で最終回を迎えたアニメ
「うちの師匠はしっぽがない」
私はニコニコで見ており、明日最終回を見る。
現時点で12話が放送されている。
八雲師匠(昭和元禄落語心中)でなく
歌禄師匠が化け狸まめだの落語を見た後
「君は面白い、だが君が面白くちゃダメ」
話が進んだ後、
「僕(歌禄自身)はつまらない人間だけど、僕の中のやつはなかなかに面白い。
次は君の中の人間に会いたい」
述べ、落語以外にも通じる「芸事」のコツを教えてくれた。
歌禄師匠の話と現在に見る「評価経済」の関係を見ていくと、
今後の自分につながるヒントがあるなと気づかされた。
なぜ「君が面白い」は不合格なのか?
※画像切り取りはしっぽな12話より
最初、まめだの落語を見た歌禄師匠は評価を述べた。
まめだは面白い。たくさん笑わせてもらった。
でもまめだの語り方・振舞い・リアクション芸など、
「まめだ自身のふるまい・話し方」が面白いのであり、
「話中に出てくる人物たちの生き方、振舞い」は見えてこなかった。
前話で文狐の師匠文鳥は落語を通し、
文狐は「話の中の当時の世界」に入っていった。
まめだも文狐師匠の芸を通し、話の中に登場人物の一人として入った。
現時点でのまめだは「話の中に登場人物の一人として入れるレベル」でなかった。
ただまめだの話し方や動作が面白かった。
ニコニココメントをいくつか拾っていくと、
- 笑わせると笑われるの違い
- ただ面白いだけなら、噺家として大成できない
- 落語を題材にした一人コントをやっている
- 話者への依存性を高めてしまう
話が進み、まめだが直接歌禄の落語を見たとき、まめだは悟る。
「歌禄は遊女になりきっている」
落語を終えた後、歌禄師匠は述べた。
「次は君の中の人物に会いたい
=聞き手を物語の世界に引き込んでくれ(語り手が目立つと邪魔)」
例えば歌禄師匠、上記動画で女性?を演じている役者は石田彰さんだ。
「石田彰が語っている」見る側が捉えた時点で、役者として失格。
「石田彰の声を借りて、歌禄や女性が語っている」で合格。
自分が目立つのでなく、
自分はあくまでも「架空の存在」を目立たせるための器でしかない。
あかね噺の寿限無にも
※画像はあかね話公式ページから
現在落語漫画としてしっぽな(goodアフタヌーン)の他、
少年ジャンプで「あかね噺」を連載している。
主人公朱音は師匠から「寿限無」をテーマに、
落語大会に出て優勝を勝ち取る展開があった(3-4巻)。
なぜ寿限無を選んだのか。
「寿限無は誰もが知っている名作落語の一つ。
だからこそ話の世界に引き込ませなければならない。
(朱音自身が目立つと、観客を話の世界に引き込められない)」
しぐま師匠は「了見(意味:思案、思いを巡らす)」とのぺていた。
今までの朱音は「話を語る自分」が面白かったのであり、
「話の背景・歴史・その他」について、ほとんど興味がなかった。
兄さんの演目を通し、テーマの歴史をいろいろ調べた結果、
さらに話の本質・面白い箇所・演技への手助けとなった。
実際の映画と同時再生「実際を元にした脳内映画」
※画像はあかね話4巻より
一つのテーマについて深く掘り下げる姿勢……
例えば子供が泣いているシーンをやるとき、
- 「子どもが殴られて泣いている」
- 「親が死んだ事実を理解して泣いている」
同じ泣き方でも意味が異なる。
さらに親が死んだ事実でも「虐待する親」なのか、
「大切に育てた親」なのかでも条件が変わる。
外から見れば「子供が泣いている」事実のみだが、
事実の中にどれだけ前提となる物語が差し込まれているのか。
話者の口から出る語りそして行動から生じる演技を通し、
見ている側の中に一つの物語が浮かび、世界が生まれる。
映画を見ているとき、私たちはモニターを通して実際の映画を見ながら
同時に脳内で再生された脚色された映画を見ている状態だ。
脚色とは「見ている人の自分好み」に加えられた演出であり、
ある人と被る場合もあれば、かぶらない解釈もある。
実際の映画を基に脚色された映画も面白くなる。
実際の映画に違和感や演出の下手さがあると、
脚色された映画も盛り上がりをかけた、つまらない妄想へと変わる。
主人公が面白い状態は、単に役者の素の状態が面白いのであり、
演じている役者の役柄が面白いわけでない。
評価される神様vs評価されない神様
ここから少し話が変わる。
現代は評価経済と分析する人がいる。
評価経済とは「自分が評価されるほど、価値が上がる」状態だ。
多くの人から評価されるほど、経済としての価値も相対的に上がる。
反対に普段どれだけいいことをしても、
周りから評価されないのであれば「いない」のと同じ。
より多くの人から評価されるに「もっと目立って炎上したほうがいい」
アドバイスを送っているインフルエンサー(影響力ある人)もいる。
私がいただく相談の一つに
「インフルエンサーになりたい、どうしたらいい」がある。
一人でも多く評価されるほど、自分の価値が上がる。
価値が上がるとお金もより多く入ってくる。
知名度も上がり、どんどん頼られる人間になる。
うちのTLにライブドアニュース、ヤフーニュース、産経ニュースはちょくちょく流れるけど、朝日新聞はめったに流れてこないな(それこそイーロンが介入する前から)。流れてくるの、トレンドに上がったときくらいだな(今思えば、工作なんだけど) https://t.co/7rNn5jTvSY
— せんけん (@megabi0) December 25, 2022
私自身がインフルエンサーでないのになぜ……困惑は置いといて、
「少しでも影響力があり、芸能人なみのいいね数やリツイートなど、
色々な反応をもらいたい、でも今の自分は全く目立っていない。
どうしたら自分は目立ってもらえるのか」
自分がとにかく目立ち、評価され、注目の的になりたい。
評価経済の波に乗っかるためのノウハウを欲する一方、
誰にも評価されず、ひっそり生きて陰から支えている存在もいる。
ひっそり生きて、陰から支える存在を「目立たぬ神様」と定義しよう。
神様といえばザウスとかスサノオとかアマテラスとか
キリストやムハンマドが言う神様など「名前があって目立つ」存在はいる。
名前のない神様は誰からも定義もされず空気扱いされるが、
「名前がないだけで、存在している」状態を示す。
たいてい私たちは「名前がないものは存在しない」扱いするが、
「ない→ある」に変えていくと「ある・いる」のだから、
「すでにいる」名前のない神様に名前を付けて、新しい視点を得られる。
もちろん「いる」のだから日々自分で条件や定義を付け加えないと、
「ある→ない=忘れ去られる」存在へと変わる。
「目立つ神様=評価経済」が今の流れだからこそ、
「目立たぬ神様」に向かって進んでいくと、生きる意味も変わる。
承認欲求の反対を行くというべきか。
落語で言うと語り手が目立つのでなく、だんだん姿が消えていく。
姿が消える代わりに話者の中の人物が生き生きと動く状態に変わる。
目立たぬ神様をどう自分で定義していくか
※画像は宇崎ちゃんは遊びたい2期12話から
目立つ神様と違って目立たない神様は基本、
自分で定義しない限り「目の前にいるのに存在がない」状態となる。
目立たぬ神様はどこにいるか……今ここを読んでいるあなた自身だ。
私にとっては「私自身」こそが目立たぬ神様で、
あなたにとっては「あなた自身」が目立たぬ神様だ。
「私自身」が目立つのでなく、むしろ「私自身」は陰にいて周りを支える。
陰にいるからこそ表には決して出てこないし、知覚もされない。
守護霊、指導霊みたいな存在だ。
私自身が目立つのでなく、私の中にいる人物(=神様など)を目立たせる。
私は彼らを演じる媒介手段でしかない。
自分の欲望や自己主張を控え、
自分の中にいる何者かの気持ちに沿って、自分を動かしていく。
落語で演者本人が目立つのでなく、
演者の中にいる登場人物が演者の口を借りて、勝手に出てきている状態だ。
名前もない目立たぬ神様に名前を付けてあげると、
「目先でなく本当に求めているモノは何か」が見えてくる。
たいていの場合、本当に見えてくるモノは大金や名誉でなく作品だ。
自分の中にある世界を少しでも形にして、世に残していくと。
結果、物理的に大した成果を得られなくても、
「ああ、内側にためていたものを外に出せた」気持ちよさ、
「今までの考え方ではいられなくなった」新しい価値観が手に入る。
ちなみに私の知人(霊能者)は「宇宙(意識)と連絡を取る」表現していた。
歌禄師匠のアドバイスは現在の自分にも強く突き刺さる内容であり、
突き刺さる本質が何かを追求した結果「見えない神様」にたどり着いた。
まめだについての面白さはこちらでたっぷり語っているので、ぜひ読んでほしい。