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けもフレ2考察内容動画より脚本や物語を煮詰めるヒント

https://twitter.com/takecho1/status/1111942788189282306

おはよう、しゃしゃ。
現在放送中で後最終回だけを残したけものフレンズ2。

前作けものフレンズ1で監督を務めたたつきさんは、
ケムリクサを無事に終えて、たっぷり寝たそうだ。

お疲れ様、すごく震える展開だったよ。

さてけものフレンズ2の放送が進むにつれて、
悪い意味で盛り上がっている。

ニコニコ動画では前作のように考察動画が次々と出ている。
ただ考察部分が物語というよりは脚本や演出なんだよね。

前回も考察動画を通して思ったことを書いた。
前回と被るところがあるかもしれない。

改めて「この部分は物語作りに役立つな」思った箇所を取り上げる。

 

敵に関する考察動画から

はじめにけものフレンズの敵であるセルリアン考察だ。
1期ではセルリアンの弱点「へし(いし)」を殴るために
かばんちゃんらが頭を使って倒していた。

弱点を簡単に攻略できないところ、敵が一発で倒れない部分に強さがあった。

二期ではけものフレンズによって、ゲーム感覚で一発ノックアウトできる。
(私は1話のもぐらたたき感覚でセルリアンを始末するシーンが好き)

怖さや強さよりも滑稽さやゲーム性に変わった。

敵キャラに対する考察を見ると、
物語を作る際「敵キャラ」においてどう作ったら、
視聴者から「怖い、強い」と感じてもらえるのか?

何より「もしかしたら負けるかもしれない」と、
最後は勝つだろうけれど、もしかしたら勝てないかもしれない。

ある種の絶望感を読者に抱いてもらうか?

敵キャラ=話を盛り上げるために必要な役と、
ほぼ単純にとらえている私は衝撃を受けた。

 

脚本家に見る「誰」を喜ばせるか

次の考察動画はけもフレ2の脚本家が書いた作品をもとに、

  • ますもと氏;自分から上にいる人たちを喜ばせる物語
  • たつき氏:上より顧客、視聴者に面白い物語

ゴールが違えば結果も違う。

動画主の考察が事実と仮定した場合、
ますもと氏は「上の気持ちを満たした」時点でゴールであり、
視聴者は「おまけ程度」でしかない。

たつき氏は上の人は通過点にすぎず、
ゴールは「視聴者の喜び」なので、手を抜けない。

「誰を喜ばせるか」

対象者が違うだけで、脚本にも差が生じる。

編集者が鬼だと「編集者の喜び」ばかり気になるけれど、
編集者が喜ぶ=読者が喜ぶと必ずしも一致しない。

編集者は読者でもあるから、視点を一致させなければいけない。

編集者は大変な仕事だと改めて思ったよ。

 

けもフレ2の11話より違和感を抱いた箇所

トラクター

話を脱線する。けもフレ2の感想で「変だな」思った箇所がある。

かばんさんがトラクターを運転し、
荷台にフレンズがみんな乗るのだけど……強制的に連れていかれる印象がを抱いた。

1期は自主的に全フレンズがかばんちゃんを助けに来たが、
2期では「無理やり」連れてこられる感じがあり、キュルルの信用のなさを感じたね。

制作者側にとってキュルルをどう見てもらいたいか?

「キュルルは信頼が高い」狙いで作ったのだろうけれど、
自分は「無理やり連れてこられた」感じがしたよ。

キュルルがほかのフレンズと信頼関係を結ばないまま、次の話に進んだせいだろう。

だからこそ恐ろしい。

主人公とわき役(フレンズ)の信頼関係を視聴者に納得させる形で描かなければ、
感動しないどころか主人公や製作者に敵意すら抱いてしまう。

納得させるという展開に矛盾を生じさせぬよう、
時間をかけて何度も試行放送せねばならない。

※試行放送とは本番を流す前に行うデバック作業だ。

物語を作るからこそ怖い。

 

遊びの本質と人を動かす何か

続いては「遊びの本質」に触れた動画を解説している。
遊びとは何も鬼ごっこやかくれんぼ、紙飛行機といった、
子供たち同士が楽しむ行為だけではない。

今、私は記事を書いている。

あるサイトに広告を出して反応を調べている。
アクセス解析をもとに仮説を立てて、検証している。

自分から試行錯誤を伴う作業は総じて遊びである。

上記動画では恐ろしい格言を述べていた。

俺はこういうところが面白い、好き!」という制作者の情熱が伝わってこない。

確かにけもフレ2を見ていると、
設定や伏線のおざなりな状態に「手抜き」さを感じるよ。

大切でないところならともかく、
重要なシーンで「あれはどうなった?」手を抜いていると感じる。

「こういう部分が作りたい」よりも、
「とりあえず上から依頼された仕事だからなあ」と、
クリエイターよりはサラリーマン思考を感じるね。

 

モーツアルトが仕込んだわな

脚本の感想を述べた動画で、モーツアルトの格言が載っていた。

本当にうまい演奏者は難しいところを「あ、難しそう」と思わせない

自分が作曲をする場合、普通の人が聞くだけでは全く気付かない、
マニアックな人にしかわからない仕掛けを施すと。

モーツアルトの格言は仕事や芸術はもちろん、
勉強は生活全般にも当てはまるなあと思った。

イラストを描いているとき、思うんだよ。

なんで自分は〇〇さんのようにきれいじゃないのだろう?

イラストはある程度訓練を積めば誰でも描けると思った。
確かに8割までは「誰でも」できるのだ。

残り2割は絶対表に出てこない直感だ。
私も記事を書くとき、3年以上書き続けていると、

「あ、この情報はくるかも」

第六感が働いて1日で5000アクセスを得た経験がある。
8割ほどマニュアルでマネできるけれど、残り2割は個人が持つ直感にゆだねられる。

誰でもできるところだからこそ、残り2割は誰もができない
私たちの潜在意識は2割の凄さを感じ取っているが表現できない

2割の部分こそ独創性だ。

独創性は度重なる試行錯誤を通して自分を振り返り、
「わずかな希望、強み」に気づいて時間をかけて伸ばしていかねばならぬ。

後は人間として心を磨く「人生の勉強」が重要だ。

※追記:元動画に関して最初載せていたのですが、もろもろの事情で削除しました。

 

アニメ制作を通して見えるスタッフの裏側

上記動画では「実例」という形で、
動画主があるソーシャルゲーム会社に勤めていた際の話をしていた。

「上司の命令」だけに従う。上司は自分の地位が大切。
自分たちが何を作っているかわからない。
作り手たちは上の顔をひたすらうかがっているのみ。

結果、誰一人「何を伝えたいのか、何をしたいのか」がわからず、
アニメでも耐えず混乱が生じ、わけがわからなくなっていると。

先ほどの脚本家が「誰を喜ばせるか」につながるね。

 

「誰を優先して喜ばせるか?」

「上司を喜ばせるのか、顧客を喜ばせるのか? 自分を喜ばせるのか?」

仕事や芸術も「優先して喜ぶべき人」が大切だ。
一番は顧客だけど、顧客心理など手に取るようにわからない。

作者としての私と、心の中にいる私は違う

心の中にいる私は「読者」であり、
書いているときの面白さと読むときの面白さは違う

例えばしゃしゃが漫画を描いたとしよう。
書いているときは面白いんだ。自分の脳内にある夢を形にしているのだから。

読者として楽しんでいるのでなく、
夢をかなえている自分を楽しんでいるだけだ。

夢をかなえたのちに人様の漫画を読んだ後、
自分の作品を読むと「面白くない」部分が見つかる。

初めて読者としての自分に変わるわけだ。

「読者としての自分」でも面白いと感じた部分こそ、
しゃしゃの強みであり独自価値だ。

だから私は記事を書くときも物語を書くときも、
文章を印刷したり記事を読み直したりしているとき、

自分が第三者なら、この記事(作品)はどういう点で面白いだろうか。ためになるか。読みたいなと感じるか?

冷徹で厳しい自分を心の中に置くようにしているよ。

 

統計で見るけもフレ1期と2期の違い

ツイートにてけものフレンズ1期と2期の評価を、
統計学を用いて説明したツイートを見つけた。

データをグラフ化させると、成績が一発でわかる。
アニメを放送した結果、数字が表れる。

数字はまだ混とん化しており、グラフを用いて整える。

結果「今後は何をしていくべきか?」現実がわかり仮説を立てられる

数字という形を用いると、否定したい現実が目の前にあり逃げられぬ

統計は夢物語(お花畑思考)を目覚めさせる手段であり、
現実の辛さを示す一方で、針の孔ほどの希望を見出す道具だ。

例えば9話は肯定的がとても少なく否定見解が多い。
(9話はイエイヌの報われない話)

なぜ否定見解が多いのか?

裏を返して分析していくと「こうしたら肯定見解が多くなる」対策が見える。

また3話では肯定評価がどちらかというと高い。
(全体で見ると低いけれど)

3話を分析していけ仮説を立て話を変えていけば、
肯定見解が増える話ができたかもしれない。

※直す時間もなかっただろうけれど。

統計を通して仮説を立てる。
現実を見るので嫌な気分を味わうが、伸びるためにやらねばならぬ。

参照:「けものフレンズ」と「けものフレンズ2」への評価を他の作品と比較したグラフが公開

 

制作者の政治信条や思想に罪はあるのか?

最後になるけれど、私はあえて触れない部分があった。

制作者らの思想だ。

ほかのサイトでは木村監督が反安倍系列の論客をリツイートし、
「木村はそっち系」と決めていた人たちが結構いた。

確かに根本的な優しさや口惜しさといった思想は、
ある程度作品に影響を与えると思う。

てめえ

私が書いている物語やイラストを人に見てもらったところ、
モンスターやホラーですら「かわいい」といわれ、びっくりしたよ。

怖く描いたはずなのに……なんでやと。
根本にある私の思想を相手は読み取ったのかもしれない。

私はあまり制作者らの思想、政治信条を重要視していない。

それはそれ、これはこれと考えているよ。

政治でいうと私はどちらかというと現実で物事を見て、
今の時代に合わないなら憲法や軍備を変えるべきじゃないか?

思想を持っている。

だからこそ作品では私の思想をもとにした作品を作るのもいいし、
「いい憲法なら変えるべきではない」といった、
反対の思想を作品のテーマに掲げ、作る気持ちも生じている

作り手としては自分の思想をもとにした物語を作りたいし、
自分の理念と正反対の物語だって描きたいよ。

作り手(売る人)と視聴者(買う人)は違う

書いている自分が「この理念はいい」思って満足しても、
見る人にとって「なんだこれ、最悪じゃないか」という不一致はよく起きる。

視聴者の大半は前作のような緩やかな雰囲気、信頼関係、謎を期待していたが、
実際に出てきた話は期待と正反対の「望んでいない展開」だった。

制作者の思想が右だろうが左だろうが構わない。
物語は別物として私は捉えている。

 

考察動画を見るうえで重要な事実

考察に関する動画をいくつか乗せて、私の感想を書いた。

私はけもフレ2に全くかかわっていないけれど、
「当事者」として考察動画を見ているよ。

「自分がけもフレ2の脚本や監督をした」
一つのシミュレーションを行い、動画を見ている。

考察動画は監督や脚本家、プロデューサー他と私以外の批判だが、
私は「すべて自分に向けられた批判」として読んでいる。

だからこそ焦るし真剣になる。

怒られている対象は私じゃないが「私だ」思考を変えて、
未来の自分が同じ過ちを繰り返さないように学んでいる

人生の成功において、成功する理由はわからないけれど、
失敗した理由は確実に分かる

確実に分かっている部分を体にしみこませれば、同じ過ちを繰り返しにくい。

他人が書いたものだから自分は関係ない、じゃないよ。

他人の事例を別世界の自分がやらかしたと思って必死にならないと、
同じ過ちを繰り返す確率が高くなる
からね。

ちょっとまって

今回の記事は前に書いた記事の続きでもある。

なぜ面白くないかを論理的に説明できる。
成功する理由はよくわからなくても失敗した理由は説明できる

後はキュルルの性格の悪さを示した話が決定的だった。
イエイヌは理念がきっちりしていてよかったけどね。

脚本テクニックに関する本はいろいろあると思う。
自分が物語作りとして購入した本がこれだけだ。

物語がまずいと多くの関係者に悲しい展開を与えてしまう。
視聴者の大半が失望する物語は罪だなと実感したよ。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。