Pocket

Myself-Peach Body Swap. | Mega14 [pixiv] http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=57083556

※ Myself-Peach Body Swap. | Mega14 [pixiv]

おはよう、しゃしゃ。
フリージャーナリストの安田純平さんが中東にいる。
彼がアルカイダ系の武装組織、ヌスラ戦線にとらわれており、
今日になって「助けてください」画像を公開した。

ただ、ネットを含めて「助けようと思わない」
書いている人が多いのだ。なぜだろう?
ここから何を学ぶべきだろう?

 

過去の言動:チキン国家日本

安田さんがアルカイダ系にさらわれたのはこれが初めてでない。
今回で5度目の人質なんだ。
彼についての情報は参照を設けるので、後で確認してほしい。

日本政府は自分が危険地域にいっても決して口を出すな。
しかし、さらわれた後「ジャーナリスト国際団体」を通し、
助けを日本政府に求めている。

「助けてくれた人、組織への感謝」が見られない。

別の視点として「人質ビジネス」を行っている。
すなわち、安田さんとさらった「ヌスラ戦線」が裏で手を組み、
身代金を通して資金を得ようとしている。

参照サイトを読むと、彼は一度助けられた跡、
「自衛隊を撤退させなかったから、自分が誘拐された」
損害賠償を起こしているんだね。

参照:プロ拉致られ人?安田純平とは何者なのか

過去言動:取材妨害してくる日本政府に自己責任だから口を出すな

 

表情を読み解いてみる

顔は見た目の心理を表す。そこで彼の顔を分析してみたい。
気になる部分として、目のあたりだ。

目の下にクマができていないところから、
精神的に追い詰められている状態ではないと考える。

処刑誤答

彼はISILによって処刑された?後藤さん。
彼はすでに殺された湯川さんの写真を持っている。

他、イギリス人の人質も併せてみると、
余裕がないと目の下にはっきりとしたクマが現れる。
また、安田さんは目に光をともっているが、後藤さんはそうでない。

頬はあちらの太陽や気温の関係か?
紫外線を浴びて変化していると考えらえる。

さらに殺人の危険性が迫ると、骨が透けて見えるようになる。
安田さんは髭と服で隠れて、肉体がどうなっているかわからない。

※ IS 人質 で画像検索をしてみよう。

 

感謝できないと敵を作る?

私は別の視点からこの問題を見た。
「感謝」をした方が良いタイミングで怠る。
すると「救いようのないバカだ」思われる。

結果、支援者を自分から手放し、敵を作ってしまう。
彼が死のうとも「ああ、そう。よかったね」冷たい態度をとられてしまう。

彼は一度、政府に助けられた際……
感謝どころか「政府の対応(自衛隊など)が悪い」述べ、
損害賠償を起こし、本の出版に至った。

このとき感謝をしていれば、
彼がまたさらわれても「心配」する割合は多かったかもしれない。

 

助けられた人に感謝をしたくない

人間は複雑な生き物だ。
たとえ自分が困っている時、親や同僚、上司、先輩……
などに助けられても、不平不満、愚痴を述べてしまう。

助けられた場合、素直に感謝できれば、
相手も「ああよかった」良い印象を抱く。

しかし「俺を助けるなんて、ひどい奴だ、賠償しろ」
なんて言われ「ああよかった」思う人などいない。

普段、何事もなく生きていると「感謝するタイミング」に、
なかなか気づきにくいものだ。

タイミングは「自分が危機的状況」に陥った際、現れる。
特に「自分にとって嫌な存在」に感謝できるかどうか。

例えば地震における自衛隊。
自衛隊に対して好印象を抱く者がいれば、悪い印象を抱く者もいる。

悪い印象を抱く者が自衛隊に助けられたとき、
「助けていただきありがとうございます」
素直に言えるなら、まだ大丈夫。

「てめえみたいなのに助けられて、恥ずかしい。
触るんじゃない、汚らわしい」
述べると、
「ああ、この人は度量の狭い人だ、近づかないようにしよう」
自分から嫌われる要素を増やすのだ。

しゃしゃが助ける側になったらわかるだろう。
助けられたとき、感謝の言葉一つも言えない人物は、
「ああ、こいつはもうね……」呆れてしまうだろう。

(それでも人間は情があるから、また助けてしまうのだ。
そして相手はますます図に乗る……)

呆れはしゃしゃだけが抱くのではない。
その人に接した多くの人も同じように抱くのだ。

だから彼がまた困ったとき、「彼を助けよう」という選択肢はなくなる。

 

感謝を訓練する

「助けてくれた、忠告していただいた」人に対し、
感謝をせずに不快な対応・言動で返すと、
徐々に回りが敵だらけ、困ったときも助けられなくなる。

感謝は私にとって「当たり前の行為」だと思ったが、
安田さんを見ていると、そうでもなさそうだ。

「感謝」の反対は「当然」だ。
やってもらって当たり前。なぜ感謝をせねばならぬのか?

そこで「当たり前」と思っているものに対し、
「当たり前じゃない」否定してみよう。

例えばブログ記事を読めて「当たり前」と思っているなら、
「当たり前じゃない」述べた後、考えてみよう。

しゃしゃが読んでいるブログ記事を読むためにh、
読む媒体手段(スマホやPC,タブレッドなど)が必要だ。
次にツイッターなどのSNS,あるいは検索サイト。

他、色々あるだろうけれど……
このサイトにたどり着くまで、ほかの力を借りているのだ。
すると「検索サイトやSNSなどでここを教えてくれたから、読める。
ああ、ありがたい」感謝できる機会を一つ設ける。

「当然」を「奇跡」と考えてみれば、「身近なもの」に感謝できるようになるよ。

 

感謝を訓練すれば

感謝は基本、本を手元に置いて音読しつつ、
「いざ」というとき、すぐさま「感謝」が出るよう、
自分に教育をしていかねばならない。

子供のころは大人が教育したほうがいいけれど、
大人になれば、自分で己を育てないと衰えるだけだ。

上記の本を手に取って、感謝する訓練をしてみよう。
初めのうちは何も変化が起きなくても、
少しずつ周りを見る目が違ってくるよ。

感謝を知る本:はじめてのウニヒピリ

感謝訓練本:はじめてのホ・オポノポノ

安田さんもこれらの本に出合っていれば、
人生は少し変わったかもしれないなあ……
(もしかしたら出会っているかもしれない)

スポンサーリンク(広告)
記事拡散のお願い

Pocket