※ 大正に浪漫を散らして | 花村ゆーき [pixiv] 袴といえばサクラ大戦。
おはよう、しゃしゃ。
アニメでは「○○について間違っていますよ」
専門的な視点から「○○警察」と呼ばれる人がいる。
今回「はいからさんが通る」というアニメ映画の発表に対し、
きくちいまさんが述べた「ある一言」に対し、怒る人が多かった。
袴の指摘ではない。私も何気なく使う単語なので、震えたよ。
自分ではそう思っていなくても、読者(第三者)から見ると……
「所詮」という単語
女袴の件、江戸っ子の和裁の師匠は別としても、わたしの明治生まれの祖母を引き合いに出しても、所詮山形の田舎の女学生だもんな。時代考証にこだわったら、江戸の時代劇だってお歯黒眉なしの女性が登場することになるんだし、純粋に物語に集中したほうが楽しいよね!あのお話大好きなんだし。
— きくちいま (@imappage) 2016年6月3日
袴について、私も特に知らない。
もし袴関連のイラストを描いたら、ご指摘を受けるだろう。
ところで、袴について指摘をしたきくちいまさん。
着物の楽しみを伝えたいエッセイスト&イラストレーターが、
この後一言述べた。
「アニメーターさんは所詮、下請けということですね」
「所詮」という単語はどういう状況において使うだろうか?
相手・社会・仕組みといった何かを見下す場合に使う。
本人にその気持ちがなくても、言葉が出ると「想い」も出る。
辞書で調べると、「後に否定的判断を表す文章や単語を伴い、
色々考えたけれど、結局……だよね」という意味だ。
参照:はいからさん、アニメが始まる前から袴警察が
脱線:きくちいまさんの着物本と注意
きくちいまさんは着物に関して専門的な立場で述べている。
だからこそ「袴」にも目が向いたと考える。
どんな分野でもいい。細かいこだわりに命を懸けるとさ、
「大雑把にしかとらえない人」を見ていると「イラつく」気持ちをもたない?
多くの人にとって「どうでもいいこと」なんだけど、
彼女は着物を愛するからこそ気になった。
なお、彼女は本を出している。ストレス発散目的で本を読まず、
「こいつの人格はマジ最低」なんてレビューを絶対に書かないように。
本(アマゾンへ):きくちいまが伝えたい! 買ってはいけない着物と着物まわり
炎上関連:鉄腕DASHにて作家が述べたある発言が
否定される「私」という存在
はいからさん、帯をしないで袴つけてる感じ。これだと剣道みたい。女学生の袴は文庫結びの上につけるから、ぽこっとするんだよな。それが可愛いのに残念だな。勇ましさを表現したかったのか、描いた人が知らないのか。 https://t.co/okCJGFau67
— きくちいま (@imappage) 2016年6月1日
アニメーターは所詮、下請け。
彼女の発言は「すべてのアニメーター、アニメーターに尊敬の念を抱く人」
を否定したと受け取られる。
すなわち「アニメーターを愛する自分」も否定された。
ネットリテラシーの怖さはまさに「当事者意識」にある。
「そんな馬鹿な、考えすぎでしょ」思うでしょ。
わかりやすい話として、絶賛上映中のキンプリ。
昨日もどこかのテレビで応援上映について取り上げていたが、
ここであるコメンテーターが述べたとする。
「たかが同じ内容に何度も運ぶって、すごいですね」
「たかが(数量や程度を取り上げる価値もない)」
という一言を入れてしまうと、キンプリに何度も足を運ぶ人。
あるいはキンプリにはまっている人からすると、
自分自身が味わった「感動・楽しさ」を否定された気分になる。
イラストレーターやアニメーターなどのエンタテイメントを提供する人たちの待遇の悪さについてのツイートを見る度に、少なくとも日本ではそういった人々にあまり敬意が払われていないんだろうかねって思う
— ベンジャミン@TFK一般参加 (@sail_futonlove) 2016年4月29日
結果「何もわかっていないお前が言うな」
「ならお前も応援上映に行けよ、わかるから」
炎上のきっかけを作ってしまうのだ。
日本人は言葉に敏感な生き物。
理由は説明できなくても、感性は発達しているのだ。
古典にある「和歌」が根拠だよ。
過去記事:キンプリを見に行った(応援上映でない)
過去記事:古文や漢文の勉強について
言葉は責任を生む
一晩経ったけど未だにこれムカついてる。
ちなみに、イラストの形状もあって、時代によって流行りが違うだけで何も間違ってなかったらしい。 pic.twitter.com/lP64qVW0kv— 砂原@ぷ〜どる (@Ryo_Sahara) 2016年6月3日
私も「所詮」「たかが」といった言葉を使う。
何気なく使うからこそ、改めねばならないと認識した。
なお、こういった言葉を意図して使う人もいる。
わざと炎上する言葉を使って読者を煽り、
多くの人が叩けば叩くほどアクセスも増大し、
そこから商品が飛ぶ鳥を落とす勢いで売れる戦略として、
「しょせん」「たかが」といった見下し言葉を使う人もいる。
ただ、使った結果「どうなっても」知らない。
今、何かをしたら、未来から何かがやってくる。
(例:炎上につながる発言を今述べたら、
罵倒する人が多い未来がやってくる)
それは逃げられないし、向き合わねばならぬ。
この行為を「責任」と呼ぶ。
「その人がある対象についてどう考えているか」
言葉を使うときに出てしまう。
それも「言葉に気をつかわないと、気づかない」から恐ろしい。
言葉に対して敏感になるには?
ライターの下請けしてるときは、手書きの元原稿の「てにをは」が間違えてるから直してリライトしたら、勝手に直すなって怒られた。次にその人から依頼が来たときそのままリライトしたら「お前のせいで恥かいた!」って怒られた。とと姉ちゃんの早乙女さん見ててあのときのこと思い出したなぁ。
— きくちいま (@imappage) 2016年6月4日
そこで「言葉」について敏感になるためにどうすべきか?
一つは文章を書いたら、すぐにアップロードするのでなく、
「この単語(名刺、形容詞、副詞など)は必要か」検討する。
とはいえ、ツイッターは自分がその場で思った考えを言葉にする。
私もね、つい汚い言葉を使ってしまうのだ。
二つは「言葉に敏感な人」が書いた本を読む。
内容が重たい本や哲学を読むと、言葉に気をつかうよ。
三つめ「どの分野にも敬意を抱く人物(ファン)がいる」
はっきりと認識しておく。ここを認識しないと炎上の原因を作る。
(反対に意図して炎上を作るなら、敬意を抱く人を認識すべき)
職人に敬意を抱かない「不足感」
>アニメーターさんは所詮下請け〜pic.twitter.com/rdeaKTx6NQ
— 大波コナミ(輩) (@moja_cos) 2016年6月4日
アニメーター関連ニュースとして、
アニメーターの給与が低く、誰も敬意をはらってくれない。
というツイートがあったんだ。気持ちはわかる。
やっぱり認められたら「ああ、よかった」思うもんね。
でも、認められても「数が足りない、もっと、もっと」
心の奥底にある「不足感」を処理しないと、
ストレスだけが膨大にたまっていくのだ。
アニメーターは所詮下請け豪速球投げた人、原作の描写が実際の風俗に忠実だったかどうかという点は、原作への敬意から一切触れずに、「アニメーターは所詮下請けだからプロの仕事はしない」と罵ったのが問題。原作には言及出来ないけどアニメーターは罵る。
— 匙 (@sajisann) 2016年6月4日
「もっと、もっと、もっと」という気持ちはお金に置き換えても同じだ。
金持ちで「もう一生遊んで暮らせる」はずなのに、
「自分のお金はびた一文使わない、金よ、もっと、もっと」
考える人は実際にいる。
これも心の奥底にある「不足感」が働く結果だ。
不足感が嫉妬と結びつくと、相手を攻撃したり逆恨みしたり……
自分の人生が「悪魔に操られる」ような生き方をしてしまう。
まぁ、少なくともアニメーターの給料が低いのは多分今に始まったことではないし、伝統工芸をきちんと残していくということも普通にやっていたら難しいと言われるわけで、なぜそうかって言ったら、クリエイターへの敬意とかそもそもなところがあるよねっていう。
— ほむら (@h_homura) 2016年5月31日
しゃしゃはどうだろう。第三者を憎み、逆恨みし、
何とかして表舞台から引きずり下ろしたい生き方か。
それとも、自分を裏から表舞台にあげ、
多くの人と幸せな気持ちを分かち合いたい。
どちらかといえば、どちらの生き方がいいなあ~思う?
嫉妬が教える本質
誰かに助けてもらった時。「ありがたい」と思うなら、フラットな状態。頼り頼られという関係を受け入れている。「申し訳ない」と思うなら、やや不安定。人を頼ることに後ろめたさがある。「恥をかかせやがって!」と思うのが、嫉妬。「誰かの活躍」が、「自分のできなさ」に直結してしまっている。
— 生田美和 (@shodamiwa) 2016年6月4日
「嫉妬する対象を分析すれば、しゃしゃの強みになる」
嫉妬の本質はしゃしゃが成長するためのヒントだ。
例えば「歌、演技、ダンス、絵、トーク」がうまいアイドルに嫉妬したとする。
「なぜ彼女に嫉妬するのか、彼女はどんな特徴を持っているか」
きっちり分析する。
すると「自分」と「嫉妬対象のアイドル」が持つ共通点に気づく。
分野は違えど、アイドルと同じ素質をしゃしゃが持っているのだ。
(大工がアイドルに嫉妬しても、全くおかしくない)
嫉妬は「自分もできる能力がある」からするわけで、
できもしないなら、そもそも気持ちすら抱かない。
言葉は人生を動かす
野村克也(通算657本塁打)「俺なんて所詮は月見草クラスの選手」 https://t.co/sfspjicuBz pic.twitter.com/gFe4bkKmxV
— 日刊やきう速報 (@nichiyakyu) 2016年6月5日
言葉はみんなが使う。一部の人しか使えない道具ではない。
だからこそ「無意識」に単語を選び、相手に伝える。
しかし、意識すれば感度が良い人生を送れると確信する。
炎上したければ、積極的に否定をすればいい。
でもそういう人生を味わいたくないなら、
言葉に含まれる感情を話す前に読み取り、お互い気を付けよう。