ってか自分の中で何が起きているんだ!
おはよう、しゃしゃ。
私はやりたいことを真っ先にやっている。
どんどん頭が回り、やりたいことの追求が進む。
幸せ……なはずなのに体が不調を訴えている。
たいてい自己啓発ものでは幸せなこと、
やりたいことをやっていたら体がイキイキし止まらなくなる。
確かに当たってはいるのだけど同時に不安も強くなる。
やりたいことをやるとはやりたくないことをやらないであり、
やりたくないこととは「緊急性ある重要度の低すぎる仕事」だ。
「やりたいこと=緊急性のない重要度の高い仕事」をやると、
なぜか不安にむしばまれ、早口早食いはもちろん早食い浅い呼吸からの、
どんどん胃腸が悪くなっているのを実感した。
特に具合悪くもないのに吐き気を抱くわ
(寒いせいもあるのかもしれない)、
ぐっすり寝ても体調が回復しないわ、
「将来どうしよう」と将来への不安にさいなまれるわ……
徹底的に自己観察を繰り返したところ、
ある言葉がぴったりとあてはまった。
生き急ぎ病とは何か?
生き急ぎ病は私の定義する言葉だ。
グーグルで調べると「生き急ぎ症候群」を見つけた。
ネットインタビューにてある若者の不安があった。
自分は高い志を持っているのにちっとも進まぬ。
このままでは何も学ばないまま人生をむなしく終えてしまうのか。
私も似た症状に侵されている。
早くやりたいことがあってやっている。
早く発表したいのだけど、バグがあってなかなかできない。
また早く成果が欲しい分野についてなかなか得られず、
子供の将来や自分の未来などありとあらゆる分野について、
「ヤバイ、早くああならないと……」
焦りばかりが先に立って浅い呼吸からの早食い、
体調不良に死への恐怖、ツキが離れていく……
ありとあらゆる分野にて「弱っている」のを察知した。
どうだろう。同じ症状で苦しんでいないだろうか?
やりたくないこと=緊急性ある重要度の低い仕事より、
やりたいこと=緊急性のない重要度の高い仕事をやると、
「緊急性」度合の大切さに縛られてしまう。
もちろん緊急性ある仕事をしていないからこそ、
緊急仕事を行えば得られる報酬も得られていない。
そこに体が反応し弱っていく。
自分を詳しく観察し「生き急ぎ病だ」と診断したよ。
生き急ぎ病は体に悪影響を与える
生き急ぎ病は心よりもむしろ体をむしばんでいく。
私の場合は胃腸へ真っ先に現れた。
しくしくする、苦しい、痛みが激しい。吐き気がする。
もしかしてストレスから胃潰瘍や十二指腸潰瘍を患うのでは?
吐き気といっても嘔吐ではない。
ただ「なんとなく吐きたいなあ」と感じるのであり、
実際にせき込むと何もはかない。
病名に対する不安を抱くと、やりたいことどころではなくなる。
常に目先の不安に時間を割かれるばかりか、
「心底どーでもいいこと」に時間を費やしてしまう。
例:ツイッターを開いてただぼーっと眺める
生き急ぎ病は急いでいるにもかかわらず、
重要度の低い方ばかりに焦点を当ててしまう。
あべこべすぎるではないか。
生き急ぎ病対策1:自己診断
思ったら今からノートとペンを用意してほしい。
まずはノートに「生き急ぎ病」と書く。
自分が医者になって心を診断していく。
客観視して脳内に余計な不安を持ち込ませないためだ。
頭で行うと必ず「不安」が隙間から入り込み、
不安で常に満たされ生き急ぎ病を加速させるだけ。
生き急ぎ病と書いたら次に当てはまる項目を書く。
当てはまる基準は自分で勝手に決めていい。
私の場合は
- 息が浅くなる
- 吐き気を感じる
- 胃の痛みを感じる
- 左右の脇腹が痛い
- 早食いになる
- 打ち明けても理解してもらえない
- 将来が常に不安
- 思い通りに全くコトが進まない
包み隠さず正直に書くのがコツだ。
賞状を書いたら解決策として、症状と反対の行動をとってみる。
例えば息が浅くなるなら息を深くする。
早食いなら自分でゆっくり噛むよう意識する。
一方で反対の行動をとれない事例もある。
思い通りにコトが全く進まないが該当する。
反対の行動で解決できない場合はどうすればいいか。
思い通りにコトが進まなくて焦るを反対にしてみる。
思い通りにコトが進まなくてもいいやと考える。
あきらめの境地に達する。
何が何でもこうならなければならない!
特定の未来を固執している状態こそ受け入れがたい考えだが、
あえて反対(あきらめ)の行動をとってみる。
商売を例にとると「売り上げを建てなければならない」
で苦しんでいるなら正反対の考え
「売り上げを建てなくていいよ。0円でいいよ」
コンサルタントの知人が聞くと呆れる表現だし、
商売に携わっている人ならみんな「こいつ馬鹿?」思う発言だ。
受験だと「大学に合格しなくてもいいよ、0点でもいいよ」だ。
頑張っている人ほど
「はあ? それじゃああきらめろ、やるなってことか」
怒りたくなるだろう。昔の自分なら激怒している。
生き急ぎ病はまさにこの考えにある。
脳内だけが生き急いでいるのであり、体は無理やり動かされる。
無理に動くと必ずひずみ(病気)となって表れる。
だからこそ脳内の生き急ぎを意識して自分で止める。
意識しないから絶えず「生き急ぎ」する生き方を送る。
一言でいえば「ゆっくり生きていいよ」になるのだけど、
重要な点は上記の考えを人に押し付けず自分のみに当てはめる。
体は脳内ほど早く動く性質を持っていない。
体は常にゆっくり静かに動いている。
体が脳に合わせると病に近づき、脳が体に合わせると治る。
生き急ぎ病はまさに体が脳に付き合わされた結果、
「ちょっと落ち着け、じゃないとエラーが生じる」
だからこそ脳が体に合わせるよう、全ての考えをひっくり返すわけだ。
薬よりも必要なゆっくり
2019年を振り返り私はいろいろ挑んだ。
大半は失敗に終わり苦しみを抱く一方で成功もあった。
記憶に残るほうは失敗だ。
失敗を通して「俺ってこんなに不幸なんだ」と、
自分をとことんかわいそうな人間に設定する。
だからこそ生き急ぎ病へとつながる。
「かわいそうな自分」という苦痛から逃れるため、
あれやこれやと挑むものの、結果は「かわいそうな自分」になる。
生き急ぎ病を患うと、どれだけ神に祈ろうともすがろうとも無意味で、
解決策はただ一つ。正反対の考えや行動をとってみる。
反対を知るためには「自分が患っているであろう病」を、
一つずつ書き出していかなければならぬ。
焦っていると焦りを解消する行動を一切取らず、
心底どーでもいい(焦り解消にもならない)行動をとる。
生き急ぎ病を克服しても将来への不安は残る。
人間として当たり前の本能かもしれない。
だからこそ自分に許可するのだ。
「将来のことなんて、何も考えなくていいよ」
日記:ホラーゲーム制作中
現在、ウディタを使ってホラーゲームアドベンチャー制作中。
「生き急ぎ病」に気づいたきっかけでもある。
自分にとって「やりたいこと」を優先する生き方を送ってみた。
私にとっては「実験」の一つである。
「緊急性あるやりたくないこと」よりも、
「緊急性のないやりたいこと」を優先したら、
人生においてどんな変化が現れるのかと。
結果が生き急ぎ病だった。
焦りをもたらす要因は「以前の常識」であると分かった。
以前の常識とは自分の中にある公式であり、簡単に覆せない生活習慣でもある。
世の中「例外及びまさか、予想外」は確実にある。
例えばお金。私は必死に働いてもお金を一円ももらえなかった。
心を込めていい商品を作っても、誰にも買ってもらえなかった。
商売(ほかには勉強、趣味、遊びなど)において嫌なことが重なっていくと、
だんだんあきらめの気持ちが強くなっていく。
一方で特に苦労もしていないのに友達の悩みを解決したら、
お礼に万札をもらった。びっくりした。
ちょうど処分したかったペイントソフトをいとこの娘に譲ったら、
いとこのおばがある程度お金を払ってくれた。
一度は拒んだけれど「いいから受け取りなさい」といわれた。
お金でも人間関係でも趣味で仕事でも何でもいいのだけど、
世の中には自分の中に「常識/公式」がある。
いつの間にかできているといったほうがいいのだろうか。
常識及び公式には「必ず例外」がある。
例外は当初「奇跡」と呼ばれるが、何度も味わうと「当然」に変わる。
だからこそ今までの公式や常識が重しとなって乗っかかる。
奇跡はめったに訪れないものだから。
だがこの考え方も違う。
そもそも未来は自分に占い師はもちろん、神様ですら全く分からない。
適当に「こうなる」と予想し、一つの可能性に苦しんでいるだけだ。
今この記事を読んで死んでもおかしくない。
だからこそ不安にもなる一方で神にもすがってしまう。
神は未来も含めて全知全能という「大きな間違い」なのにね。
将来どーなるかわからないからこそ、
「生き急ぎ病」に心を費やす必要もなくなる。
絶えず今したいことに全力で集中していけばいい。
集中力低下でもあるのかもしれないね。
今回の記事は自分にとっての成果であり、今までの自分否定にもつながる内容だ。
上記の二つを読むとわかりやすい。
当たり前のようにある知識や考え方が「違う」としたら……
違うというよりは「例外」があるとしたら?
今思うとこの二冊こそが「当たり前と思っていたことには例外がある」を、
身をもって証明してくれた本になるんだね。
どんどんこちらの動画をYOUTUBEなどに挙げていきたい。
はじめはでたらめだけど、でたらめでもあげるのと心の中にしまっておくのとでは違いが生じるhttps://t.co/ifwRVCLy9t— せんけん (@megabi0) December 21, 2019
おっと、肝心の内容を伝えじまいだった。
現在作成中のゲームだ。ぜひ動画を見てってくれ。