おはよう、しゃしゃ。
今日は宗教に関する話だ。
といってもキリストやイスラムといった方面でなく、
自分の内側にいる神様の話だ。
人は皆丹田に神様がいて、
「あれをやりたい、これをやりたい」
声に出さないがメッセージを発する。
丹田があなたに贈るメッセージの方法

丹田はへそ下三センチ当たりの部分であり、
温かくなると真冬でも靴下なしでぽかぽかできる。
何より丹田が温かくなると、自然と姿勢もよくなるし、
視力も少し上がってくるし、余計な力が入らぬ。
丹田は言葉を発しない代わりに、行きたい道があるとジワリと温かくなる。
丹田の仕事を邪魔するよう、脳みそがあれこれ誘惑するわけだ。
例えばやりたいことをやろうとしたら、
「今はそれをする時ではない」といった言葉や、
「そんなのよりゲームをしようぜ、この仕事をしなきゃ」と、
別の方面に意識をそらそうと働く。
丹田は基本一言も言葉を出さないが、脳はうるさいほど言葉を出す。
脳に従った道は「緊急性で重要でない仕事」であり、
丹田は「緊急でないが超重要」な仕事だ。
丹田と脳のどちらに従うかで、生き方が大きく変わる。
生き方が変わるとは何か?

例えば丹田に沿って私は一つの有料ノートを販売した。
販売したところで生き方が変わるのか?
収入が爆発的に入り、考え方も変わったのか?
言われると違う。
生き方が変わるとは有料ノートを出した結果、様々な現実にさらされる。
現実は自分の予想通りに全く行かず、良いと解釈しているほうだと大喜びし、
悪いと解釈しているほうだと嘆いたり怒ったり悲しんだりする。
有料ノートを出す/出さないという形で、
丹田に従って行動を起こしても現実は大した変わらない。
唯一考え方が大きく変わる。
例えば有料ノートを出したおかげで、
マネタイズ(芸術作品などの商売化)は難しくないと確信した。
確信という言葉は頭でなく体で実感する行為だ。
また有料ノートを出したおかげで、
今まで気づいていなかった部分や依存していた部分など、
出していない自分だったら全く気付かない場所に目を向けた。
目を向けたら考え方や次に何をしたいかも変わる。
現実は変わらなくても考え方は大きく変わる。
というより気づきが多く考え方を改めざるを得ない。
丹田に従った生き方は次につながる気付きを得る。
丹田ですら未来はわからない

私は一つ大きな間違いをしていた。
丹田は未来を確実に見通している。
だから丹田の言う通りに生きれば、確実な結果が現れると。
しかし現実は確実な結果など何一つもたらさなかった。
はじめは丹田に怒った。
「お前の言う通りにやったけれど、ちっとも成果が出ないじゃないか」
同時に「心に従って生きればうまくいく」
といった精神世界系や宗教の本に書いてあった内容は、
ことごとく嘘だという事実もわかった。
記事を読んだ後にどこかのセミナーで、
「神様はすべてお見通し、将来を見通している」
表現があったら「嘘」と確信していい。
むしろ神様ですら未来はわからない。
日本はたくさんの神様がいて内なる自分も神様の一つだ。
内なる自分=丹田は未来を予測できないし、確実にこうなる保証もない。
私は丹田が示す未来を勝手に解釈し依存していた。
裏切られたと思って自分の内側に怒った。
だけど「丹田も未来なんてわからないんだな」
悟るようになってから、すごく気分がよくなった。
同時に「負担を押し付けてごめんね」謝った。
すべての神様は未来なんてわからない、だから

神様ですら未来なんてわからないから、今どう生きるかが一番大切である。
同時に未来はわからないからこそ、
脳内が示す「未来」も確実ではないと分かる。
「確率」ならこうなるだろうという予測であって、
「絶対こうなる」ではない。
誰も未来なんてわからないからこそ、もっとのびのび生きていいと確信した。
丹田に従えばうまくいくという考え方は、
のびのび生きているようで実は丹田という存在に縛られた、
依存した生き方であり独立ではない。
むしろ丹田にパワハラを強要させる生き方だった。
だから私は「君も未来を見渡せないのに、
勝手に確実な未来を見渡せると間違った考えをしてごめんね」
自分の内側に頭を下げた。
丹田がわかっている真実は一つ

「この道を進んだ方が面白いし楽しいよ」
丹田はしゃしゃの状況に関係なく、
「この道を進んだ方が面白いよ。絶対楽しくなるから」
楽しい道しか教えていないんだよね。
結果がどうなるかなんて丹田だってわからない。
だけど確実に考え方が変わり、
今までの自分とは別の視点から物事を観察でき、
同時に今までの固定観念を崩す機会でもある。
神様は「楽しい道」を提供するだけであり、
「確実にこういう成果が出るよ」という未来ではない。
神様ですら未来なんてちっともわからない。
今、記事を読んでいるときに天変地異が起きても不思議でないし、
お金が突然わいてきてもおかしい話ではない。
何より死んでもおかしくない。
これをやったら次はこうなるというのでなく、
なんか知らないけれど当然こうなった、だからこうするだ。
丹田はただ「楽しい道」を提供する。
だからこそ私は「心が求める楽しさ」に進んでほしいと考える。
人は楽しくないものを求めていない

有料ノートを書いた後、数記事だけ愚痴を書いた。
愚痴を書いたもののほとんど読まれなかった。
悟った。
色々な感情が沸き上がると愚痴を書きたくなるよ。
だけど書いて表に出したらいけない。
読者はあくまでも「面白い企画」を求めているのであり、
「面白くない企画、あなたの愚痴」は一切求められていない。
面白さは丹田が知っている。
丹田に従って生きた結果、想定した未来が訪れるとは限らない。
だけど次の楽しい道がわかりどんどん掘り下げていけば、
1年前の自分が欲した道にたどり着けると確信しているよ。
脳内の自分は焦りを与え、丹田は楽しみを与える。
どちらに従ったほうが「面白く」なるか?
少しずつでいいから丹田がもたらす楽しさに進んでいこう。
日記;プログラミングARPG
有料ノートプロジェクトのほか、現在制作中の自作ゲームプロジェクトがある。
ホラーゲームを作りたい。
試行錯誤をこなし、ようやく敵が攻撃できるプログラムをかけた。
自分はプログラミングに関してほとんど無知だけど、
何とかなるものだなあ……思ったよ。
記事の書き方を変えるだけで評価が変わる。
自分の有料ノートを様々な方面(ここ含む)に当てはめているよ。
企画をたてて動くのが一番楽しいね。
