
ゲーム販売を通して実感した戦略としての”物語”作り
去年ゲームを作った。有料販売した。全力で作って販売したからこそ「物語のなさ」に気づかされた。物語とは生き様であり戦略だ。物語に沿って人間は動く。物語がなければ人間動きすらとれぬ。
去年ゲームを作った。有料販売した。全力で作って販売したからこそ「物語のなさ」に気づかされた。物語とは生き様であり戦略だ。物語に沿って人間は動く。物語がなければ人間動きすらとれぬ。
今年はゲーム制作の年だった。政策は良かったが販売で大きく躓いた。ゲーム販売に物語を出す。それが来年やるべきことだ。という内容の自分反省日記
久しぶりに神社にいって、1万円を入れてみた。お金に対して大きな違和感を抱いていたからだ。愕然とした。自分は特別な人間でいたかったんだなと気づいた。それも多くの人にとって「あほかお前」といわれるような唯一絶対例外の生き方をだ!
2020年も終わる。今年はブログの更新が滞るなど色々あった。新型コロナもあった、大統領選挙もあった。私自身に焦点を当てると、大きな変化があった。
最近noteにて日記を書いている。日記をなめていた。ただの日常話を書くだけの内容。だけど日常だからこそ人に伝わりやすいうえ、真理を伝えるのに最適な手段だと分かってから、日記を極めるように考えた。今日は単なる企画だ。
最近僕はブログを更新していない。「楽しいだけではやっていけない」世界にたどり着いたからだ。タン押し糸は自分の都合よい展開が立て続けに起きる状態だ、しかし絶望を知ったこと、そして新しい基準を知ったおかげで、以前に戻りたいと思わなくなった。この先にあるものは何だろう。
思考という言葉がある。考えるとは自問自答して思い浮かんだことだ。一方止めて考える止考は考えを辞める。一切考えない。人は油断していなくても考える傾向があるが、考えない。考えとは過去のデータから探す行為であり、未来には一切対応できる情報がない。
ここ最近、ものすごい勢いで原理を学んでいる。原理の一つとして物事を実際に実行へ移せるには気体→液体→固体の順番に考える必要があり、また時間短縮やうまい時間の使い方として、最初に時間を先取りして物事を決めてしまう、後は俯瞰を通して「つながり」を見つける方法。いろいろやっていることをまとめてみた。
朝起きたらふと、いじめられていた時の記憶がよみがえった。俺をいじめたあいつら……今頃元気でやっているのだろうか。今も誰かをいじめているのか、あるいはいじめられているのか、そこらは全く分からない。ただ一つ言える。自分よ、ありがとう。
朝4時、ある事に気が付いた。ということで今日はちょっと企画を思いついてそのまま生きてみようと決めた。悪く言えば現実逃避だけど、よく言えば変な成果をもたらすのではないか。私は現実に向き合ってきた。現実の中から成功を見据えて伸ばそうとしていた。しかし願う未来を決して手に入れられない。その原因は心の癖=現実直視にあるのではないかと考えた。
神社参拝においてご利益を求めるためにやっているとしたら間違いだ。ご利益を求めるという考え方そのものも間違っている。ちょっと考え方を逆さにしてみよう。すると……
神様はすべてお見通し? 違うね。
ないとある、どちらに意識するといいのだろう。
神社参拝で思ったことを書く。神社参拝とは願いをかなえるために行く場ではない。
最近、原稿を書いていると「白がきつい」と感じるようになった。そこで色を白から別に変更した。するときつさが亡くなりやりやすいと気づいてしまった。