おはよう。
私はインスタグラムをやっている。
フォロワーがストーリーで過去の絵と現在を載せた。
そこで起きた出来事を通し、一つの衝撃に気づかされた。
自分自身のことほど「わからない」

フォロワーはインスタストーリーで過去と現在の絵を出していた。
上の画像は今から1年前に描いた私のイラストだ(記事投稿2023年時点)。
フォロワーは同じモデルを描いている。
同じモデルだが1年たって細かい描写が目立ち、私は心を動かされた。
相手とやり取りしているとき、ふっと気づかされた。
そういえば自分も骨格やデッサンの本を参考にいろいろ描いた。
もちろんYOUTUBEや先輩絵師たちの意見を参考に描いた。
時に「へたくそ」言われ、心にぐさりと来た時もあったが、今は気にならなくなった。
「下手」という見方も正しいし「上手」という見方もあっている。
絵の上手/下手は鑑賞者の感性にあり、下手だからと言って否定されるわけではない。
味のある下手があり、下手も個性の一つだ。
それよりも今、自分がフォロワーの変化を見て、具体的に褒めた。
具体的に褒めつつ、同時に過去の自分を見直した。
過去の自分も様々なデータを参考にいろいろ試行錯誤を重ね、現在も重ねている。
あの時、自分の絵に限界を抱き、一から絵を勉強しなおした。
あの時の努力が今、こうして自分の技術につながっている。
あの時、きちんと限界を悟って初心に帰ってよかった。
過去の自分の判断は今の自分の生き方につながっているんだ。
私はフォロワーに頭を下げた。
自分を卑下しやすい性格だからこそ

裏を返すと私がフォロワー(イラスト仲間)の絵を見ない限り、
「過去の努力」に気づけなかったわけだ。
人間、今だけを見て「あの時、ああしていれば……」悔やむ傾向がある。
現在だけを見て「自分がいかに不足しているか」のみ目を向けるからだ。
いくら99豊かさに囲まれたり、恵まれたりしていても、
たった1の不満に目が行くと、脳は不満に資源を割かれてしまう。
「自分は豊かさなど一つもない。むしろ不幸で不足で被害者だ」
第三者が「今、お前がこうして生きている、ネットなどを見れている。
本当に貧しい人はネットなども見られないし、そもそも……」
語ったところで「少数の不満・不安」に満たされている人は、
「そんなの豊かさでも何でもない。恵まれてもいない。自分はこれを手に入れてないのだ」
不満・不安に大きく目を向け、安心にちっとも目を向けない……
というより向けられない。それだけ不安と不満は声がでかい。
不安と不満が原動力だからこそ、
「何が何でもため込まなくてはいけない、安心できるところから豊かさをもらわないといけない」
結果、不足を解消するために相手を蹴落としたり騙したり、
暴力的になったりと不足や不満を脳から追い出す行動をとる。
ただ不足は一つ解消しても新しいモノに目を向けるため、一生解消できない。
人を陥れるため、他人から恨みをかってしまい、
気が付けば自分が蹴落とされる側に回る。
不足や不満が原動力だと、更なる不足・不満を得るのみだ。
現在の自分がいかに苦しくて、ダメで、報われていないのか。
捉えた時点で「静かで実はあふれている豊かさ」に目を向けず、
「うるさくて、さらに悪化させる貧しさ」に目を向けている状態だ。
「静かな豊かさ」に焦点を当てたほうが、
現在がどんな状況であれ「愛と笑顔と自分を認める」生き方につながる。
具体的に褒めないといけない理由

静かな豊かさを得て、うるさい貧しさを手放す生き方を送るため、
自分と同じ・別分野だけど重なる生き方を送る人をほめる。
重なるとは次の状態だ。
私はイラストを描いている。現在は作曲/編曲も行っている。
イラストを描いているが音楽を作っていない佐藤さんがいる。
佐藤さんはイラストを描いていないが作曲を行う鈴木君と友達だ。
イラストと音楽は異なる分野だけど、
「頭に思い描くナニカを形にする」意味では重なる。
同じ何かをしている仲間をほめる。
褒めるとき、単純ではいけない。
褒めるとは愛想を振りまく行為でない。
現在の自分がどれだけ学力(観る目)を持っているか?
己の観察力及び分析力そして学力を図る指標だ。
学力は何も受験科目だけでなく仕事における能力、芸術にたしなむ行為を示す。
学力がないと分析も雑になり、観察しても特徴や違和感に気づかない。
学力がある状態とは、何かしらの分野を日々学んでおり、
学んでいるからこそ「大変さ・面白さ」がわかる状態を示す。
いかに相手が「大変な作業・細部へのこだわり」を持っているか。
同じく細部へのこだわりや大変な作業を体験した人でないとわからない。
対象を見て、気づいて、なるべく詳しく指摘してあげる。
結果「自分が現在、どれだけの分析・観察・学力」を持っているかがわかる。
単純に「きれいだね、かわいいね」は愛想を振りまく表現であり、
「仲間がどれだけ考えて、形にしたか」まで読み取る言葉ではない。
他人のためになるばかりか、未来の自分のためにもなるため、
細かい部分を指摘してほめてあげるのがいい。
本当の自分が”わかる”瞬間

具体的な形で自分をほめた後も作業がある。
私はフォロワーをほめた結果、過去の自分を思い出した。
過去の自分も今のフォロワーと同じく試行錯誤を重ね、一つの境地にたどり着いた。
過去の自分が学んだ・試した事柄はすべて努力だ。
努力した自分について、第三者から直接言葉をいただくときもあるが、
たいていは自分自身ですら「当たり前」としてみなされる。
努力するのは当たり前、なぜ褒められるのか意味が分からない。
具体的に褒めた後、同じく努力していたころの自分を思い出す。
そして努力していた自分を、自分の言葉でねぎらってあげる。
過去の自分をねぎらってあげると、自分自身が救われる。
救われた部分だけ不足から豊かさに目を向ける。
豊かさは基本、陰に隠れているばかりか静かで主張しない。
主張しないからこそ自分自身で気づいてあげないと、
うるさく主張する不幸・不安に目を向け、苦しみの道を歩みだす。
未来の自分を「もっと」苦しめたくないなら、
第三者を具体的に褒めて、過去の自分をねぎらってあげる生き方を送ろう。
