おはよう、しゃしゃ。
最近、ブログを更新していない。
更新する暇がなくなったからではなく、
「新しいステージ」に入ったと自覚しているからだ。
新しいステージに気づくと今までのステージに戻りたくなくなる。
例えばブログ記事だと政治や国際社会について私は書いている。
今まではアクセスやアフィリエイト報酬増によって「楽しかった」が、
ある基準を知ってからは「楽しい」という気持ちがすっかり消えてしまった。
自分がどこを目指しているのか。単なる日記を書いていきたい。
「楽しい」だけじゃダメなんや

※アオアシ2巻から
漫画「アオアシ」と「球詠」を読んでいた。
するとあるところで同じ展開が現れた。
しかし"高い基準"を実感した。もう今までの位置に戻りたくない。
楽しいだけではやっていけない。
世界に、優勝へたどり着くためには"楽しい"だけではやっていけない
アオアシも球詠も「楽しい」の否定から生じた展開は同じだ。
「初心に帰る+苦手部分を鍛える」
受験勉強で例えるとスランプだ。
数学をやっている人なら大いにわかる話として、
数学の練習問題をひたすら解いていく。
練習問題を解いて模試である程度良い成績を残すのだが、
あるラインから「どうしても」越えられない展開が生じる。
「なぜいつも似たパターンで間違えるのか」
私の場合、教科書をじっくり読み書きして、
土台をきっちりしたおかげで解決できるようになった。

後、今私が描いているイラストも同じだ。
人間を描いているときは楽しいが、風景はちっとも楽しくない。
しかし人間をある程度描き、ピクシブやインスタのいいねなどを通し、
嫌でも気づかされる……。
だから苦手と思っている風景、さらに得意でも人体のバランスがバラバラだし、
アオリやフカンを描くとき、まだ呑み込めてない部分がある。
イラストを描く上でもまだ言葉にできてないところ、
法則化できてないところがあるから、きっちり形にしていく
最近の自分は絶望の立場にいる。
長所屈伸は楽しいが短所克服は辛い

「楽しい」とはどんな状態だろうか?
「自分の思う展開」がそのまま起きているときだ。
自分にとって都合の良い展開が起きており、
ちょっと冷静にといわれても、気が付いたら戻ってしまう状態だ。
自分の長所を最大限に生かし、
運も味方について「都合の良すぎる展開」が生じたら「楽しい」と表現できる。
一方で「都合の良い展開」はいつも起きると限らない。
むしろ「最悪な展開」という形で長所を否定される展開がやってくる。
長所を否定される展開であり存在価値をもなくす状態だ。
長所を拒まれたとき、人はどんな生き方を送ればいいのか?
答えは反対の部分-短所にある。
都合の悪い展開とは長所を否定されるばかりか、
あいまいなまま試合に挑んだ短所を突かれまくった現実だ。
短所が辛いと感じるのはあいまいなままだから。
楽しいどころか正直やりたくないし苦しい。
しかし、そうだろうか?
短所をイチからやるとすごく楽しい

勉強の話として私は物理が得意で好きだけど、生物は苦手で嫌いだった。
私は受験生でないから、物理も生物もやる必要はない。
記事を書く上で、物語を作るうえで知恵を持っておいた方が、
色々アイディアが浮かんでくるという狙いから手を付けた。
物理は好きだから勉強のやり方もわかる。
得意分野はやればやるほど面白いし発見もある。
不得意かつ嫌いな分野はやっても苦しいから、やる気が起きない。
半年もたつと、不得意だったのに「楽しく」なってきた。
むしろ得意だった物理のほうに「穴」を感じ、
「ああ、自分はイチからやらず、つまみぐいをしてたんだな」
得意科目の落とし穴に気づかされた。
得意だからこそ「やりたいところ」だけをやる。

実は得意の中にも「不得意、どちらかと言えば嫌い」な部分がある。
そして不得意の勉強としてチャート生物に記載された項目のうち、
主要な部分だけをノートに書きなぐっていくうち、
だんだん「身近なものとのつながり」に気が付いた。
例えば畑に枝豆を植えている。
枝豆からメンデルの法則をはじめ、葉っぱから葉っぱに関するキーワード、
そして葉っぱで行われている光合成や呼吸……
生物は「暗記が多い」から嫌いだったんだけど、
「身近なものとのつながり」が見えてきたうえ、
一切暗記を考えなくなると、むしろ楽しくなる。
苦手なものほど、思い込みさえ外せば楽しくなる。
私の場合「生物=暗記ばかり」思い込みがあったから苦しかった。
確かに暗記せねばならない部分はあるが、基本は考察だ。
ただ知るだけでなく「じゃあ、これならどうなんだ?」
別の何かへあてはめて考察してみると、思い込みが外れる。
楽しいの否定にある「意外な楽しい」世界

「楽しいだけじゃやっていけない」は、
今の私にとって今後の生き方にもつながるキーワードだ。
今までは「楽しい」からやった。丹田もワクワクすることをやった。
しかし丹田の通りに動いたからと言って、心から最高な展開が来るとは限らない。
むしろ正反対の「最も望まない」展開がやってくる。
自己啓発関係でも「ワクワクすることをやれ」とあり、
実際に「ワクワクする」ことをやって、ある程度は伸びるんだ。
しかし"あるライン"からワクワクすることをやっても伸びなくなるし、
むしろわくわくのなかにある「ドキドキしない部分」が弱みとなって、
自分自身に過酷な現実を叩きつけられる。
ワクワクが通じない世界にたどり着いた。
絶望と同時に人生として素晴らしい階段を歩んでいるといえる。
楽しいだけではやっていけない。
ワクワクだけではやっていけない領域についたのだから。
ワクワクだけでやっていけない原因は穴だ。
ワクワクの中にも「ちっとも楽しくない」部分が穴という形で現れた。
穴の先には触れてほしくない部分があり、
一方で「心から欲している潜在意識のメッセージ」でもある。
今、私は潜在意識のメッセージにたどり着いた。
結果、今までのワクワクする領域、以前の状態に戻りたいと思わなくなった。
穴を認識し、一つずつふさいでいけば「もっと伸びる」のだから。
自分の穴を分析

私にとっての穴は
- 計画を創ったうえでの行動
- 目に見えない費用と売り上げの算出
- 目に見えないチームを意識して生きる
- ワクワクしない、むしろ嫌がることをどんどんやっていく
今までの私は
- なんとなく感じたままにやる
- 自分の都合を優先する
- 個人を気にして生きる
- ワクワクすることを主体にやる
「自分は今後も個人だけど、目に見えないチームを引っ張る」
は今までの自分に全くない考えであり、
以前の「個人で動く」という生き方に戻ろうとは思わない。
人を使い、自分も人に使われる。ワクワクしないことを進んでやる。
言葉ではわかっているんだが、いざ動くとなるとなかなかできない。
最近、できそうでできないことに手を伸ばしているので、
ブログ記事も同じ理由でなかなか書けないでいる。
ただ、今はできなくても一か月後はできるだろとにらんでいる。
だってほかの人ができている。なら自分もできるだろうと。
完璧に同じものはできなくても、2割同じならできると。
