おはよう、しゃしゃ。
人間は考える。問題が起きたときも考える。
さて考えるとは何だろう。考えを止めたらどうなるのだろう。
最近ある確信が私の中で起きている。
「考えを止めないと予想外の未来へたどり着けない」
考えるとは何か

まず「考える」とは何だろう。
例えばビジネスで売り上げが出ないとする。
すると私たちは問いかける。「なぜ売り上げが出ないのか」と。
あるいは小説を書いているが、思うような表現が出てこない。
すると私たちは問いかける。
「どうやったら適切な表現が出て切るか」
自分に問いかけ、答えを出す作業を「考える」と定義する。
「思考」も「考える」にあたる。
思考は「自分の中にある膨大なデータ」から答えを出す作業だ。
現在から過去までありとあらゆるデータが私たちの中にあり、
過去からいろいろ適切な答えをもたらす情報を探し、
「そうか、売り上げが出ないのは集客に原因がある」
「これだ、この表現をすればいいんだ」
過去をもとに気づく。
将来を考えるときも「過去のデータ」をもとに考える。
といっても過去は自分が直接体験した過去でなく、
他人が体験したあらゆることやものを「自分の体験」と置き換える。
「他人の体験、過去=言語を通して自分の体験や過去」と捉え、
膨大なデータから適切な答えを探す作業だ。
思考には大きな欠点がある。
未来の情報は思考の中にない=止考

未来の情報は一切ない。
なので「自分が次、どんな行動をしたいか」をはじめ、
「自分を変えたい、今の環境を変えたい」
強く願っているとき、答えは過去のデータにない。
他人の体験を自分のものとしても、今とは時代が違う。
ちょっと問いかけたい。今から1年後、何が起きるだろう?
きっちり予想できるだろうか?
大まかな予想なら誰でもできるだろう。
今は新型コロナウイルスが猛威を振るっているけど、
去年の7月にcovid-19が来るなど、予想できたか?
いつか新型コロナがやってくるかもしれないと、
「大きな未来予測」ならできるだろう。
正確にぴたりと当てられるかと言えば無理だ。
未来は「過去の膨大なデータ」の中に存在しない。
よって自分の将来において大きく変えるなら、過去のデータに頼らない覚悟が必要だ。
データがない=考えても無駄であり、
考えない世界=考えるのをやめる世界=止考が必要となる。
止考はとても難しい。
人間は何かあればすぐ過去のデータに答えを求めるからだ。
止考は考えようとする脳に対し、
「考えなくていい」とストップをかける行為なので、
考えたがる脳にとって、膨大なストレスとなる。
最近の私は「はあ、気軽に儲けるにはどうしたら」と、
口癖のような感じで、つい出してしまう。
脳みそは考えたがっているのだが、私は止めている。
問いかけをしても「全く意味がない」と実感しているからだ。
考えを止めた先、ワクワクしない未来が重要

自己啓発系の本では「ワクワクすることをしよう」と書いてある。
あるいは「ワクワクする未来を見つけよう」と。
止考はワクワクもしないし、脳みそも焦らない。
むしろわくわくは「膨大なデータ」からの検索であり、
過去をぐるぐる回って考えるのと一緒だ。
止考にワクワクもいらない。
「犯罪じゃないなら暴走していいよ」と許可を与えるだけだ。
後は考えようとする自分を止めて、徹底的にやりたいことをやってみる。
考えるとむしろ泊まりやすい。
だから強い。未来にたどり着ける。ぜひやってみてほしい。
