自己肯定感を高める生き方を送った結果驚きの運気展開にびっくり!

おはよう、しゃしゃ。
自分はすごいと自信を持って言えるだろうか?

ふわっちという生配信サイトでたった数分で、
100万円以上の支援を受けた人がいる

彼は多くの人からバカにされアンチも数多くおり、
個人情報が全て漏れてしまっている。

だけど彼は言う。

「俺はお前らと違って、すっごい魅力があるの」

結果、たった数%の強烈な魅力に引き寄せられ、
ものの数分で100万円以上稼いでしまった

嘘に見える実話だ。

さて彼の発言から重要な事柄「自己肯定感」がある。
私もどちらかといえば自己否定をしたがる人間だ。

だからこそ自己肯定を行ってきた。
すると「ある事実」に気づき、自己肯定の大変さに気づいた。

 

自己肯定の基本は自分をほめる

自己肯定感を高めるとは一体どんな行動だろう?
基本、自分を否定しない、認める、褒める行為だ。

「自分を肯定する、自分の生き方を肯定する」

「俺は魅力があるんだよ、俺ってすごいんだよ」

主張に対し「なんで?」と論証責任が生じる。
論証責任にこたえると結論は一つ。

「やっぱ自分は何もすごくない、平凡で中途半端でクズで、
大したことないじゃん、何が凄いの?」

論証していくと、いかに自分がダメな人間か。
自己否定がますます強くなる。

だからこそ「すごい」に根拠はいらない。
魅力にも根拠などなくていい。

「自分でもわからないけれど、すごいんだよ」

別に現代文の問題を解くわけでないから根拠などいらぬ。
また人を説得させるための言葉でもないし、
周りから「こいつはバカだ」扱いされても結構。

現にふわっちのある生主は根拠など答えられないが、
「俺はお前らと違って魅力にあふれている」

だれよりも強く固く信じ切っている。
彼は強烈なアンチを産む一方で心から好かれやすく光っている。

 

自己肯定を高めるリスク1:バカにされる

ふわっち生主を通し、自己肯定を強く押し出すと……
多くの人から「こいつはバカ」認定される。

どれだけ実績や頭が良くても関係ない。
「こいつはバカ」と周りからバカ認定される。

要は自分の価値を低める言葉をぶつけられる。

ここで分岐点が生じる。
他人のなすがままに「やっぱ自分はダメだな」思うのか。

「他人がどう捉えようが知ったこっちゃない。
理由なんかわからなくても、やっぱ俺はすごいんだ」

かたくなに自分で自分を信じるか。

他人のなすが儘になると、必ず心は不満を抱く。

「お前はすごいんだぞ、何お前をろくに知らないやつの言葉をうのみにしちゃっているの」

バカ認定されても「自分はすごい」を貫けられるかが一つ。

 

自己肯定感のリスク2:恨みつらみ苦しみを引き受ける

じんじゃのいぬ

他人からバカにされようとも自己肯定を貫くと、
「なんか知らないところから」他人の恨みつらみグチ、
苦しみや痛みなどを心が感じてしまい、苦しくなる。

見えない世界の話を一つしたい。
自身では全く気付いていないけれど、心は察知している。

負のエネルギーというべきか、
多くの人が持つ負の感情があなたに向かって飛んでいく。

あなたは苦しくなり、ついに自己否定をしがちになる。

原因はあなた自身が光っているからだ。
自己肯定とは光であり、闇は光に引き寄せられる。

闇はあなたを闇の世界へ誘うためにやるのでなく、
闇も光っているあなたに「助けて」もらいたいのだ。

自己肯定できるあなたは「強い存在」であり「光」でもある。

だから対策は逃げるのでなく受け入れる。

全て俺のところにこい、全部光に変えてやると、
正月に参拝する神社のごとく受け入れる。

受け入れたら自己否定に染まるのでは?

思うだろうけれど大丈夫。
本当に苦しくなったら身近な人や知り合いをはじめ、

「なんか知らないけれど、このサイトが気になるんだよね」

気になって情報を呼んでいくうち、

「ああ、こういう考えを抱けばいいのか」

勝手に対策をしてくれるから大丈夫。

 

自己肯定にはレベルがある

自己肯定のメリットとリスクを語ったうえで本題に入る。
自己肯定にはレベルがある。

簡単なレベルだと声を出して「俺ってすごい」と自分を認める
自分の言葉から自分を認める発言を行う。

簡単の前にあるレベルとして他人があなたに対し、
「あなたってすごいのね」と自己肯定を高めてくれる。

ここで「いやあ、自分は全然だめだよ」と自己否定すると、
周りへの印象はよくなるかもしれないが、
自分自身に対していじめを行っているのと同じ

だから自己否定につながり、ますます苦しい現実がやってくる。

他人から褒められたら周りが「なんだこいつ」と思おうが関係なく、

「いやあ、そうでしょ。俺、すごいんですよ。
そしてそれに気づいたあなたもすごい。ありがとうございます」

自分はもちろん相手の自己価値を高めたうえで感謝すればいい。

他人から「自己価値肯定」という贈り物をいただいた。
だから贈り物を素直に受け取り感謝すればいいだけ

自己価値を口で言えるようになれば、本番が訪れる。

「行動で自己価値を行う」状態だ。

例えばある商品を紹介しようとする。

「自分が紹介してはダメだ」と自己否定になると、
商品を紹介するにもためらいが生じ、利益を失う。

「自分はすごい」と言葉に出しても商品を紹介しなければ、
有限不実行であり「まだ自己否定を続けている」状態になる。

言葉は簡単に言えるのに実行できない原因はリスクだ。

もしこれを紹介して、お客様からクレーム、
裁判沙汰になり多くの人に迷惑をかけたらどうしよう。

あらゆる目先の不安にさいなまれると、
いくら言葉で自己肯定をしようとも行動できなくなる。

自己肯定の最終段階は行動にある。

ただし行動したからと言って不安が的中する場合もある。
「行動しなければよかった……」嘆くときもある。

だから自己肯定感ばかりも危険を伴う。

 

危険があっても自己肯定はしたほうがいい

自己肯定をもとに生きた結果、予想外の危険が起きてしまった。
自己肯定ばかりじゃダメなんだな……

と嘆きたくなる場合も必ず起きるけれど、自己肯定して生きたほうが絶対に良い。

予想外の危険が起きたときほど実はチャンスであり、
今まで気づかなかった視点に目を向け、知らない間に新しい出会いが舞い込む

予想外の危険が訪れた場合の対策は一つ。
真正面から問題と向き合い逃げないだけ。

予想外の危険も先ほど述べた闇と同じで、光っているあなたに助けを求めているだけ。

だからあなたの仕事は真正面から問題に向き合えばいい。

自己肯定にそってあれこれやって遠回りする事例もある。
私も遠回りを考えたらうかつに手を出せなくなる。

うかつに手を出せなくなる時間をずるずる引き延ばすと、
いつの間にか光なくなり闇に染まってしまう。

運気が悪く、なんかよくわからないけれど不満がある状態に陥っているなら、
目先の不安から行動で自己肯定をしていない部分がある

だから目先の不安を吹っ飛ばして行動で自己肯定してけばいいだけ。

だから常に自己肯定を持って生きる。

ふわっち配信者も常に「俺は魅力にあふれた人間だ」言っている。
彼は一時期生活が非常に苦しかった。

苦しくてバカにもされた。原因は自分の生き方にあった。
だけど彼は曲げなかったし折れもしなかった。

常に彼は光を放ち続けた。だから大金を手にした。

自己肯定感に沿って生きても失敗は必ずする。
失敗で自己否定になるのでなく肯定を保ち続けると、
どんどん前に進んでやりたいことをやっていくようになるよ。

 

自己肯定を行う最大のメリット

自己肯定を行う最高のメリットは時間だ。やりたいことに対する時間が増える。

自己否定とは時間の先延ばしであり、
自己肯定とは変なトラウマもないからサクサクと動く。

人間時間は平等であるけれど使い方は自分にゆだねられる。
自己肯定が高いと自信に基づいて企画を立て実行する。

低いと企画を立てても自己否定が働き没になる。
どれだけ「あたる」企画を立ててもだ!

自己肯定が高いと「あたる/外れる」にかかわらず、
次々企画を立てるからどれかは必ずあたる。

何より変な光を発しているから、闇が救いを求めにあなたへ近づく。
闇はあなたをバカにするだろうけれど気にしなくていい。

全てを受け入れて良い気を送ってあげればいいだけ。

 

今かやってみよう、まずは許そう

だからこそ今からやってほしい。

「私ってすごいな」とまずは言葉に出す

次にやりたいことがあるけれどためらっている何かに対し、

「私はすごいからやっていいよ」声を出して自分に許可を与える

自己否定とは「許さない、やってはいけない」であり、
自己肯定とは「やっていいよ、許すから」である。

どちらの生き方が自分として好ましいか?

私はやりたいことがあるけれど心にブロックがある場合、
「いいんだよ、やって、ダイジョブだから」と言葉に出している

中にはどうしてもできないモノがあるが、
どうしてもできないモノは「無理してやらなくていい」である。

無理してまでやる作業は「やらなくていい」のであり、
たいていの作業は「大丈夫、やっていいんだよ」という。

気持ちが楽になるから、今すぐやってみてね。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。