ども、しゃしゃ。
書店で久しぶりに中谷彰宏さんの本を読んだ。
彼はたくさんの本を出している。
前にテリー伊藤さんと対談した際、
テリーさんも中谷さんの執筆ペースに驚いた。
今回私が読んだ本は「教養があるのか?」であり、
読むと自分の知的レベルに焦ったよ。
教養を身に着けるって?
中谷彰宏さんは絵画を例に教養の大切さを書いていた。
例えば一枚の絵にいろいろな物語がある。
私が描いたイラストを例に取ろう。以下の視点をあげておきたい。
- なぜ泡を題材にしたのか?
- なぜ少女は水着なのか?
- 背景の色は何を支援しているか?
- 描き手に何があったのか?
イラストを端に見ただけでは「うまい/下手」くらいしか思わぬ。
「うまい・へた」を乗り越えた先にあるものが教養だ。
単に作品のみならず、作品を書いた人に何があったのか?
作品を書いた人にどんな物語があったのか?
この絵を描いたとき、とても暑かった。
そこで涼みたい、涼んだ世界を欲している人がいる。
前提でいろいろ考え、上記のイラストができた。
泡にはぼやけさせる効果を持つ。
何をぼやけさせるのか? 暑さという嫌な世界をぼやけさせる……
教養はさらに踏み込んで、泡一つにどんな宗教的考察が隠れているか?
二人の少女にどんな「現代社会の諸問題」が隠れているか?
歴史や様々な知識を知らないと、楽しめない。
教養を学ぶ意味が「新たな発見と楽しさ」にある。
教養は姿勢や言動すべてに現れる
香山リカ氏との終わらぬ論争。
またセルフ論破。 pic.twitter.com/rfN3XrWOF8— KAZUYA (@kazuyahkd2) July 25, 2018
中谷彰宏さんは「その人が教養を持っているかどうかは、
歩く姿はもちろん、頭を下げるなど簡単な動作ですべてわかる」と、
とてつもなく怖い発言をしている。
どこが怖いかって?
歩く姿はもちろん、話し方や頭の下げ方ひとつで、
「その人が何者か?」がわかってしまうのだ。
簡単な例で言えば、上記ツイートに乗っている香山リカさんの発言。
発言一つで「彼女がどんな生き方をしているか?」がわかる。
彼女の発言一つで「あ、この人は俺と意見があう/あわぬ」と、
しゃしゃが感じる結果こそ、教養が現れている。
言葉だけではない。マナーを学べば学ぶほど、
マナーのない人が「だらしない」と分かるし、
ある程度マナーを身に着けている人もわかる。
そして完璧なマナーを身に着けている人を見たら、
「この人はすごすぎる!」ひれ伏してしまう。
教養を学んでいるかどうかは、
普段のしゃしゃ「すべて」に現れているといっていい。
なお香山リカさんについてはこちらで詳しく語っているよ。
教養をどうビジネスに活用できるか?
例えばイラストを勉強する人にとって、
医学用の解剖図がいかにすごいか、肌でわかる。
値段が1万円と高くても「理解できる」のだ。
同じように1万円のギターと100万円のギターでは、
見た目はもちろん「とても微妙な音色」に違いがある。
ギターに長く触れている人は「わかる」が、
たいていの人は「100万円のギター」の価値などわからぬ。
教養を身に着けるほど、レベルの高い人たちを相手に商売できる。
中谷彰宏さんの教養本を通し、気づかされたよ。
なお、イラストを描いている人は人体を描くなら、
美術解剖図は必要になるが、特定の部分なら医療系が必要だ。
医療系の解剖図はいろいろ勉強になるので、読んでおいたほうがいい。
例:古文や漢文の教養を身に着けたらどうなる?
清王朝になったとき、官僚が使う言語がありました「官語」といいます
満州民族が使う言語です。
エリートの共通言語化します。
革命後中華民国は「官語」をソノママ公用語にしてしまうのです。
一般的には満州語の影響が・・・とか説明されるけど
影響ではなくガッツリ入ってるそうで。
#虎8— brasillach3(ブラジ) (@brasillach3) July 26, 2018
教養の一例として日本の古文や漢文がある。
2018年7月26日の虎ノ門ニュースを聞いていたら、
最高敬語の話になっていたので、教養ネタにつながると思った。
古文や漢文は今では使わぬ言葉だが、
古文にある敬語を勉強すると「主語を省略できる」という、
文章を描く際、余計な言葉を省略できるという素晴らしさに気づく。
#虎8 英語の授業を聞くより、ハーレクインでも読んだ方が文化としての英語をしる事ができる事態なのが、日本の英語授業のお粗末さだよなー
コミュニケーションとしては、文化的素養の方が大事だわ— ひらぎ (@hiragi1123) July 26, 2018
また、文学の歴史を語る場合は単に言葉を覚えるよりも、
「その当時、どこで何が起きたのか」日本史の知識をつけておけば、
単に文学は「暗記物」でなく「日本の根源を知る」科目へ変わる。
古文や漢文の勉強は文法など後回しでまずは素読。
声に出してひたすら読んでいけば、自然と身についていくよ。
気になったら単語や文法、当時の文化を学べば深みを得る。
最初は浅く、少しずつ深くが教養の勉強かな。
なお、古文や漢文の大切さはこちらでも語っているよ。
ぜひ原著を素読し、リズムを身に着けてね。
教養を手にしたらどうなる?
なぜあの人は「教養」があるのかを手に取ったら、
しゃしゃが突き詰めているものを別な視点から研究するか、
高校や中学校時代の勉強をしたほうがいい。
教養の基本は学生時代の勉強にある。
勉強をすると、その手の分野に関する本を読む際、
「おお、こういうことか」サクサク読める。
教養がないと、その手の本に全く関心がないから、新しい出会いもない。
少しでも新しい出会いを求めているなら、
ぜひ教養の在り方を手に取り、実践して10年単位で化けてほしい。
私は焦った。いかに自分が教養ないかって事実を。
教養をきちんとつけたいなら手に取るべきだ。
なお教養の勉強については学業とほとんど同じやり方でいい。
やり方について不安を抱くならこちらを読んでほしい。
新しい出会いについて
新しい出会いについて補足を入れたい。
出会いとは何も人だけを意味しない。
しゃしゃが読んでいる記事も出会いの一つだ。
ニュースを読んで衝撃を受けるのも出会いの一つだ。
出会いが起きれば、たいてい何かが浮かんでくる。
浮かんでこないときは基礎情報がない、関心がないかだ。
関心を持つ(勉強)すれば、必ず興味を抱く。
結果、出会いから特徴を分析していくと、
新しい自分の考えや今まで気づかなかった盲点が分かる。
出会いについて上記noteで詳しい内容を書いている。
出会いがいかに今後の自分にとって役に立つのか。
利益にだってつながっていくのだ。ぜひ読んでおいてほしい。
日本画(芸術)は感性でなく論理(科学)
中谷さんの教養本を読んで、改めて発見した分野がある。
中谷さんいわく、日本画は感性でなく理論だ。
私が描いた絵も感性の部分はある。例えば絵の発想は感性だ。
とはいえ「材料」はすでにあった、10月だしハロウィンだし、
魔女を描いているから、魔女に関連したもの……赤ずきんだ。
なぜ赤ずきんがサブマシンガンを持っているのか。
答えは赤ずきんとサブマシンガンを持ったキャラがいるからだ。
サブマシンガンを装備した赤ずきんがいる。
これが歴史であり基本七期として持っていれば、
絵の干渉や面白さがぐっと変わる。
あた童話赤ずきんは家の中にいるのが魔女でなくおばあちゃん。
しかもオオカミが化けたおばあちゃんだ。
お菓子の家はヘンゼルとグレーテルだったはず。
グリム童話の背後を知っていると、面白さがまた変わる。
これらは感性というより、グリム童話+ヴァンパイア格闘ゲームという、
理論として二つの事例を知っていれば面白い。
絵は感性でなく理論と分かったとき、面白いと思ったよ。
芸術分野はとても勉強になる分野が多いので、ぜひ読んでもらいたい。
教養とは感性でなく理論なんだね。