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安倍政権打倒など脚本や結論ありきの願いはなぜ叶わないの?

おはよう、しゃしゃ。
虎ノ門ニュースを終えて、ツイッターを見ていた。

北海道胆振東部地震があり、停電と原発に関する情報が目に入った。
かつてザ・ボイス1242に出演していた佐々木俊尚さんが、
上記のツイートを流しており、彼への返信を読んでいた。

返信内容はいろいろあって、勉強になるツイートもあれば、
「どう考えてもいちゃもんじゃないか」と思うのもあった。

ツイートをまとめていたら、ある思いが浮かんだ。

安倍政権打倒という形で反安倍運動を展開している。彼らの想いと反対に第二次安倍政権は6年目を迎えた。何かしらの人生法則があるからではないか?

いろいろ自問自答した結果、気づいたよ。
今回は安倍政権を退陣させるテクニックやコツの話ではない。

「己と向き合って願いを達成する」方法だ。

 

反安倍運動や反原発が立ち向かう「不都合な事実」

安倍政権を今すぐ辞めさせる–自民党総裁選で、
石破茂氏をはじめ、特定野党の大半が述べる言葉だ。

今回の自民党総裁選、
よほどの事情がない限り安倍総理が勝つと確信している。

安倍総理のほうが石破さんに比べて、
「総裁になったら何をするか」がはっきりしている。

はっきりした公約は達成できないものもあるだろうけれど、
「何をするか決めていない」人よりはわかりやすい。

わかりやすさは当選確率を上げる一要素だからね。
この人も最初はわかりやすい公約を掲げていたのに……

 

目標を決めた際にふりかかる嫌な事実

安倍政権を今すぐおろす!

「目標」であり「結論」だね。
目標/結論を見つけたら計画を立てて遂行していくのだが……

必ず向き合わねばならぬ現実がある。

「目標を立てる人に痛い部分こと不都合な事実」だ。

例えば石破さんが「安倍政権を倒す」といって総裁選に出た。
すると「石破さん側の不都合な事実」も露呈された。

自民党が困ったときに逃げたり裏切ったり……
ネットでの指摘が拡散を呼び、彼は狼狽していたよ。

本人にとって「表に出てほしくない不都合な事実」が出た場合、
事実を受け入れるか無視(弾圧他)で、その後が決まる。

無視や弾圧を決め込んでしまうと、
願いとは反対の現実「かなってほしくないほう」に向かう傾向が強くなるよ。

 

池上彰番組の脚本ありき展開が嫌われる事情

この話をするうえでもう一つ。

池上彰さんが司会を務めるニュース番組にて、
出演した子供たちの一部が劇団の子たちと分かった。

フジテレビ側は「台本なんか用意していない」述べ、
我々が「嘘をこくんじゃないよ」お祭り状態になっている。

池上彰さんの件は劇団員のほかに八幡和郎さんや有本香さん、
今日は上杉隆さんなどが、

「いろいろ取材を受けたけれど、自分の意見でなく、
池上彰の意見として採用してほしい」頼まれたと、
ツイッターでイケガMetoo運動が起きた。

メディアは基本、結論がある。

たいてい「安倍政権の印象を下げる」ために、
「印象が下がりそうなエピソードや物語」を入れる。

しかし印象が下がる物語を探すと同時に、
メディアにとっての不都合な部分も浮かび上がる

総理の印象が上がる、あるいは影響ないエピソードだ。
さらにはメディア側の印象が下がってしまう話も出てくる。

不都合な事実に対し、メディアはどんな対応をしているか?
結果が今の安倍政権6年目につながっているわけだ。

 

なぜ百田尚樹氏はTBSに総理出演の映像を渡さない?

池上彰さんと直接関係はないけれど、
間接的に関連する話を一つ上げたい。

虎ノ門ニュースに安倍総理が出演した。
百田尚樹さんがツイートで怒っていた。

TBSが安倍総理出演部分をくれと頼んできた。
もちろんDHCスタッフは断った。百田尚樹さんには権限がない。

なぜ断ったのか?

サンデーモーニングや報道特集といった、
虎ノ門ニュースとは考えも立場も対極にあるメディアが、
「そのまま使う」とは考えられぬ。

安倍総理の言葉に「アテレコ」という形で上からかぶせ、
総理の言葉とは「全く違う解釈」に歪めてしまう。

歪める確率が非常に高く、仮に映像を許可してゆがめ、
訂正したとしても「訂正を見ていない」人にとって、
「訂正していない映像=真実」と思い込んでしまう。

要は結論ありきで総理出演の映像を改変し、
一次資料(虎ノ門ニュース出演時)とは違う映像が出回る。

https://twitter.com/tsune1221/status/1036753678877700096

池上彰氏の件も似ている。

彼は自分の意見でなく専門家や他人様の意見を、
すべて自分の意見として伝える。

結論があり、本当は彼らにとって不都合な事実でも、
あれこれ編集して強引に狙った結論へもっていくわけだ。
(グラフを意図的に変えて炎上したときもあったね)

だけど、編集して強引に作った脚本は細かい分析によって、
丸裸にされてしまい、信用を落としていくわけだ。

信用を落としたからといって池上さんが、
いきなりテレビ番組に出演しないのではない。

彼が今後、ほかのテレビに出ても、
「この人の話は冗談9割にとらえたほうがいいよ」

見る側が軽く彼を扱い、真剣な話をしても信じるふりして、
「あっそ」そっぽを向いてしまうばかりか、
「こいつ、嘘をついている」前提でさらに詳細な分析をされるよ。

メディアにとって「ありがたくない」現象が起きるのね。

 

目標達成と不都合な事実はワンセット

ここから目標達成の話へ入る。
しゃしゃが「何かを達成したい!」考えた場合、
何をしたらいいかなど、計画が出てくる。

だけど自分の知らぬところで嫌な事実も生じる。

「自分がだらしない、ザコ、受け入れたくない、
知りたくもない、耳をふさぎたい……」

不都合な事実だ。

不都合な事実は嫌でも気づくし目にもとまる。
事実に対して逃げ、否定、攻撃といった行動をとると、
目標は遠ざかり、かなえたくない目標を達成する。

どうすれば目標達成につながるか?
そもそもその目標は「かなえるべき」結論か?

結論が間違っているのではないか?

なお、関連する話題としてこちらを読んでほしい。
占いの分野でも私の意見は似ているよ。

 

例:お金がいつまでも入らない場合

おかね

「〇月までに〇〇万円稼ぎたい!」目標を立てる。
すると「稼ぐ際に生じる不都合な事実」がどんどん出てくる。

どんどん出る事実に対し、逃げの姿勢をとると
「〇月になっても〇〇万円すら稼げない」現実を手に入れる

(かなえたくない目標を達成するわけだ)

目標へ向かっていろいろやっているのに、
いつまでたっても目標を達成できない場合、どこに問題があるのだろう?

不都合な事実から逃げ回る姿勢だ。
もう一つが目標(結論)自体に誤りがある。

目標に誤りがあると、達成したいように見えて実はしたくない。
だから他のやりたいことがあったら、目標を脇においてそっちをやる。

本当にかなえたい目標なら他が大した気にならないもの。
なったとしても自分を統制し、余計な考えを入れさせない。

今、私は記事を書いている。
「目標に関する真実を伝えたい!」と結論(目標)を決めた。

すると、記事を書き終えるまで余計なことを考えぬ。
考える場合は「実を言えばあまり書きたくない」ときだ。

次に不都合な事実が浮かぶ。
例えば今はお金に関する記事を書いた。

「ロクに稼いでもいないお前が書く資格あるのか?」と。

この事実を拒むと、記事を書いても中身のないものになる。

認めると、書く資格がないと思いながらも、
「それでも伝えたいんだよ!」気持ちが勝る。

お金についてはこちらを読んでほしい。
特に意味のないものにお金を使った結果……

 

己に生じる不都合な事実の否定は呪いにつながる

己を生じる不都合な事実の例として、
原発なら原発関連の物理情報や政治状況他だ。

短絡的な物事を見て「原発をすべてなくして火力にすればええ。
あるいは太陽光にすべて替えたらええねん」
思ったとしよう。

今回、胆振東部地震の影響で停電になった。
太陽光発電を置いている家も周りにあり、夜散歩したところ、
太陽光発電の家はどこもついていなかった。

ツイッターで太陽光発電について書いたら、
以下の返答を寄せられたよ。

太陽光発電は蓄電技術が備わっておらず、
現時点で太陽光で夜の電気を賄えない事実を知った。

太陽光発電を推進する人たちにとって、
「不都合な事実の一つ」ではないかと思っている。

くらやみ

もし停電が起きても太陽光発電のある家だけが、
夜でも電気を使えていたら、太陽光の検討をしたよ。

目標を決めるのはいいが、必ず不都合な事実もセットでつく。
不都合な事実を受け入れるか拒むか。

拒むとは「自分が結論づけた物語以外を受け入れず、
不都合な指摘をする人や自分の心に攻撃/無視する姿勢」
だ。

拒むと高い確率で「目標とは正反対の現実や結論」が生じる。

反対に都合の悪い情報をサクサク取り入れ、
場合によって目標を変えてしまった方が、達成しやすいのかもね。

人生ってのは本当に面白いや。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。