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山口周防大島で行方不明となった少年の発見にどんな裏が?

おはよう、しゃしゃ。
ニュースをきちんととらえていないと、
「そんな事件があったとは!」驚きしか出てこない。

山口県の周防大島町で8月12日から行方不明になっていた、
2歳の少年が行方不明になっていたのだけど、
15日の午前7時ごろ、いなくなった場所の近くで見つかった。

とりあえずよかった。

だけど疑問もいくつか抱く。

「行方不明から3日もたっているのに、なぜ生きていられるのか?」

真相はこれから警察が追及していくが、
裏で何が起きているのかなあと考えてみたよ。

 

山口県の周防大島ってどこ?

周防大島2

※ 画像はグーグルマップから

私は山口県の人間でないので、
周防大島といわれてもどこにあるかわからぬ。

そこでグーグルマップを使って調べると、
赤く囲まれた部分にあると分かった。

周防大島1

より拡大していくとこんな感じ。
周防大島の観光名所として、瀬戸内海のお湯めぐりや、
海水浴場に600mの登山といった自然を利用した観光を楽しめる。

興味を抱いたらまずは下記ページより、周防大島について読んでほしい。

参照:周防大島観光協会

参照:周防大島町

 

周防大島で行方不明のあらまし

周防大島で行方不明となったのが、藤本理稀(よしき)君2歳。
12日の午前10時ごろ、祖父とお兄ちゃん(3歳)と100mほど歩いた。
400m離れた海岸で海水浴を楽しむためだ。

すると、理稀君は一人で「帰る」と述べたそうだ。

100mは大した距離ではないから、
祖父は一緒に寄り添わなくていいと思った。

祖父は理稀君が一人で家まで歩く姿を見たのだけど、
母親やほかの子たちは誰もあっておらず、捜索願を出した。

今日になってボランティアとして捜索に加わっていた、
大分県の男性が理稀(よしき)君を発見した。

姿が見えなくなった場所の近くで見つけたそうだ。

……文章だけを追いかけると謎だね。

本当に見つかってよかったと思うし、
何かいたずらをされていないかと、不安も抱くよ。

意識がはっきりしていると書いてあるけれど、
3日間の間、どこで何をして過ごしていたかはわからぬ。

なお、過去に北海道でも似た事件があった。
子供が行方不明となったのだけど、こちらも見つかった。

 

共同通信の書き方は何を示している?

共同通信は理稀君を発見した際、こう書いてある。

「藤本理稀ちゃんの発見時に一緒にいた成人男性は」

共同通信の文言を見ると、
発見した大分県の男性ボランティアが理稀君をさらい、
大規模な捜索活動が始まるまで一緒にいたのではないか?

感じてしまうのだけど、気のせいだろうか。
警察は大分県の男性について、色々聞き込みを行うだろう。

すでに「尾畠春夫(おはたはるお)」さんの名前と顔が上がっている。
71歳の男性であり、とても優しい表情を浮かべている。

尾畠春夫さんは過去にも「東日本大震災」といった、
日本での被災地において積極的に出向き、ボランティア活動をしている。

彼の姿勢については下記サイトで語っているから、読んでおくといい。

参照:山口行方不明の発見って誰?

 

尾畠春夫氏「子供がいなくなったら…」

尾畠氏は子供がいなくなったら「上にいるみたい」と述べている。
大分でも行方不明になった少女を探したときの経験だそうだ。

尾畠氏の顔を見ると、ぼさつ様に見えるのは気のせいかしら。

一番は子供、特に男の子をしっかり見守る。
後で述べるが、私のような冒険が好きな男の子は必ず親が見ていないとき、
一人でどこかへ遊びに行く(冒険ごっこを行う)ので注意が必要だ。

 

気になる3日間の生活

藤本理稀(よしき)君2歳(2018年8月15日時点)は3日間の間、
どこでどんな生活をしていたのだろう。

2歳の子がどうやって2日間もろくにご飯を食べず、
無事に生きていられたのか?

 

誘拐されたのか?

もっとも考えられる展開として誘拐だ。
ちょっと姿が見えなくなったとき、誰かが理稀君に声をかけ、
さらって大騒ぎになったので、現場近くで放した。

もっとも考えられる線であるが、次の事実から否定される。

 

じっと動かずに潜んでいた

次に誘拐はなかったと考えてみる。
科学目線で考えるなら2日間、どこかで眠っていた。
周防大島の人間でないから詳細な地形はわからぬ。

洞穴や湧水のある場所で2日間過ごしていたという可能性が一つ。
水だけはもちろん、最小限の行動をとっていれば、数日も生きられる。

理稀君が歩いている際、そばに家があったとする。
彼は入らなかった。「知らない人」だから。

知らない人の家に入る、チャイムを鳴らす行為は勇気がいる。
おまけに彼が生まれ育った場所でないから、
祖父の家がどこにあるかわからず、どこかに足をおいた。

発見後、X線の検査をしたところ、3日間は何も食べずに過ごした

3日間も食べずによく生きていた。2歳だからこそできたのかもしれぬ。
もし大人だったらどうなっていたのだろう?

誘拐だったら空腹のままにしておくのか?
ご飯くらいは与えると考えるから、誘拐は違う。

 

そのほか気になったこと

大分の男性が見つけたときはどうだったのか?
警察は尾畠春夫さんの後に理稀君を見て、意識の確認を行った。

尾畠さんが彼を見つけたとき、立っていたのか。眠っていたのか。
どんな姿勢を取っていたかで、また変わる。

無事に発見されてよかったけれど、
人さらいの線も考えられるから、警察には頑張ってほしい。

なお下記参照サイトはアメリカの事例における、
幼児がいなくなって捜索した際、遺体で発見される事例と、
無事に生きて発見された場合について論じているよ。

参照:「全世界に広がる失踪システム」

 

三歳のころの私も行方不明に

私も当時3歳だったころ、一人であっちこっち歩き、
どこかで服を脱いで裸になり、海へ向かおうとしたところを、
私を捜索していた、姉の友達に保護された。

私の場合はいなくなってから3時間後に発見され、
それ以上時間がたったら警察に連絡して捜索願を出され、
今頃有名になっていたかもしれぬ。

いや、この世におらんかったかもしれん。

男の子にもいろいろあって冒険が好きだと、
一人で冒険の世界に入り、平気で寄り道や遠出を行う。

3歳のころの状態を母親に聞いたら、母はチェーンロックをかけていた。
(今の家にはチェーンロックがあるかな?)

チェーンロックをかけていた時、3歳の私は出られなかったが、
私が行方不明になったとき、うっかりかけ忘れていたようだ。

母が知らぬまま、私は一人でカギを開けて冒険へ……
そこから北海道の海に入水するところを助けられた。

当時3歳の自分に尋ねてもわからない。

当時の記憶はもちろん、裸になって海を泳ごうとしていたうえ、
姉の友達に保護された記憶など、一切ないからだ。

理稀君の件についても、周りは鮮明な記憶として覚えていても、
本人は「何がどうなっているか」分からないのではないか?

とにかく無事でよかった。
子供を育てる立場になると、子供がいないという言葉一つに対し、
ぞっとするようになったよ。

2歳から5歳当たりの特に男に子には気をつけてね。

理稀君の捜索に当たったすべての方々、お疲れ様です。

 

脱線:終戦記念日とお盆

今日はお盆であり、日本が敗戦した日でもある。
終戦記念日と書いたけれど、過去にこんな記事を書いており、
改めて読むと「記念日っておかしいね」思ったよ。

負けたのに記念日とする考えが日本人のいいところ?かもしれないが……

お盆はたくさんのご先祖様が地元に帰ってくる。
オカルトであって深く信じなくていいのだけど、
理稀君が無事に見つかったのも「ご先祖様の見えない働き」があったのかな?

霊的な現象は詳しくないのでわからないのだけど、
ご先祖様が理稀君を悪の手から守り、尾畠氏の手によって救われた。

ご先祖様も捜索及び理稀君を守るために力を注いだと考えると、
やっぱりご先祖様には感謝の言葉しか出ないよ。

目に見えない自分を守ってくれる存在に感謝をしておこう。
もちろん、異分野周りへの感謝も忘れないように。

感謝については上記記事で述べている。
感謝を怠ると、こういう運命が待ち受けやすいよ。

ちょっとまって

感謝よりもある不安が生じると、自分を含む世の中がやばくなるからね。
ある不安の正体は上記に書いてあるよ。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。