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自分の子供や孫に敬語を使う/話す親や祖父母は頭が悪い?

おはよう、しゃしゃ。
ある夕方のテレビ番組にて、70歳ほどの女性が出ていた。
女性が自身の孫に敬語を使ったところ、

母「この人は頭が悪い」

なぜだろう?

 

母「自分の子供や孫に普通、敬語を使う?」

テレビ番組は視聴者参加型の企画だ。

女性の子供に電話をかけてクイズに答えてもらう企画だ。

女性はこう述べた。

おばあさん

〇〇ちゃん(女性の孫)は北海道にお越しいただいたのですよ

すると母が言った。

このおばあさん、頭が悪い、育ちがなっていない。普通さ、自分の子供や孫に敬語を使わないでしょ。敬語を使うのは勉強やマナーを学んでいない証拠。だから(テレビに出ているおばあさんは)頭が悪い、。年を取ったら敬語の使い方なんて常識の範囲でしょ。

しゃしゃはどう思う?

敬語の本質から見れば、母の考えは理にかなっている。

少しばかり言葉に不安を抱いたので調べてみたんだ。

 

敬語を使う意味って何?

敬語は主にどんな時に使う?

すぐ答えられただろうか?
基本は敬う相手がいるときや目上の人に対して使う。

また相手をもてなすときに使う。
接客業では「おもてなし」を本質にとらえているため、
年下の人にも使っているよね。

敬語で調べていたら、金田一秀穂氏の後援会に訪れた人が
金田一さんの敬語に対する考えを述べていた。

以下の記事を一部引用したい。

敬語とはなんでしょう?

敬語は、相手を持ち上げて喜ばせるための言葉ではありません。
相手に対して失礼がないようにする言葉なのです

敬語というのは「相手と距離を取り、自分自身を持ち上げる言葉」であり、
仲良くなるための言語ではないと。

テレビアニメの世界で敬語を使うのは、だいたい悪役です。
自らの地位が高いことを示し、相手と距離を取るのに敬語は大変適しています。

敬語というのは、一人前の大人になってから習う言語なのです。
(だから子供や若者は使わないほうがいい)

引用元:子どもは敬語を使ってはいけません~金田一秀穂講演会~

敬語は相手に対して失礼が内容にする言葉と述べている。

あと一人、外山滋比古氏の本にも敬語について触れていた。

敬語は油のようなものであり、ぎすぎすした関係を作らず、
滑らかにその場で済ますための道具
だと。

また使いどころが正しければ、
「品のある人だ、侮れない人だ」見られやすい。

敬語はビジネスの場はもちろん、
社会に出てからいろいろな場面で叩き込まれる。

私のような自営業者は基本、独学で敬語を学ばなければならぬ。

敬語を学ぶなら古文の勉強が一番いい。
昔の言葉を学ぶだけでなく、敬語の正しい使い方を学べるよ。

古文の勉強についてはこちらを読んでほしい。

 

自分の子供/孫に敬語を使うのはおかしいわけ

親や祖父母が自分の子/孫に敬語を使う場合、
心理距離が遠い関係を示している。

祖父母や親が子供よりも立場が下側になっており、
社会の辛酸度合に差がある子供に対し、敬語を使うと……

子供は「俺は王様だ(独裁者だ)」勘違いを起こしかねない。

もちろんすべての子供がそうとはならないが、
親が子供に敬語を使うと、子供と直接触れ合うのが怖く、
避けているようにしか見られない。

気品のある家で育つならなおさらだ。
敬語の本質を理解せず、うわべだけしかマネしていない。

うわべで語ると、本人たちは「気品が高い」思っても、
周りから見れば「本質をとらえていないな、愚かだな」見られる。

テレビ番組で孫に対して敬語を使ったおばあさんに対し、
「あのおばあさんは頭が悪い」指摘したうちの母のように。

他には「子供をペットとして扱っているのでは?」

捉える人もいるし、子供を含む「みんな」に敬語を使う人は、
「自分の価値を見下している、自尊心が低い」そうだ。

参照:いつでも誰にでも敬語を使う人の心理学

 

敬語の本格的な勉強は社会人になって恥をかいてから

上記引用記事で金田一秀穂氏が述べているように、
敬語は社会に出て一人前の大人になってから使えばいい。

もっと言えば、社会に出てため口で目上の人に話をした際、
思いっきり損失(叱られる、殴られるなど)をこいてから、
学んだ方が身につくだろう。

もちろん、叱る側は「敬語の重要性」を伝えねばならぬ。
しゃしゃが上司なら敬語を使わない部下にはきちんと叱るべき。

敬語を使わないと、
「お前のところの会社って、その程度なんだな(ぷ、くくく)」と、
口や表情には出さないけれど、会社のレベルが分かってしまう。

その人の知的レベルまでもが分かってしまう。

すると取引において「騙す、乗っ取られる、不利に立たされる」など、
会社の損失につながるような攻撃をされやすい。

だからこそ、尊敬語、謙譲語、丁寧語の区別をつけたうえで、
敬語の重要性を教えていけば、会社の品も上がる。

個人の品はもちろん上司のレベルも上がり、
取引相手は「ちょっと油断できないぞ」と考え、
会社の損失につながる攻撃を防げる。

学生時代は敬語を使わなくてもよい社会で生きられるが、
社会人になると、言葉一つで「相手のレベル」が分かってしまう。

なおレベルはほかのやり方でもわかってしまうよ。
こちらの記事を読んでほしい。敬語の話とくっつけるとぞっとするよ。

 

私が記事に敬語を使わないわけ

私は「しゃしゃ」という読み手に語りかける感じで書いている。
くわえて距離が近い前提にしているので、
なれなれしい口調で書いているよ。

金田一先生の後援会を書いた人は敬語を使っている。

わたくしが敬語を駆使してこのブログを書いているのも、
敬語を使うことによって、浮世離れした魔女っぽさを演出するという、
無意識の企みがあったからかもしれません。

引用元:https://ameblo.jp/kazenoneshoten/entry-11589937948.html

きちんと目的や狙いを持つなら、敬語を使う必要はない。
読み手との設定を考えていないなら、丁寧語で書くといい。

 

日記:イラストでお礼をする
ありがとう

インスタグラムにイラストを載せています。
インスタを通して、フォロワーで仲良くさせてもらっている女性から、
お礼のメッセージが入ったのです。

インスタでのお礼記事

インスタ:kinderliebenfrohの記事

彼女はタイの人間で、主に英語を使って書いておりますが、
私は英語を読めてもうまく書けないのです。

そこでライティングの代わりに「イラスト」という形で、
私は彼女にお礼のメッセージを伝えました

イラストも言語と同じ表現手段の一つです。
言語はコミュニケーションを目的として使います。

たとえ言語が分からなく、自分が伝えたい言葉を伝えられなくても、
別な形(イラスト)で伝える方法はありです。

だからこそ、いろいろ勉強した方がいいのです。

芸は身を助けるといいますが、
芸はコミュニケーションの道具に使えるのです。

イラストをやる場合、まずはうまい/下手を一切考えず、
自由に自分の伝えたい想いを描く。

だんだんレベルを上げていけばいいと思うのです。

イラストはビジネス方面で使えます、実例をお読みください。

日本語一つにもレベルがあるように、
イラストもいきなりうまくなるのでなく、少しずつうまくなるのです。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。