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マレーシアマハティール首相側近が暴く慰霊碑撤去運動の本質から

おはよう、しゃしゃ。
虎ノ門ニュースを見ていたらマレーシアの話題になった。

マレーシア北部ケダ州の州都アロースターにある、
日本軍慰霊碑において戦死した日本軍兵士を『英雄』と書いたため、
「撤去しろ」と運動が起きていると。

ニュースを報じたところ、
軍事漫談家の井上和彦さんが強い助っ人を呼んでいた。

マハティール首相の側近で虎ノ門ニュースを見ている老人だ。

そこから思ったことを書きたい。

 

日本軍慰霊碑の経緯

中央日報の記事によると、慰霊碑は1941年にマレーシアで設置。
太平洋戦争の真っ最中、当時マレーシアにいた日本軍が、
連合国(敵)の兵士と一緒に自爆攻撃を試みた。

巻き込み爆発する前に日本軍3名がなくなった。

マレーシアは同時、どんな状況だったのか?

アロースター

1795年から続くイギリスによる植民地統治時代であり、
当時イギリス領だったマレーシアのマレーを奪った。

マレー作戦と呼ばれている。
(日露戦争時における日英同盟は1923年に破棄)

当時たくさんのイギリス兵がいたものの、
英国人より植民地だったインド軍やオーストラリア塀が多かった。

42年に日本軍がマレーシアの大半を連合国から奪った。

日本敗戦後、再びイギリス領に戻るのだけど、
一部のイギリス領(サラワク)とマラヤ連合がくっつき、マレーシアとなった。

イギリスから完全に独立はしていないのね。

マレーシアの大まかな歴史がわかったところで、
3人の日本軍のために慰霊碑が設置されたが補修をしていない状態だった。

ペナン日本総領事館の依頼(金は日本が全額負担)で、
「アロースターを征服した日本英雄」と案内板に書いた。

※中央日報の記事より。現地の言語で「制服」と書いているのだろうか?

華僑(外国に移住している中国人で、一部台湾出身者も示す)が怒った。

華僑の歴史を見ていくと第二次大戦の前に日中戦争が起きた。
日中戦争にて華僑は国民党に志願し、日本と戦った。

国民党は孫文、蒋介石、馬英九が有名で、
中国共産党との内戦で台湾に逃げた人たちだ。
台湾では現在「野党」となっている。

華僑は1965年の9・30事件(インドネシアが共産党を排除した件)から、
共産党も支持するようになった。

華僑が怒り慰霊碑を撤去しろと叫び、
慰霊碑の周りに「日本軍は英雄でない」と赤と白を用いて覆った。

参照:華僑の歴史

参照:マレーシアの歴史

 

マハティール首相の側近登場

マハティール側近

今日の虎ノ門ニュースに間接的な出演をしたマハティール首相の側近。
井上和彦さんがわざわざ彼を連れてきた。

出演部分:2019/4/3(水)-1:55:04あたりから

動画は数週間で消えるのでお早めに

側近は述べた。

側近

昔からマレーシアにいるチャイニーズは、慰霊碑の反対について興味を持っていない。後から入ってきた大陸の中華連中が運動を起こしている。

元からいるチャイニーズマレーは『私たちはマレーシア人だ。マレーチャイニーズといわないでくれ!』

華僑が後から入ってきて共同体を作り、反日や反マレーシア運動にいそしんでいる

私は横浜中華街を思い出した。
元からいる中国人と新しくやってきた彼らが争っている。

文化による考えの違いはもちろん、
思想や行動そして勢力争いを行っている

チャイナにおいては日本やマレーシアだけでなく、
アメリカなど別の国でも同じ現象が起きていると考えている。

華僑や華人を見る際、新旧を一緒に捉えてはいけない。

参照:横浜中華街で対立する二つの華僑

 

マハティール首相って何者?

2019年4月3日現在、マハティール首相について調べてみたよ。

1925年(大正14年)に英国領マラヤ島で生まれた。
現在93歳のおじいちゃん首相だ。

マレー作戦で一時期日本刀治療のマレー島で暮らしたのち、
再び英国領に戻った際、英国はマレーシアを「完全植民地」にすると決めた。

※完全植民地策は達成できなかった。

マハティールさんはイギリスの態度に独立運動と政治活動のきっかけを与え、
1963年にマレーシア議員として当選した。

1980年に首相となり地理の教科書で有名なルックイースト政策をとった。
(ルックイースト:日本の仕事姿勢を学べというマレーシアの労働政策。
インドのモディ首相も2014年あたりから採用している)

2016年に首相をいったん降りるものの、18年に復帰し現在に至る。

なおマレーシアにおいて最近の動きだと内閣総理大臣補佐官が、
マレーシアに訪れて貿易や防衛、北朝鮮対策の連携を行ったよ。

参照:マレーシア(外務省)

参照:マレーシア日本大使館

 

ロシアゲート事件と共産党の勢力争い

以下は雑記だ。
虎ノ門ニュースではロシアゲート事件も扱っていた。

トランプ大統領がロシアと共謀して、
米国民主党から政権をとったとされる疑惑だが、証拠はなかった。

むしろ反対のヒラリー陣営がロシアと絡んでおり、
FBIやマスコミ(特にCNN)の大半も手を組んで、
米国民主主義の危機に陥るかどうかの戦いだった。

ロシアゲート事件は藤井厳喜さんの解説をはじめ、
うちのフォロワーが詳しく語っている。

チャイナもヒラリー側にかかわっており、
チャイナ共産党の関係性もわかり、チャイナがどう出るか?

チャイナといっても共産党内部の派閥争いにどう影響を与えるか?

日本と同じように政府は与党のみで成り立っていない。
野党はもちろん与党の内部にも裏切者がいる。

上記ツイートでも習近平国家主席は台湾の結束力を固める発言を行い、
結果として台湾与党の支持率が上がった。

最初は「愚かだなあ」笑ってみていたけれど、
最近は「わざと」やっているんじゃないか?

共産党内部にいる台湾や日本と争いを起こしたい勢力を、
牽制させるためにもやっているんじゃ?

別の考えを持つ自分がいるよ。
最もチベット問題の件で習近平を信用していないけれどね。

 

ビットコインが50万円を超える

ビットコイン

一次北朝鮮への送金をはじめもろもろの事情で、
200万円から30万円まで価値が落ちたビットコイン。

およそ半年を経て30万から50万に戻った
仮想通貨価格は「コインを買う人が多い」とあがる。

3月後半から急激に上がりだした。

何を示しているのだろう?
現金(各国の通貨)を仮想通貨に変えるメリットは何だろう?

現在経済状況が非常にヤバイベネズエラの国民が、
仮想通貨にお金を変えているのだろうか?

ベネズエラ以外の国もかかわっているのだろうか?

政治を通して経済から自国通貨が使えないと気づくと、
別の使える他国通貨に切り替える。

日本メディアで報じられない、
報じても下火になっている世界の状況に目を通さねばならないね。

仮想通貨が下火傾向にあるからこそ、知らない間に上がっていた。
実は知らない間というより、多くの人が注目しなくなったからこそ、
今まで頑張っていた人が出てきたのかなと。

 

日記:令和に変わったね
レイア

先日、新しい元号が令和になりましたね。
私もインスタ画像で令和に関連したイラストを貼り付けました。

令和という言葉から騒ぐ人は騒ぎ、褒める人は褒める。

ツイッターはいつも通りだ。

メディアも含めていつも通りだよ。

ちょっとまって

今回はアジアと反日がテーマとなっている。
中華街とアジア方面だと過去にこういった記事を書いているよ。

当七時あ方面だとこちら。

地政学方面だとまずは二つの記事が参考となるだろう。

アジアの反日関係だと参考になるニュースはこれかな。

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プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。