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熊谷徹記者が日本メディアの真実知った姿に衝撃を受けた

おはよう、しゃしゃ。
さっきツイッターで在独ジャーナリスト熊谷徹氏が、
上記のようなツイートをしていた。

日本の記者は「市民の代表」と思っていない人が多くいて驚いていると。
熊谷徹氏のように日本の記者は昔に比べて落ちた。

彼宛へのツイートを読みながら、
少しでも信頼を勝ち取るヒントを見ていきたい。

 

河野太郎氏の返答と全容

熊谷徹氏の怒りのきっかけは河野太郎大臣の記者会見だ。
当日、河野外務大臣はロシア側に手の内を知らせたくないので、
質問のいくつかはお答えできないと述べた。

詳細はこちらの記者会見を読んでほしい。
メディアと違ってきちんと全文を載せているから。

日論関係の質問で「次の質問どうぞ」を4度繰り返している。

熊谷徹氏は「別の言い方があるでしょ」と、
河野大臣の役割を理解したうえで怒っている。

私もこの点において、彼の意見に賛同する。

4回も同じ言葉で受け返すと、記者を嫌っている印象があるし、
都合の悪いことには答えないよと傲慢な姿勢にもみられるからね。

※河野太郎ブログによると本人は「お答えは差し控えます」と、
回答すべきだったと反省しているよ。

河野大臣の記者会見を通し、上記ツイートを出した。
すると「記者は市民に代わって質問している」箇所に、
多くの人が引っ掛かりを覚えた。

河野大臣に質問する記者クラブは「市民の代表」なのか?
いや、市民の代表なんて頼んだ覚えはないよと。

メディアの現在だね。

市民の代表面を自称した連中であり、
昔と違ってメディアの様々な情報がSNSを通して流れるようになり、
業界の矛盾や怒りをぶつけるようになった。

メディアが信用されなくなった。
仮にチャイナの金盾のごとく、日本が徹底した情報管理社会になったとしても、
新聞やテレビの意見をうのみにしなくなると確信している。

現時点でうのみにしていないからこそSNSを通し、
いろんな情報が広がっていくのだ。

参照:河野外務大臣会見記録(平成30年12月11日(火曜日)13時39分 於:本省会見室)

参照:外務大臣会見記録(平成30年12月4日(火曜日)14時38分 於:本省会見室)

参照:河野太郎ブログ-次の質問をどうぞ

 

なぜナチスはメディアを敵視した?

熊谷徹氏のツイートを読んで面白いと思った箇所を一つ。
メディアに対する憎悪について、
かつてヒトラー率いるナチスもメディアを目の敵にした。

すると返信の多くが「ナチスがメディアを叩くのも理解できる」
意味を含んだ反論を彼に伝えた。

ナチス→絶対悪という形で見られなくなった。
相対悪であり、ナチスと反対側にも原因があるのではないか?

なお人工知能もこんな返答をかつて行っていた。

今まで「悪」とみなされていない側にも、
原因があるのではないかと国民がみなすようになった。

かなり大きな出来事だ。

今まで悪とみなされていない側が今度は「悪」とみなされ、
第三者が抵抗したり逃げたりするからね。

SNSが大した発達していなければ、熊谷徹氏の意見に共感していただろう。

昨今のメディアに対する情報取捨選択をはじめ、
メディアの印象操作テクニックも明らかになるにつれ、
メディアは善なる存在でないと認識した。

なお新聞による世論誘導テクニックはこの人が解説していた。

 

熊谷徹氏のお仕事とは?

熊谷氏はドイツに住んでいる日本人ジャーナリストだ。
経歴によると元NHKに入り、ワシントン支局勤務中に、
ドイツで起きたベルリンの壁を取材していた。

当時ドイツは東と西に分かれており、
東がソ連側の共産主義思想、西がアメリカの資本主義思想だった。

ベルリンの壁はドイツ国内にありながら国境の役割を果たしていたが、
東ドイツ国民が共産主義に嫌気をさし、出国や亡命を図った。

1989年に国外移住規制の緩和を図ったところ、
東ドイツ国民がベルリンの壁を壊し、東西ドイツはなくなり、
2年後に共産主義の一つ、ソ連が崩壊した。

前年の1990年から熊谷さんはフリージャーナリストに転向し、
ドイツのミュンヘンに滞在し、
日本人の視点からドイツの問題や現状を見ている記者だ。

上記ツイートにある絵をいくつか見ると、
彼は作画能力が優れているなあと思ったよ。

ほかのツイートでロボットイラストを描いているのだけど、
細かい部分など、何度スケッチを重ねたのだろうかと思ったね。

彼の記事:熊谷徹(ハフポスト)

 

意外と重要な外交史料館所蔵史料の検索サービス

記者会見の冒頭で過去の外交史料をネットで検索できるよう、
新たなサービスを行ったと外務省が述べた。

歴史学者にとって「より正確な」史料批判ができるし、
メディアの歴史認識に対してもツッコミができる。

私が知る限り、大きく報じられていないけれど、
歴史の勉強や史料批判をする人はぜひ押さえておくべし。

 

記者が既に国民(市民)の代表でなくなったという事実

熊谷氏への返信に対する批判のすごいこと。
気持ちはわかるし私も批判する人と基本、同じ気持ちだ。

私たちからすると、記者は政治家と肩を並べる権力者の一部だ。

いくらメディアが「国民の生活をなんだと思っているんだ!」怒っても、
「いや、お前ら年収1000万円以上もらっているじゃないか」と、
勝手に国民面されても困ってしまう。

実際はピンキリで1億以上もらう人もいれば、
300万円ぎりぎり、200万円以下と年収幅が広いと思っている。

「既存メディア=国民/市民の代表でなく政治家と同じ権力者の一部」
捉えているので、年収に関係なく権力を持った存在とみなしている。

ほかに記者会見に挑む記者たちは国民の信を問うていない。
政治家と同じように選挙で選ばれた結果、記者会見の場にいる人たちではない

あと、記者が質問するときほど、
「その分野について詳しいか、あまり詳しくないか」がわかる。

質問の狙いや内容によって、
第三者が「あ、この記者はここまでつかんでいるな」と判断できる。

視聴者も世の中を勉強しているからこそ、
記者の質問によって、どこまで物事を把握しているか?

簡単につかめるのだ。

個々で見ると記者はまじめで優秀だと思っているが、
全体で見ると「目立つ記者の愚かさ」が見えるせいで、
記者の質が下がっているとみなされている。

記者たちにしたら、私たちに対し、
「お前ら市民が考えるほど、記者は権力者じゃないぞ」

私たちからしたら違う。
おそらく記者が私の記事を読んでも理解できないと思う。

 

盲点だからこそ理解できない

なぜ記者は市民の代表でないという、簡単な事実すらわからないのか?

疑問に抱く方も結構いる。
記者だからこそ盲点であり気づかない。

別の例だと人様のイラストや文章を見たとき、
「君はあれをしたほうがいい、これをしたほうがいい」と、
客観的に見ているからこそ、簡単に指摘できる。

しかし自分の文章や絵に対して簡単に指摘できぬ。
書き手が自分であり必ず主観が入る

主観が盲点を作り、客観的な意見を引き出しにくくさせている。
ある仕事についているからこそ専門家であると同時に盲点もある。

盲点の存在に気づき、とりあえず受け入れたら、
来年あたり、ほんのわずかだけど記者の質が良くなるのではないか?

今回の出来事は記者が置かれている現実を、
ドイツにいるジャーナリストがきちんと認識したところに驚いている。

ツイート委によると彼は来年、本を出すらしい。
本の中でこの件について触れるかもしれないね。

 

日記:noteでめがうら「イラストver」を更新した結果
グリザイユ

今日、自分の画力を上げるためにグリザイユ画法を用いて絵を描きました。

主に髪の毛を細かくかわいくしたかったので、
髪の毛の光と影に意識を集中しながら描いています。

私が目指すような髪形をなかなか描けない。

しゃしゃが私の絵を見たら、いろいろ指摘できるでしょう。
私はできないのです、当事者だしどう塗り方を変えればいいか、試行錯誤中だから。

影塗りを終わっていったん保存した後、ピクシブである絵を見たとき絶望しました。
絶望へ至ったときの出来事をこちらに記しています。

上記リンクにある記事、本来は書こうかどうかすら迷いましたが、
めがうらという自分の裏側を出し惜しみなく提供するカテゴリーにて、
「裏側の一つ」として公開してみました。

すると「いいね」の数が多くてびっくり。
単なる思い付きでやり、記事を書いた後は後悔しました。

余計なことを書くんじゃなかった

しかし現実は自分の思う通りにならないものですね。
結果として「良い意味で」いろいろ気づかせてもらいました。

noteにイラスト関係の記事を書く前までは、

こんな記事を書いても意味がないよな。リサーチもろくにしていないから

思っていたのですが、ふたを開けないと分からないものですね。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。