おはよう、しゃしゃ。
「新しいことをやる前日ほど、脳みそが不安に陥り、
興奮して全く眠れない」日々を送っているなら朗報だ。
最近、自分の中にある「生活パターン」を自ら崩し、
いろいろな方面で「脳にとって計算外」の行動をとっている。
先日、義兄から「人材確保」のために期間限定のアルバイトを頼まれ、
私はパターンを崩すためにくわえ、
義兄のお世話になっているから引き受けた。
すると脳みそが全く納得いかず、
義兄のバイトで不安定要素ばかり記憶が再生され、
興奮して熱くなり、全く寝られない日が3日も続いた。
※明日から義兄の仕事手伝いをする予定。
興奮して眠れないとき、どうしたら寝られるのだろうか。
脳の暴走は内なる神の言葉を吐き出す時間

脳みそが不安や興奮によってさえ過ぎて眠られない場合、
睡眠薬を飲んで無理やり寝ても無駄だ。
内なる怒りを強引に抑えたまま寝るのであり、
必ず何かしらの形で外へ掃き出し、いざこざを抱えてしまう。
そこでやるべき作業として紙とペンを用意する。
A3のコピー用紙がいい。
ペンは万年筆でも油性ペンでもいい。
とにかく筆圧を費やさなくても気軽に書けるペンがいい。
やるべきこととして内なる怒りを紙に吐き出す。
脳内が抱える不安や混乱、怒りをとにかく書き出す。
書き出して少しずつ落ち着いてきたら、
「なぜ自分にこんな運命が舞い降りたのか?」
自分の内にいる神様へ訪ね、思い浮かんだ言葉を書き出す。
すると「内なる神がしゃしゃへ伝えたい言葉」に出くわす。
「内なる神があなたへ伝えたい言葉」を真言と呼ぶ。
真言を明らかにしたら体が寒くなり、脳も冷えて眠くなる。
さっきまであれだけ「カッカ」していたのに、
冷静になって知らないうちに熟睡できる。
簡潔にまとめると
- 紙に書いて怒りや混乱などの元を吐き出す
- 「なぜ自分がこの役割を演じるのか」と自問自答する
- 思い浮かんだ言葉をとにかく書きなぐる
睡眠薬を飲んで強引に寝る方法もありだけど、
内側にため込んだ混乱や怒りを外へ吐き出せないので、
何かしらの形で想定外のひずみを起こしてしまう。
睡眠薬を飲む前に心を静めよ
ゆっくり寝られるときとそうでないときの違いとして、
私の場合は精神にかかるストレスが一番大きい。
私自身は落ち着いても「脳みそが興奮」していると抑えが利かず、
いくら自分の言葉で自分をなだめても無理である。
そこで睡眠薬を飲み、無理やり怒りを鎮めても、
怒りの本質、苦しみの根本、悩みの根源はわからぬままだ。
何より内なる怒りによって体中がホカホカな状態であり、
全く寝られる状況ではない。
睡眠薬は「無理やり寝るための手段」としてみている。
今出ている睡眠導入食品は睡眠に必要なホルモン分泌を促し、
快適な眠りをもたらすのだが……
心と向き合ったうえで睡眠導入食品(or睡眠薬)を飲んだほうが、
気持ちもすっきりできると確信している。
私から見て睡眠導入食品や薬は、
「内なる自分の気持ちに向き合わず、無理やりふたをする」感覚であり、
いらだちの本質に向き合わない状態で飲んでも意味がない。
いらだちというよりは「内なる自分が表に出したい言葉」
を明らかにしない限り、飲んでも不満がたまるだけだ。
心の処理は紙とペンさえあれば簡単にできる。
処理した後に睡眠食品を飲むと、ぐっすり寝られると確信している。
日記+実践:心屋仁之助さんの本を読み

インスタグラムでイラストを上げています。
今回はグリザイユ画法をもとにしたイラストを描きました。
私の脳みそが混乱と怒りに震え、
いくら寝ようとしても次から次へと「最悪で不幸な自分」を想定し、
全く寝られませんでした。
義兄の頼みを断ればよかった……後悔しています。
義理人情で引き受けるのも、ストレスをためるだけかも。
けれど「引き受ける」という選択肢を選んでいなければ、
脳みそによる混乱から紙にいろいろ書き込んで、
「自分が求めている何か」に気づかなかった。
私の脳みそから見れば、義兄の頼みを引き受けたのは「大失敗」だけど、
内なる心や空から見ると「次への第一歩であり成功」じゃないか?
自分が考える成功は内なる心にとって必ずしも成功ではありません。
成功するとしたら「内なる心が震え、自分もにんまりした」ときです。
自分の脳から見れば「失敗」でも、
内なる自分や空から見れば「成功」に入ったのかな?
そう考えています。

昨日も全く寝られず、脳みそが勝手に苦しんでいました。
やるといっても年末までの期間限定であり、一生ではありません。
眠れないときに自分は何を書いていたか。
自分の選択を呪っていました。
呪いつくしていろいろ書き込んだ後、
なぜ自分は義兄から仕事を頼まれたのか? そして引き受けた意味は何か
頼まれた意味について考察を始めたのです。
するとそばにあった心屋仁之助さんの本に目がとまりました。
心屋さんのお金に関する本の特徴として
- 存在給:いるだけでお金をもらえる気持ちの在り方
- お金を受け取ったら出すorお金を出して受け取ったら再び出す
心屋さんは「お金を受け取ったら出す」書いてあり、
あるいは「先にお金を出して豊かさを呼び込む」書いています。
この部分において、気づかされたのです。
自分は記事を書いて広告料ほかでお金をもらっている。存在給の考え方も合わせると……お金の代替物として記事を書いて更新(記事というお金を出す)し、お金(やお金につながる情報など)を取り入れ、出しているのではないか?
目の前にある豊かさを出している事実を、自分は認めていないだけではないか?
自分で認めていないから、頑張っていろいろ記事の質を上げなければ、上げないと……と、存在給の考えから遠ざかり、歩合給に染まっていたのではないか?
この考えを導き出した途端、脳による怒りは一気に収まり、
体が冷えてすんなりと眠れるようになりました。
※途中深夜ラジオ(もざちゅー)を聞くため、
家内に迷惑をかけないよう、イヤホンを差し込んで聞く。
今は比較的穏やかです。
眠れないときは無理して寝るのでなく紙にいろいろ書き込み、
自分の本心と向き合って、何かを導き出せばいいのではないか?
私は思っています。
