
ども、しゃしゃ。
迷惑という単語から「迷う」という言葉を変ええた
はづき虹映さんの不惑心という本を手に取った。
本というのは作者の裏側を書いてあり面白い。
はづきさんも例外でなく不惑心に気持ちを書いていた。
冒頭にあた「仕事」の部分がかなり衝撃的だったよ。
やりたい仕事をやった結果

はづきさんはやりたい仕事をやった結果、
かえってやる気がなくなったと述べている。
じゃあ「儲かる仕事」を見つけるべきかといったら違う。
答えは不惑心の冒頭を読んでほしい。
しゃしゃがこれから読むと想定し、以下の情報を書いていきたい。
はづきさんですら「やりたいことをやった結果、
仕事に対するやる気を失った」ところに驚いた。
私もそうだったし、今の仕事もおそらく、
「仕事か?」言われたら「うーん……」悩む。
私の仕事は「循環」であり、しゃしゃにとって「心が求めている何か」と、
「すでにある何かしらの情報や商品」を変えていく。
そこに広告が絡み、広告収入なり、
自作品を見てもらったりその他、何かをしてもらったり……
広告を貼るのが私の仕事ではない。
あくまでも仕事は「循環を作る」であり、
広告や自作品は「循環を生み出す手段/結果」でしかない。
自作品においてはづきさんと私の考えは一致している。
はづきさんも私も「それ仕事?」疑問がつく内容を、
仕事にしているからこそやる気も出る。
ビジネス系の内容で類似の指摘がある。ぜひこちらも読んでほしい。
はづきさんの不惑心に対するエピソードから
はづきさんはブログをやっている。
不惑心に関するエピソードで面白い内容があった。
魔法の手帳は毎年出しているけれど、
自身の想いや仕事に対する体験談や気づきなど、
きちんとした書籍は15年ぶりなんだとさ。
書籍を出すとき、誰かさんに尋ねられた。
「はづきさんは、自分で書かれるのですか?」
最初は何を言っているのか、わからなかったのですが、
最近は著者が自分で書くことの方が、珍しいくらい…。インタビューを元に、ライターさんにまとめてもらって、
本にする…という、やり方が一般的になって来ている時代に、83冊のウチ、そのほとんどを自分でコツコツ書いているのは、
非効率的というか、前時代的というか…。 (^^ゞやっぱり「古いやり方」なのかもしれません(苦笑)。
はづきさんは自身のやり方を「古い」と述べている。
この考え方に反対の意見として堀江貴文さんの多動力にある。
今、私が書いている記事も自分で書いている。
将来はAIに任せてしまうのかもしれない……
人工知能や道具、他人に記事を書かせたっていい。
仕事の本質は次の部分にある。
「他人に書かせてもいいのだけど、
やっぱり自分が書きたい。だって書きたいもん」
やりたくないならお金を払ってプロに任せるか、
それでも書かなければならないときは自分で書くしかない。
書きたくないなら書かなくていい。
他人に書かせたくない、自分が書きたくてたまらない!
面倒で手間もかかるし、あまり得られるものはないけれど、
伝えたい、書きたいものがあるから私が書く。
はづきさんはこう述べている。
ただ、私は自分の書く文章が好きです(笑)。
自分の文章の文体というか、リズムが好きなのです。自分が自分の好みで、好きなように書いているので、
当然と言えば当然で、それが「作家」という仕事だと
私は思っているのですが、その考え方自体、
もう古いのかもしれません…。引用:『新刊「不惑心」、できました!』
他人に任せる方法はある。
私ははづきさんの熱心な読者でないから、
はづきさん以外の人が記事を書いてもわからぬ。
そこはどーでもいい。
内側から生じる「伝えたい思い」を自分で書きたいから書く。
内なる思いを出していくのと、それ以外の気持ちでやるの、
どちらかといえばどちらが今後の自分にとって良いと判断した?
どちらを選んでもいい。
自分じゃ引き出しにくいなと思ったら他人に任せ、
「自分じゃないと嫌だな」こだわりを持つなら自分がやればいい。
不惑心を手に取ったら

書籍を読んだら読んでおしまいではいけない。
彼が伝えた思いを簡単に実践できるところからやり、
少しずつ自分の生き方や考え方を変えてみよう。
宇宙からのメッセージを受け取るためだけに読むの、
非常にもったいない。
形にできるところを少しずつ実践し、
「結果、どうなったか?」データを出し、初めて生のノウハウとなる。
単に読むだけでなく、英語の勉強のように気になった部分を書き、
声に出して読み、少しずつ実践して自分を変えよう。
アマゾン:不惑心
自分を変える際、一番の敵は自分だ。
だからこそ変えるには自分の気持ちを無視せなあかんのね。
唯一丹田から生じるわくわくだけは従い、
あとは無視してこの本に書いてある内容をもとに、
試行錯誤をガンガンこなし、面白く自分を変えてみよう。
