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徹の部屋にて安倍総理「インドでの歓迎は私でなく日本」の面白さ

おはよう、しゃしゃ。
ツイッターを見ていたら、ネット番組に安倍総理が出ていた。
(アベマでやっていた徹の部屋という番組)

インド訪問した際、安倍総理らが歓迎を受けたが……
日本のメディアでは大きく報じなかった。

すると安倍総理がおっしゃった。

「私が歓迎されてるのではなく日本が歓迎されているのです」

この発言ってすごいなあと思ったよ。
同時に有権者として、日本国民として「学ぶべき目標」もあるよ。
(しゃしゃが日本以外の国民なら、後で述べる思想を学んで実践してね)

 

私でなく「日本」が歓迎されている

インド訪問中、大規模なパレードがあった。
安倍総理が熱烈に歓迎を受けたうえ、
モディ首相のツイッターがめっちゃ更新されていた。

パレードは日本のテレビでほとんど報じられなかった。
インド訪問をした事実すら、多くの人は知らないのではないか。

首相の訪問は「国益」がついて回る。
インド関係に携わる企業に対し、何かしらの便益が現れるだろう。

ところで、安倍総理が述べた発言
「私ではなく日本が歓迎されている」

彼は「自分だけ」を見ていないんだ。
日本の「一人」と大きな視点で語っている。

安倍総理が大規模な歓迎パレードを受けたら、
たいていなら浮かれて「あれは私のために歓迎してくれた」
思ったって、ちっともおかしくない。

日本の総理大臣とは言え、
安倍晋三(+夫人など)という個人がおもてなしを受けたら……
「俺って人気があるんだ」捉えてもいいんだ。

あなたが人気というより、背後にいる「存在」が人気。

とはいえ、リーダーがおかしい人だったら……
モディ首相の扱いも丁重でないと思う。

安倍総理の発言を他の代表はできるのか。
「自分の手柄」より「みんなの手柄」として考えられるのか。

リーダーとして責任を鍛えねば難しいだろう。

関連:インドのエレクトリカルパレードに笑った

関連:前原誠司さんが北朝鮮で叩かれる一方、安倍総理はインドで

 

台本なしでサラッと強調しないでいえるすごさ

「私ではなく日本が歓迎されている」発言。
「日本が」という部分こそポイントだ。

日本の代表として、日本にいる人、日本人が歓迎されている。
安倍総理だけが歓迎されたのではない。

日本全体(日本人、日本国籍を持った外国人、反日思想を持つ日本人、
日本にいる外国人は含まれるかなあ……)が歓迎されている。

全体意識というものだ。
普通、しゃしゃが国の代表から褒められたら、

「ああ、俺(だけ)は○○さんに褒められている」思うだろう。
気持ちが浮かれる時ほど、自分の地位に喜びを抱くと同時に、
「自分」に意識を集中しすぎた結果、油断が生まれる。

名誉や権威といった欲望を周りに見せてしまい、
「名誉・権威をより刺激すれば、油断が生まれる」
相手に心理弱点を見透かされるわけだ。

名誉・権威が見せる心理弱点を見せぬためには、
「自分」を脇において「全体」で捉えなければならぬ。

全体例として、総理の「日本が」は良い。

 

上に立つって怖い試練ばかり

トップに立てば、言葉一つからも「弱点・特徴」がわかる。
弱点や特徴はそれぞれのプロが分析し、
武器や防御として、次の戦いへ使われる。

例えば前に安倍総理が一部の連中に対し、
「こんな人たち」発言したら、メディアが利用した。

相手に攻撃を与える隙を作ったわけだ。

だから今度は「こんな人たち」を言わないよう、
相手の挑発に乗らないよう(乗るかもしれないが)演説場所を変えている。

「現実に起きた出来事、やらかした失敗」を捉え、
「次は」どうしたらいいか?

データを元に仮説を立て、改善していくやり方だ。

上に立てばたつほど、より高度な仕掛けを相手がやってくる。
針の孔ほどの隙を見せたら、大きい穴をあけられる。
私たちにはわからない戦いが行われている。

総理の「日本が」発言も、隙を作らせないための考えであり、
彼自身が何年も日本のトップとして働いているうち、
日本をどうありたいかが見える一面だ。

他の野党はがんばらないといけないね。
彼らはどこまで見えているのだろう。

自分の、自民党の利益だけでもなく、
「日本(総理を嫌う人、死んでほしいと願う人もいる)」
の利益のために発言をとる

普段は口で言えても、台本があるときは言えるけれど、
「いざ」問われたときに「日本が」を言えるか?

「いざ」発言を求められた際の行動こそ、
その人の「レベル」がわかってしまうよ。

 

実践「日本が」意識

私は安倍総理がサラッと「インドでは私でなく日本が歓迎されている」
発言がすごいと感じた。しゃしゃはどうだろう?

自分にとって「すごい」思った考えは取り入れたほうがいい。
自分も他人から「すごい」みなされるから。

(みなさない人もいるけれど、私のような人もいる)

例えばしゃしゃがブログ記事を書いた。
結果、多くの人が読み、SNSで拡散され、読者の人生を少し変えたとする。

その際、読者の人生を変えたのは「しゃしゃ」というのでなく、
「日本が必要だから、私を通して描いた」言葉を変えねばならぬ。

私という発想・視点でなく「日本が」に切り替える。
するとツイッターでの発言も「私が自由に描いている」のでなく、

「今、そして今後の日本に必要だから、私を通して描かせていただいた」

日本を主体にして、私という存在を考えられる。
「私」は日本の中に含まれる。

私が記事を書く=日本が私に記事を書かせる

多くの場合、私が記事を書く→私だけが気持ちいいから書く
「私」という視野でしか考えられず、「日本=全体」で捉えられないよ。

今から実践してみよう。しゃしゃが行う仕事に対しては、
「自分が給料を得るために仕事をしている」から、
「日本にとって必要だから、私を通して仕事をさせていただいている」

「日本」を主語にして「私」を目的語にする。

姫様

趣味も同じだ。私は作品を書いているが、何のために描くか。
「自分が描きたいから描く」だけだと、視野が狭くなる
創作においてこの考えは確かに必要だ。

「日本がこれからの時代、こういった考えが問われる時代が来る。
だから先回りして、作品を通して問いかけをしていく。
そのために私を使っていただいている」

 

人生に行き詰まっているなら

自分の人生、これから先……大きな発展がない。
もっと大きな舞台で活躍したいのに……

人生に悩みを抱えているなら、安倍総理の発言はヒントへつながる。

「自分が」発想を脇において(むしろごみ箱に捨てて)
「日本が」より大きな意識へ切り替える。

日本が難しいなら「地元」がで十分だ。
「地元」ですら難しいなら「家族」が「読者」がに切り替える。

難しいことは考えなくていい。
「日本が」発想へ切り替えた際、自分の仕事を改めて見つめ直そう。

見つめ直す方法として、
「今やっている仕事が日本の未来において、必ず役割を果たしている
「自分が楽しいと感じる趣味が、日本の未来に必ず貢献している

どうやって役立つ・貢献しているかはわからなくていい
神の領域で、わかろうとするから自己否定へ陥り、うつになってしまう。

誰かに尋ねられて応えられなくてもいい。
とにかく「自分がやっている仕事・趣味や必ず日本に役立っている」
宣言してしまおう。理由は後からついてくる。

理由をいくつか思い浮かべたとき、人生の行き詰まりも打破できるよ。

 

次世代へ公共視点を育てる

「私が」ではなく「日本が」を自身の中に植えつける。
簡単だけど大変だ。

普段から自分の仕事に対して「自分のために」でなく
「日本の未来のために」でやらないと、すぐ「自分」へ戻ってしまう。

日本といっても日本国民、愛する家族や仲間……
たくさん思い浮かべながら、彼らの未来を後押しする。

「私が」に凝り固まると、他人への罵倒や蹴落としも平気でできる。
(いわゆる保身。自分が一番大切だからできる行為)

自分が一番かわいい人ほど、顕示欲も高い。

そういう人は政治の世界他にたくさんいる。
彼らは支持されているか? 言われるとそうではない。

少数派には支持されるだろうが、多数派は支持しない

むしろ「こいつの言っていることがおかしい
矛盾を指摘され、叩かれる。

私はブログを書く以上、一つの責任を持っているよ。

「これからの日本にとって必要な考えや視点、チャンスを書き、
気を付けていれば避けられる危機、気づけば面白いチャンスを載せる」

「この考えが後の日本に必要だから、
仲間や友達、他人にも伝えたいなあ~」
思ったら、
ツイッターやフェイスブックのシェアで伝えてほしい

はてぶでコメントするのもいいよ。結構伝わるし。

「周りに必要かつ伝えたいなあ~」思ったらやってね。

全体発想を通し、自分を回りを育てていこう。

 

こちらの作家も似た発言を

ちなみに総理の発言と似たものとして、
作家の百田尚樹さんが歴史に関する本を記した際、類似発言をしている。

レベルの低い人は「自分だけが」に偏りやすいが、
だんだん仕事をしていくだけで「周りも」という全体的な発想へ向かう。

自分一人だけの問題でない部分こそ、日本の強さであり、
同時に弱さなのかもしれないね。

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プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。