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他人や自分自身の妄想に媚を売って弱者のふりを辞めた結果

三条

おはよう、しゃしゃ。
媚を売るという単語がある。

相手に機嫌をとる意味だ。

今まで私は「変に」媚をうっていた。
他人はもちろん、自分自身にすら媚をうっていた。

去年交通事故を起こして生死を少しさまよった際、

「あ、自分は一度死んだのだ」

実感し、生き方を見直した。
結果「自分はむやみやたらに媚を売っている」と気づいた。

早速媚をはずすためにこんな行動をとった。

 

インスタ片思いフォローを外した

片思い

媚を売るという行為に片思いフォローがある。
自分は「この人をフォローしよう」思ったのだけど、
相手はフォローをしていない状態を片思いフォロー
いう。

インスタはいったんフォローしておいて、
時を見計らって「わざとフォローを外す」人もいる。

私から見ると失礼な奴でしかない。

片思いフォローの中には自分よりもすごい絵描きがいた。
フォロー中の人が1000くらいいた。

媚を売ろうとしていたんだ。
「彼らをフォローすれば、そのうち自分の絵も有名になる」

自己を通して媚を売るのをやめた。
片思いフォローなんて外せばええやないか。

片思いフォローをはずすアプリを見つけ、どんどん外した。
結果1000→460と大幅に減ったものの満足している。

片思いフォローをはずした際、
「自分は他人に勝てない、他人が書いたイラストに負けている」

他人はそんな気持ちを思っていないが自分自身は違う。
自分自身の内面は劣等感を抱いていた。

そして「負けている自分の姿」にひれ伏していた。
戦う前から負けている心理状態に気づいた。

実際は勝敗などないから劣等感すら抱く必要もないのだけど、
「いつの間にか、自分は相手に負けているのではないか?」

どこからともなく疑心暗鬼に陥り、劣等感を抱くばかりか、
「戦う前から負けた心境」に陥る。

結果、欲している未来を全く手に入れられないどころか、
最も欲していない成果を得てしまう地獄に陥る。

※地獄を味わうと「なんだ、地獄も苦痛もこの程度か」気づき、
強くなるからおすすめなんだけどね。

私はインスタ片思いフォローを削除した。
同じようにツイッター片思いフォローも少しずつ減らしている。

一部で話題のインフルエンサーとは正反対の向きに走っているよ。

後、いいねを少しでも多くもらいたいためにフォローするときがあるのだけど、
細菌は「いい値をもらうためにわざわざフォローするのもなあ」思っている。

 

自分が出す作品に恥じなくなった

もぴ

なぜ人は媚を売るのか。
売る相手に「気持ちの上」で負けているからだ。

実際に勝敗はない。

「どう見ても勝てない、ひれ伏さなければならぬ!」

己の気持ちにある「妄想上の怪物」が大きくなり、
相手と接する前から負けた気持ちになり、こびをうる。

劣等感を募らせ、自分より下とみなした相手に対し、
容赦なく八つ当たりを行う。

仮に彼がトップになっても、
必ず「媚を売る相手、ひれ伏す相手」を心の中にみつけ、
接する前からひれ伏してしまい、劣等感にさいなまれる。

すると自分が出す作品をはじめ、実績やすごい部分など、
ありとあらゆる部分で外へ出す前に……

「自分よりはるかにすごい人」と勝手に比べ、
「自分はすごくない、ダメな奴だ」決めつけてしまう。

媚をうると「自己否定」につながる。
それでいて「強い奴と戦っている」自分を演じようとする。

自分が定めた「強い奴」と一人で戦い、
そもそも勝負すらしていないのに「負けて」しまい、
さらに劣等感を募ってしまう。

私の中にも劣等感がある。
劣等感を一つ出すと、自分の作品が下手でだめで、
なんでこんな〇〇作品を出すんだ!

とことんダメ出しが入り、出すのをためらう。
チャンスの波に乗っかるのを恐れ、手放してしまう。

作品を出すときも「脳内にある自分」にこびを売ると、
すぐ比較や否定を始めてしまい、何も出せなくなる。

ただ時間だけが過ぎていき不満が残るだけ。

交通事故を通して自分は考え直した。

なんで自分は妄想上の自分に媚をうらなければならないのか。
なんで自分はひれ伏さなければならないのか。むやみやたらにへりくだらなければならないのか、おかしいだろ

だから中途半端、矛盾があってもいいから出すようにした。
すると遠慮がなくなった。

 

何もやることがないと思った場合も媚が関係している

てめえ

しゃしゃはサラリーマンだろうか、クリエイターだろうか、
ビジネスマンだろうか、あるいはその他、なんだろう?

全ての人間は芸術を出すべきと考えている。
芸術といっても絵画や音楽といった分野だけでなく、
仕事にまつわる日記も芸術の一つだ。

自分は自分の範囲でしか物事を知らぬ。
しゃしゃが仮に大工なら、大工としての視点があり、
大工だからこそ書ける日記もある。

私は大工でないから大工に関する日記を書けぬ。
大工さんが大工に関する日記を書いた結果、
大工という仕事が芸術へ変わる。

芸術とは「人間の営みを何かしらの表現に表した手段」捉えてくれ。

表現という視点で考えるなら仕事そのものも芸術だ。
少しでも「昨日より質のいい商品を提供したい」や
「昨日よりも成果を出すためにあれこれ実験する」

自分で目標を定め実行したら芸術へつながる。

ところがやりたいことに対してやる気がないとき、
「媚」が深くかかわっている。

「やりたいことをやるな」という、
どこからともなく「劣等感を抱く自分」に対し、
媚を売って言うことを聞いている。

だから何もやることがなくなる。
やりたいことに関して、実行を避けようと考える。

もちろん、己が望む結果や未来に行かない。

なぜ結果もろくに出さない「劣等感を抱く自分」に対し、
媚を売らなければならないのか、脅迫されねばならないのか。

己の心にある「妄想」に媚をうってどーするんだ。

媚を売るのをやめてみよう。
すると「やりたいこと」に目を向ける。

必ず心の中で抵抗も生じる。
「そんな恥ずかしいことをするな」と。

無視でいい。媚をうらなくていい。
恥を出していいから歩け、そこに道はある。

 

第三者にこびを売る自分が嫌だ

月の女神

第三者へ媚をうる自分が嫌だなと思ったら、
媚をうるのを実際にやめてみよう。

仮にその会社が首になっても上司から嫌われても構わない。
むしろ嫌われた方がいい。

媚を売って不快感を抱くなら、いっそ嫌われてしまえ。
嫌われたって死なないし、生きる場所はある。

嫌われるという行為はすかれるために必要でなく、
媚を売らず「自分がやりたいこと」に焦点を当てるために、
必須の覚悟であり、自分の殻を破るための試練だ。

「媚を売るのが嫌な自分」の声に従ってみよう。

必ず「そんなことをしたら上司からいじめられ、
この会社にいられなくなるぞ」といった脅迫が、
しゃしゃの心から生じてくる。

「どうぞご勝手に、こんな会社、こっちから辞めてやるよ!」

媚びる必要なんてない。
特に「怖くてたまらない妄想をする自分」にこびる必要などない。

 

売らなければならないという媚

初恋

第三者は人以外にも言える。
私ならインスタフォロー、ツイッターフォローはもちろん、
自分が出す作品の価値についてもだ。

「自分が出す商品は売れない」と考え場合、
「売れない自分」にこびを売っているだけだ。

売れなければならないと考え、売れない結果におびえる。
すると売らなければならないという考えに媚を売る

売らなければならないという考えは
「作品をより多く購入してもらわなければならない」や、
「より多くダウンロードしてもらわないといけない」や、
「より多くの人からフォローされなければならない」など……

ねばならないと決めた時点で、すでに自分自身に媚を売っている。
だからこそ「ねばならない」をはずしてみよう。

すると「自分の作品も売れていいよね」をはじめ、
「フォローするのでなくされてもいいよね」と、
別な考えを抱くから、ぜひやってみてね。

ということで今日は日記でした。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。