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ザ・チケット(108)感想!恐ろしいエゴの動きがやっとつかめた!

おはよう。電子書籍紹介をする。
先日、うちのツイッターフォロワーにすすめられ、一冊の電子書籍を買った。

108さん執筆「ザ・チケット」だ。

ページを読み終え、ノートを使って勉強していくうち、
私の中で違和感を抱いていた想いに対し、はっきりと答えを出してくれた。

 

本購入のきっかけ

きっかけは私のフォロワーとやり取りした際、相手からチケットを教えてもらった。
上記ツイートにあるオポノポノについてはこちらを読んでほしい。

フォロワーから教えてもらい、即座ではないが即日に購入した。

 

著者108さんとは

フォロワーに教えてもらうまで、108さんなど知らなかった。
動画ではきちんと顔を出し、視聴者からのコメントなどに答えている。

ブログだと、養成講座に関する告知を行っている。
主な活動はYOUTUBEになる。

以上だ。以下、読書感想文だ。

 

ザ・チケットを読むための必要条件

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ザ・チケットを読むには条件があると、私は考えている。
もちろん誰でも読めるが、内容のすごさを実感できるかどうかは条件がある。

  • 自分は一人で生きていないと自覚できているか。
  • 自分の中に「脳と魂」における思考の違いを認識できているか。
  • 自分の中に別人格があると認識できているか。

私たちは基本、自分で物事を考えて、自分で決めて動いている。

「自分で物事を考えて」という部分、本当に自分で考えているのか?

脳みそは混とんだ。様々な情報が竜巻のごとく回っている。
様々な情報において最も感じる情報は、自己否定的な言葉だ。

「お前はフォロワーもいない、誰からも信頼していない。
どうやってもこの先、お先真っ暗だ」

自分の価値を少しでも下げる言葉が最もよく脳内に響き渡る

一方で「自分は優秀だ、絶対の正義だ。自分は間違っていない」

自分の価値をあげつつ他人を見下す言葉も良く響き渡る

脳内に響き渡る自分の言葉を、一度紙に書いてみよう

どんな言葉でもいい。きちんと紙に書いたかどうか。
紙に書ける人がチケットを読むための条件と考えている。

チケット自体は誰でも購入できるし読めるけど、
自分の中に「自分とは違う何か」がいると認識できないと、

「この著者は頭おかしい。非論理的な宗教本だ。
ノウハウやメソッドに再現性もないし、買って損するだけ」

頭おかしい人の意味不明な言葉を読んでいるのみだ。
あなたが私を「精神病患者・お花畑な人」みなしているなら、チケットは読まない方がいい。

 

自分の中にいる「別な自分」を認識できる瞬間

人生は常に思い通りにいかない
思い通りは「自分の期待通り」にいかない意味ではあるが、
いい意味にも悪い意味にも使われる。

「期待外れだった」自分にとって悪い意味と、
「まさかこんな展開になるとは、あああ、ありがたい」いい意味とだ。

予想通りにいったとしても、完璧な意味での予想通りではない。
必ず予想しなかった部分が現れるため、現実は思いの外に向かう。

自分の予測に反した現実と向き合った際、
「自分の意思では到底できない展開がある」考察した時、
初めて別な自分を認識できる瞬間がやってくる。

別な自分はわずかのみ顔を出し、すぐ今の自分に引っ込まされる

 

チケットを実践したら願いはかなうのか?

チケットに書かれてる内容を実践したら、しっかり効果が出るか?
再現性について記していくと、基本わからない

私の場合、再現性目的で購入したのではないし、
チケットに書いているメソッド自体、自分がすでにやっている行動だ。

すでにやってて実際にかなった願望もあれば、全くかなっていない願望もある。

叶った願望例として、私はゲームを作っている。
ゲームにて複雑なプログラミングを組んだとき、原因不明のエラーが生じた。

どうやっても解決できない。
だからこそ問題解決自体に費やす思考を捨てた。

すでに解決したものと勝手に置いて過ごした。
するとひらめきが生じ、少し試行錯誤して願望がかなった。

願望達成はチケット以外でも記載されている。
代表例として心屋さんの本やオポノポノだ。

一方で達成しない願望もある。
私もnoteなどで有料物を出しているが、思った以上に売れない。

願望達成メソッドをあれこれやっているのに、達成しないときは容赦なく「しない」

達成しない意味で効果はないとも見える。

「どんな目標も、絶対にかなわないのか……」失望と怒りに満たされる。

一方で達成した願望もある。疑問が生じる。

 

達成した願望としない願望の違いって?

達成した願望は「そこでゴールでない」願望だ。

例えばゲーム作りは「ゲームの完成」がゴールであり、
プログラミングエラーからの脱出は到達地でなく通過点だ。

到達地点(ゴール)があるうえで、通過点を通る(=願望)は達成する

通過点であり、何が何でも到達点にたどり着きたいからだ。
通過できなければ別のやり方でもいいのだから。

一方達成しない願望はゴールがあるようでない
むしろ通過点=到達点となっている場合だ。

私の場合だとnoteで有料物を販売している。
売上数は通過点というより到達地点とみなしていた。

売上さえ出れば、後は「もっと、もっと売上」なっている。

通過点でなく到達地点と捉えていた。だから叶わない。
自分の中で「単なる通過点」と認識していないから。

大きな化け物に挑むような怖さがあったから。

ここで一つ、大いに疑問を抱いてほしい。

私は「だから叶わない」書いた。本当にかなわないかはわからない。
あくまでも「私がそう考えている」程度だ。

別の理由もあるだろうし、理由すらないかもしれない。
自分で判断している」が超重要だ。

 

ザ・チケットでわかった二つの領域

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私がフォロワーからすすめられ、即日に購入し、印刷して読んだ。
もっとも私の人生を変える衝撃表現がエゴだ。

一章(およそ100ページ分)こそが一番重要で、後はおまけだ。
私が読んでて最も感動できた部分は「エゴ内/エゴ外の領域」だ。

物理で例えるなら重力の影響を受ける地球圏内と、
無重力の働く(=影響を受けない)圏外ほどの違いだ。

エゴ内/外こそ「別な自分」を知る機会だ。

エゴ内も外も全て「自分の中」にある。
「自分の中に別な自分がいる」を認識できていないと、
外に向かうようでエゴの中にとどまり、同じ道をぐるぐる歩む。

エゴの正体・特徴がわかると、私たちはエゴの外に突き進む生き方を求める。

チケットで最も重要な部分が「いかにエゴとおさらばした世界に進むのか」であり、
いつの間にかとどまっていたエゴ領域に気づき、自覚して抜けるかだ。

意識してエゴの領域から抜け出すために、
自分の中に別な自分・別な考え・魂があると認識していなければならない。

認識できていない状態で読んでも、
頭のおかしなインチキおじさんの発言にしか捉えられない。

一方で別な自分がいると認めたうえで読むと、
「エゴなんざ無視して、どんどんエゴ外へ行けばいいんだ」

生き方が単純化し、後はエゴ外へ進もうとする自分と、
まだとどめていたいエゴ内の自分との争いが待っている

自分の未来を大きく変える戦争だ。

「自分の思う通り・嫌な展開がこう来るだろう」
予測する未来こそがエゴ内にいる状態だ。

エゴ外は何が起きるか全く予想できないので、
不安も多いし「まさかの展開」も普通に起きる

というより願望について強くこだわりを持たなくなるし、恐れもない。
淡々と仕事をこなす感じに似ている。

エゴ外は挑戦であり、エゴ内は安住だが不満な日々だ。

挑戦と安住+不満、どちらかと言えばどちらの生き方がいいか。

「そりゃ、挑戦だなあ。怖いけど」思ったら、

でじたる書房:ザ・チケット

今すぐチケットを手に取り、印刷し、エゴ部分をしっかり認識し、
意識してエゴ外へ突き進む生き方を送ろう。

 

追記:即座でないが即日とエゴ

冒頭、私は「即座でないが即日購入」書いた。

フォロワーの紹介であっても、迷いが生じた。
500円だが迷う時は迷う。

今の自分に必要な本なのか

一方で私の心は次のようにも捉えた。

人生を変えるきっかけは計算外から生じる。だから今すぐ手に取れ

結果、後者を選んだ。エゴの話と結び付けると、
前者のささやきが「エゴ内」で、後者が「エゴ外」となる。

エゴ外というか、自分から外に向かって進むと決めた言葉だ。
何気ない「どーでもいい」悩みにこそ、エゴの力がふっと浮かびあがる。

でじたる書房:ザ・チケット

ここまで読み、あなたはどちらに揺れただろうか。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。