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非役者が魂の演技レッスン22(ステラ・アドラー)を読んだ驚きの結果

ども、しゃしゃ。

私は役者ではないが役者向けの本を購入した。
ステラアドラーさんという方が述べた演技レッスンだ。

私はステラアドラーという人を知らぬが本を読んだとき、

このおばちゃん、マジ熱いなあ

思ったので伝えていきたい。

 

抽象化すると本質は似ているのか

ステラ・アドラー氏は魂の演技レッスン22で述べている。

一つの「何か」に対し、どこまで細かい目線で観察できるか。
「何か」が持つ因果関係、相関関係を見抜けるか。

小道具はただの道具ではない。「意味・役割・歴史」をもっている。

作家として大いに勉強となった。
演技をする際、脚本に書いてある内容を読むだけの仕事ではない。

脚本に書いていない事柄を「当時の歴史や世界観」及び、
「舞台」などを読み込んだうえで、情勢を分析していく。
その中で自分として、作家が訴えたい世界・言葉を発していく。

「それが存在する意味」を知って演技をするのとしないとでは、
お客様に与える印象も大いに違ってくる。

小道具一つにも歴史があり役割があるという考え方は、
まさに私が文章を書いているとき「同じ考え」を抱いている。

抱いているからこそ一つのテーマに対し、深い切込みができる

演劇と文章を書く行為、絵を描く行為は別物であるように見えて、
根本は一緒だという事実に気づかされたよ。

 

役者と勉強は同じ

ゴッホの星月夜

「物事には意味・役割・歴史」があり、
そこを見抜いて演劇をするのとしないとでは、
お客様が感じる「何か」は大いに変わる。

受験勉強と同じじゃないか。

受験勉強も与えられた問題に対し、ただ答えを導くだけだと……
本番の入試やちょっと難易度の高い問題には対応できない。

問題文に書いてある「キーワード・条件」に対し、
「何を意味するか」を分析したうえで、答えていく。
結果「本質」に基づいて勉強をするから復習もしやすい。

また原理をつかんでいるから、より難易度の高い類題を解く際、効果を発揮する。

 

絵や小説他にも通じる

レオナルド・ダ・ヴィンチに関する本を読み、
私は常に数メートル先にある「木々の揺れ」に注目をしている。
木の葉において、太陽が出ている時と曇っている時では、木の葉の色が微妙に違う

また、太陽が出ても午前6時と午後0時、午後6時と午前0時では色が違う。
木々が揺れるとき、どのように揺れるのか。どれくらいの風がたなびいているのか。

毎日注目して観察をすると「微妙な違い」に気づかされる。

演劇も同じで、ただ歩くのと、少し疲れた状態で歩くのとでは「微妙」な違いがある。
プロに近づけば近づくほど、微妙な違いを表現できる。

「一般的」な歩き方しかできないのが初心者、素人。
プロは「動きを微分」して人の動きを細かく観察し、再現する。

時間をかけつつ、細かく観察し、わずかな違いに気づいたらメモを取る。
演技方法でも「細かすぎる部分」は教えられない。教えたくでもできないのだ。

参考本:齋藤孝の天才伝7 レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

役者でない人でも魂の演技レッスン22を読むべき?

「演技分野に入るつもりはないけれど、読んでみたほうがいいのかなあ」
考えているなら、ぜひ読むべき。
しゃしゃが働いている、かかわっている分野に必ず応用できるから。

ステラ・アドラー氏の「モノに対する見方」はどの分野でも応用できる。

芸術だけでなく、人間観察(主にビジネス)においても役に立つ。
むしろ「インテリジェンス能力」を鍛えるなら、演劇の学習法を取り入れるべき。

ただ、彼女の演技レッスンを読むと、彼女(1992年没)から叱られるよ。
「世の中に対し、いい加減な目で物事を見ていたなあ」気づかされるよ。

なので彼女の言葉を体で覚えるようになったら、高確率で自分を変えられる。

「少しでも自分を成長させたいなあ」考えているなら、
今すぐ読んでおいた方がいいよ。

アマゾン:魂の演技レッスン22 〜輝く俳優になりなさい!

読むと、しゃしゃは彼女に怒鳴られ、委縮する気分になるだろう。
叱られようとも萎縮せず、ぜひくらいついてほしい。

ちょっとまって

魂の演技レッスン22の続きを書いた。

続きの部分こそ「演劇者以外」にも役に立つ内容ばかりで、
私は「ここまで考えないでやっていたなあ」と自覚した。

ぜひ読んでくれ。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。