
ども、しゃしゃ。
表紙を見て「お、俺を誘ってやがる」という本と出合った。
金城光夫さんが書いた「わたしは王」という本だ。
タイトルを見るだけで異色でありながら、
「あ、これは読む人を選ぶわ」と気づかせてくれる。
実際に読むと、すっごく読みやすいの。
異様すぎる表紙カバーひかれた
まず私が「わたしは王」を手に取った理由は表紙だ。
表紙が奇抜で面白いが、人を選ぶ。
四角形と直線しか使っていない。色も5つほどしか使っていない。
一言でいうと怖い。だけどひかれる。
図形と色に意味を持たせるような表紙であり、怪しい。
だからこそ私は惹かれ、手に取ってしまったよ。
詩のような読みやすさで小学生でもわかる
実際に中身を読むと、とても読みやすい。
文章形式が表論文でなく詩だ。
詩を読んでいる感じで、書店内で声に出して読みたくなった。
実際購入したら声に出して読むのが一番いい。
中身の再現性はとても理解できるところがある。
私が王様として自分の人生をを使うか、
自分が使っているようで「実は使われている」だけか。
自分が使われているという感覚をダイエットなど、
様々な例を用いて詩の形式で語っている。
詩といっても短文ではない。少なくとも3ページ分の長さを持つ。
やせたいときはやせられないのカラクリに驚嘆

画像元:ウェストを図る男性
なぜ「やせたい」と思っているのにやせられないのか。
反対に痩せる気がないのに、なぜやせてしまったのか?
金城光夫さんが書いた「潜在意識の仕組み」を読んだとき、
自分の中で納得する部分が多々あった。
やせたいと思って行動しているのにやせられない原因は、
「やせたい」という王様でない存在にこき使われているからだ。
「わたしは王」の本質は「私が物事を決める」だ。
物事を決めるときに5次元と3次元の違いが出てくるよ。
なので「やせたい」でなく「すでにやせている」前提で、
やせているものとして行動すべきだ。
この部分はほかの本でも似た言葉で語られているよ。
私はダイエットしていないがBMIだと標準を維持している。
もう少し太ってもいいくらいだ。
私はダイエットをほとんど考えていない。
だからこそ、結果として標準体型に成功している。
何しろ「自分にとって標準体型がかっこいい」からだ。
だからこそ現実も「自分にとっての理想」へ自然と動く。
詳しい内容は「わたしは王」を実際に読んでみてね。
交通事故を通してであった「わたしのなかにいる王」

北海道に初めて雪が降り積もった日、知人の頼みで配達のアルバイトをした。
初めて乗った車に不安を覚えつつ、載っていると……
カーブを曲がった後、ハンドルが利かず、ガードレールへぶつかり、
道路から外れ、車が一回転し、右肩を痛めた。
命に別状はなかった。いろいろ大変だった。
この時、自分の丹田はとても落ち着いていた。
脳みそも含めてすべてにおいて落ち着いていた。
このとき、わたしのなかにいる王様と出会った。
ああ、私の中にいる王様は常に冷静でじっとしているのだ。何があってもどっしり冷静に構えているのだ。
私がいろいろ悩み、愚痴をはき、悩んであれこれ言っても、心の中にいる丹田はどっしりと構えているのだ。
変なものにすがる必要も、苦しんで変なことをする必要もなかったのだなあ。
交通事故でいろいろ多くの人に迷惑をかけたけれど、
同時に事故を通して自己と出会い、感謝してしまった。
……うん、まあ、おかしい人間だね、自分という生き物は。
とことん理想を貫きたいなら読むべし

ごたくはいいからとにかく自分の理想を貫け。
わたしは王を読んでいるうち、強く感じたよ。
ごたくというのは周りの社会常識だ。
自分の丹田は「何がもっともやりたいか」が明確であり、
「丹田」の思うがままに動く自分こそ、最高の理想である。
ちなみに丹田は「犯罪行為」がやりたいと全く思わない。
犯罪行為はしゃしゃを追い詰める「悪魔のささやき」だから、
無視して声を聴かないでほしい。
「わたしは王」は少々難しい表現を用いているものの、
詩の形式で分かりやすく心にしみる感じで伝えている。
特に5次元と3次元の違いは何度も読んで体で理解しないと分からぬ。
購入したら必ず声に出して読もう。
読んで実践していくうち「王」と「召使」の違いが分かり、
「自分の理想」に迷いがなくなるよ。
- 「自分の目標を達成したい」
- 「自分に正直に生きたい」
強く思っているなら、今すぐ読んでほしい。
正直に生きる強さを得るから。
アマゾン:わたしは王 自己中こそが宇宙ののぞみ
自分で自分を使うか使われるか。
誰かに使われるのでなく「自分が求めていない何か」に使われる人生が嫌だ。
自分が自分を使う人生を選ぶならぜひ手にすべき。
目の真力-目で見る想いこそが創造のしくみ

金城 光夫さんをアマゾンで見たところ、
今から1か月後に二冊目の本を出す。
詩の形式だからこそ、1か月もあればかけるのだろう。
目に関する不思議な現象を考察した本だ。
わたしは王をはじめ、目の真力でも出てくる人物がいる。
「たんぽぽおじさん」だ。
実際にいる、いないはどうでもいいとして、
師匠と弟子は熱いものを感じるね。
私にも「勝手に師匠」と呼ぶ人が数人いる。
向こうは弟子を取っているつもりは全くないけれど、
私は「勝手に師匠」扱いして、色々気づかせてもらっている。
こちらもどんな中身になるか楽しみだ。
