おはよう。
文章ノウハウなのに「哲学だ!」感じた本があった。
作者はフミコフミオさん。
自分とやり方が似ているからこそ安心感があるし、
一方で「書くとは哲学なんだな」改めて思い知ったよ。
書き捨てて自分の世界を創る
テクニックとして重要な部分は「書き捨て」にある。
きれいに書いて、後で読むのではない。
とにかく思いつくままに書け、書いたものを消すな。
書き終えたらすぐ捨ててしまえ。大切に残しておくな。
書き捨てていくうちに、だんだん自分が欲する本質へたどり着くと。
「こういう文章を書けば反応が上がる」いった内容でない。
コピーライティングやセールスレター作成文章術ではない。
書き捨てを通して、どんどん自分が何を表に引きずり出したいか。
心の中ではすでに気づいているけど、
はっきりとした言葉として表現できていない人が読むべき本だ。
はっきりと言葉で表現するために、とことん書き捨てる。
思いついた言葉をどんどん書いていき、本質へたどり着く。
文章術というより哲学本だ。
ノウハウでなく「哲学、自分が何をしたいか」がわかり、
「今起きている出来事の、本当の問題は何か」をつかみ取るためのヒント本だ。
特に「本当の問題」に気づいたとき、
そこら雑草の問題と違って「もやっ」とした気分が晴れ、
丹田あたりから力が湧き出る感じだ。
丹田がざわつく=本当の問題に出会える。
「守護霊さん、指導霊さんの言葉をやっと理解できる」置き換えていい。
自分の中にいる神様と対話できる意味で「神文章術」といえよう。
フミコフミオのブログから書き方を学ぶ
本日発売です。僕なりの文章術、書くことについて書いた本です。書けない人目線で誰でも出来るをテーマに書きましたよ。よろしく。#神・文章術https://t.co/aGokYpnxif
— フミコ・フミオ(12/16新刊発売) (@Delete_All) December 15, 2021
著者はブロガーという。彼のブログを見て学ぶのが一番だ。
フミコフミオのブログ:Everything you’ve ever Dreamed
フミコさんの料理記事:ぐるなび「みんなのごはん」
ブログ記事を一部読んでいくと、以下の特徴に気づく。
- 自己紹介をし、自分がどの会社の何物かを書いている
- 何が起きたかを限りなく細かく伝えている
- 細かさから「どんな真実が漏れ出たか」を書いている
- ガラケーで書いていたのか、パソコンだと読みにくい
- 冒頭が小説の「一番おいしい」切り口で書いている
彼は営業マンだ。営業マンとして日々色々な人と接している。
人と接しているからこそ、見えてくる何かがある。
話し方、言葉の選び方、態度、その他もろもろ言葉にできない態度。
彼のブログを読んでいくと、
勧誘はされていないけど心をつかんで来ようとするエンタメを感じる。
フミコさんの文章術を読んだら、
私は絶対彼のブログを読み、本を片手に研究するのが一番だと考えている。
アマゾンレビューが低すぎるときの「余裕な対応」から
フミコさんが自分の記事で「神文章術レビュー」について触れていた。
いきなり自分のレビュー感想から書くのでなく、
「レビューはコンテンツとして成立しているの最高」と、
まずはレビューの面白さについて「他人事」として語っている。
人様の本に対するレビュー感想で面白いコメントがあった。
自分以外の読書感想に対する意見から書いていき、
彼に届いた読書感想意見を述べている。
彼によると、低評価活厳しめのレビューほど参考になるという。
本を読んでノウハウや哲学に触れるのもいいが、
同時に彼のブログを読み、流れなどを研究していき、
浮かんだ疑問をその都度書き捨てていくのがいい。
自分の書きたい想いと他人が読みたい内容のズレ
神文章術の内容及びレビューを見たとき、浮かんだ言葉がある。
「書き捨て」ながら記事を書いていこう。
「自分の書きたい内容」が「他人も読みたい内容」と合うならいいが、
たいていはズレが生じ、クレームや訪問者減少につながる。
書き手にとって「これを伝えたい、これが真実だ、すごいぞ」
強く確信を抱く内容であっても、他人からすると違う。
「ふーん、で?」
「そんなのどーでもいいわ、それよりも~」
私が読んでいたコピーライティング本では
「お客は読まない振り向かない聞かない、あなたに関心がない」が前提だ。
※今ここを読んでいるあなたも「私自身の生き方・考え方」にあまり関心を持っていない。
「神文章術に対する感想」に関心があって、たまたま私が書いているから訪れているんだね。
100人いたら1人に振り向いてもらえるよう、
相手の関心にこちらが寄せていかなければならないと。
自分が書きたい内容は読者の関心ごとよりも、
今の自分が「どんな真実を引きずり出したいか」に興味があって、
つい読者も「同じものに関心がある」思い込む。
実際に記事を書けば数人は訪れるから、
確かに「自分の書きたいこと=読者が読みたいこと」は当たっている。
私をはじめとする第三者は「今の自分が一番重要かつ感心」であり、
「今の自分が一番欲している悩み・真実」を求めるため、
あの手この手で探した結果、こういったサイトにたどり着く。
神文章術に関する情報を読んだ後、浮かんできた部分がギャップだった。
レビューにあった期待と現実のズレ
読者は読む前から「期待している部分」がある。
まだ読んでいないからこそ、
「自分のこの悩み解決のヒントを提示した情報があればいいな」
「これを自分は伝えたいんだ」が書き手にとっての主軸であり、
読者の悩みや大変さについて、あまり関心がない。
自分にとっての悩みが読者にとって違うように、
読者の悩みは自分にとって悩みでも何でもないからだ。
どうしたら読者の悩みをつかみつつ、
自分の体験や培った情報を用いて解決できるのか。
アマゾンレビューを見ていくと、
「神・文章術」というタイトルも誤解を招く。
「文章を書き続けるためのモチベーション維持方法」とか、
「文章を書き続けてみよう」のようなタイトルなら少しは納得かも。
書き手はタイトルから読者が最も求める一番の重大事を深く思い浮かべず、
「とにかく目を引く、際立たせたキャッチコピーの一つ」捉えている。
映画で言うと「大怪獣のあとしまつ」から、
「大怪獣の後処理」を連想し、脳内で勝手に話が進み、
最も見たい場面が脳内で決まっていく(=期待値)。
私がスラスラ連想できている理由も、
私が「大怪獣のあとしまつ」スタッフでも監督でも作者でもないからだ。
無関係の第三者だから言える。
脳内で生じた上映(展開)に対し、
書き手(魅せる側)はどこまで近づきつつ、あっと言わせられるのか。
お笑いだと「それは完全にねーよ」でなく、
「ありそうありそう(7割くらいあるけど、3割くらいない)」にもっていけるか。
一方作者になれば話は別だ。
先に内容と結末を創ってしまうため、タイトルは「おまけ」感覚でしかない。
とにかく訪問してくれれば、それでいいかなといった具合。
タイトル一つから流れ、結末までを「客観的に連想できるか」いったら難しい。
すでに展開ができているばかりか「自分だけは例外」を創るからだ。
私はフミコさんでないが、神文章術を読んだ後だと、以下のように捉える。
「神文章術といえば、書き捨てを通して自分の世界観を創ることと捉えている。
読者も同じように捉えるだろう」
アマゾンレビューの評価を見ていくと、
確かに上記コンセプトを求めている人はいるから、外れではない。
一方で神文章術と聞いて、
「伝説ブロガーによる文章創作テクニックは何か。
人を惹きつけるのに、どういう下準備を行ったのか。
文章一つでSNS反応率が上がったと書いているが、
どういう情報をつぶやけば、もへさんみたいにSNSでバズられるのか」
読む前だったら、今すぐ使えるテクニック部分を連想してしまう。
しかも「神」と書いているんだ。
神文章術内における「神の謎」を知りたくて手に取った。
私は「自分の内側にいる別の自分(潜在意識、指導霊)が、
今の自分に伝えたい言葉を引きずり出す」捉えている。
フミコさんの神文章術はテクニック本でなく、
神様と対峙するための哲学本だと確信している。
「内なる自分と対話してみたいなあ。
どんな言葉が出てきて、丹田が温かくなるのか。
すごくワクワクした生活を送りたいなあ」
内なる自分と出会いたいなら、ぜひ読むべし。
肝は前半だと確信してるよ。