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百歳の力著者篠田桃紅氏の文体に品があって癒される

どうも、しゃしゃ(あなた)

現在103歳、篠田桃紅氏の本を読んでいました。
文体が樋口一葉並みに柔らかく、会話文なのに引き込まれるのです。
気品があり、思わず声に出して読んでしまうほど。

 

篠田桃紅と芥川龍之介の生き方

抽象的水墨画
※ 彼女の作品

篠田桃紅氏の本を手に取ったきっかけは
「100歳以上生きているから、面白そうだ」
ただこれだけです。

100歳超えて芸術家をやっていることに興味を持ったのです。
彼女、芥川龍之介(故人)について触れていました。

なぜ自分は100歳以上も生きることができ、
芥川氏は30代の若さで自ら命を絶ってしまったのか?
彼女なりの分析が面白いなと思いました。

簡単に言えば、今これを書いている私のように、
世の中や日本について真剣に考えれば考えるほど、
芥川氏のような生き方になる確率が高いとのこと。

特に「何でもかんでもすべてを自分の問題として考える」
傾向がある人ほど、早くあの世に旅立つ確率が高い。

詳しいことはしゃしゃ(あなた)が読んでいただければよいと思います。
彼女は「常識」の世界に生きなかったから生きてこられたと述べていますし。

彼女の作品集はこちら:岐阜美術館

 

文体が柔らかい

彼女の文体は柔らかくてしなやかです。
何と言ったらいいんだろう……竹といったほうが良いのかな?
強風に打たれても一向に折れない。

柔らかくて本を読んでいるというより、
その場でインタビューを受けている印象を感じます。
気品も感じられ、彼女の文体を真似すれば柔らかくなるかなあ?

この柔らかさはどこから来るのだろう?
彼女の生い立ちを調べると、
7人兄弟の中に生まれ、体は弱く長生きできないと思っていたそうです。
書道家として独立を果たし、戦争中も何とか生き残り、単身米国で生活をする。

戦後は今と違って、女性は男性より厳しい目で見られていた。
その中で生き抜くということは、たくましく成長している。
転んでもぐったり倒れるのでなく、何度も起き上がって、
世の中や自分に挑んでいるなあ。

こういう生き方ができるのはぶっ飛んでいないと無理です。
ぶっ飛んで沈もうとしながらも、死を選ばずに生きる道を選ぶ。

生きる道を選ぶって大変です。
私も何度か言葉で「死にたい」つぶやいております。
今でも時折、口からぽっと出ることがあるのです。

でも、死んで仮に生まれ変わったとしても、
また同じような人生を歩み、同じような問題で躓くでしょう。

生きているうちに自分に与えられた人生課題を乗り越えない限り、
一度命を失って、人生リセットしようとしても無駄です。
私はたくさんの哲学本を読み、実体験を通して理解できた。

一度本当に生活ができなくなるほど追いつめられた時期があり、
このとき助けを求めようとするとき、

「助けてもらうのは恥だ」

男として人に恥をさらすくらいなら死んだほうがましだ。
と、思っていたんだけど、恥を出してでも生きることを決意。
恥をこれ以上かきたくないから死のうという選択肢はなかった。

だって仮に死んでまた「誰か」に生まれ変わっても、
「次こそは乗り越えてやる」って意思をもってしまいます。

自殺してもまた同じような人生が来るだろうから、
いま解決できることは現世でやってしまったほうが良い。

……と、自分の人生について語ってしまいました。
話を本筋に戻します。

彼女も単身米国に渡り、色々味わうことによって、
生き方を変えているうちに、竹のようなしなやかさを手に入れたのかな?

私は勝手に推測するのです。

 

※ 追記

こちらの記事(Voice 違い)で私の記事を引用していただきありがとうございます。
特に「違いかなぁ」の部分は読んでおくと良いと考えています。

「違い」は自分を「まだ叶っていない未来」に意識するか、
「すでに起きた過去」に執着するかで、
「今後」やるべきことが大きく変わります。

単純だからこそ、違いはでかいのです。

 

103歳の老人、心はまだ

、「これで完全にもう私のやりたいことはみなやりました、
なんてことは絶対にない。ありえない。宿命的なものです。
次の作品への誘いが今、作っているときに沸くんですから」

103歳の彼女が述べています。
これを読んだら少なくともどんなことがあっても生きてやろう。
意欲がわいてくると考えています。

彼女が描く文体と生き様ををぜひ楽しんでみてください。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。