センター試験。大人になって改めて感じるのが「学歴なんて関係ない」を信じるな。学歴が全てではない。でも、学歴は間違いなく武器になる。学歴だけであなたの言葉の説得力が変わる。人生の最低限が変わる。もう一度言う、学歴高くて損する事は絶対ない。ロザン菅さんの【学歴は浮き輪】はその通りだ。 pic.twitter.com/qn7RNO7kQk
— ふじむらたいき (@fujifujizombi) January 13, 2018
ども、しゃしゃ。面白いツイートを一つ見かけた。
しゃしゃが学生でセンター試験を受けているならお疲れ様だ。
気を休めず、大学合格まで気を持って勉強に取り組んでほしい。
上記ツイートで学歴の話が合った。
学歴があると、いい大学はもちろん、いい就職先を選べる。
今は必ずしもそうでない。
学歴がなくても学歴についた人の収入を超えている場合がある。
彼のツイートを見て思ったよ。
「学歴」という言葉にしゃしゃはもしかして、
振り回されているんじゃないかってね。
私、コンプレックスを抱いていたからさ、
昔の自分と話をするような記事を一つ書きたい。
学歴で見るべきポイント
学歴はしゃしゃが学問に携わった「歴史」だ。
歴史は過去に起きた出来事を現在の視点で学ぶ。
「学歴」といえば小学校に始まり、大学が「最終地点」だと思っていた。
大学へ通う、一流大学へ通う。
そしたらいい就職先、いい収入、いいパートナー……
学歴がないよりあったほうが得られるメリットは大きい。
社会人になり、どこかしらの会社で働いていると、
今まで学んでいたことの大半は「役に立たなく」なる。
本当は役に立っているのだけど、
学んだ内容を直に使える分野はほとんどない。
だから悩むときがあるんだ。
学歴は「今」もつくられている

※ 小学校二年生の子供が描いたイラスト
学歴という言葉を聞くと「過ぎ去った時間」を思い浮かべる。
今、私は高校生物をはじめ、動きのあるイラスト、
様々な価値を売るためのストーリー作り、
なめらかな文章を描くための古文音読……
進んで勉強に取り組んでいる。
なんとなく定義された「学歴」で見れば、
私のやっている勉強は「学歴」に入らぬ、単なる「趣味」だ。
学歴=学びに関する歴史
捉えなおすと、学歴は「今」創っている。
学歴は過去のものではない。
今も作りあげる「日常生活」の一端だ。
腹が減ったら食べる、腹が痛くなったらトイレに行く、
眠たくなったら布団に入るように、
新しい情報を知りたくなったら、様々な個所から取り入れる。
取り入れつつ、自分で使えるように仕組みを理解し、
扱える分野に当てはめる。
学歴は「過ぎ去ったもの」ではない。
今、そして未来に向けて一つずつ作りあげる芸術だ。
学歴を終わらせるのは自分だけ
学歴を今も作り続けるか、終わらせるかはしゃしゃの生き方にかかっている。
常に新しい何かが入り、興味を抱く限り、学歴はすぐ更新される。
おいしい料理の作り方だって学問だし、
うまい絵を描きたいのも学問だし、
仕事で成績を伸ばしたいのも学問だ。
学歴という言葉にもやもやっとした気持ちを抱いていたので、
記事を通してすっきりしたよ。
やりたいこと×学歴=価値創造

※ 今まで学んだものが役に立っている、現在制作中の物語
勉強したけれど役に立たなかった……
なら、どうしたら勉強した内容が役に立つのか?
私の場合、勉強の前に「今、将来、何をやりたいか?」
はじめに何をやりたいかがわからないと、応用が利かぬ。
何をやりたいかがわかった際、自分がやりたいことに対し、
今まで学んだ勉強を「強引に」当てはめてみよう。
強引に当てはめると、わけのわからない論理が生まれる。
例:私は今、生物を勉強している。
そこに魔法少女系の物語を描く際、生物の内容は役に立たない。そこで「強引に」役立たせられないかを考えると、
生物で学ぶ「遺伝」を利用し、
魔法少女には「魔法遺伝子」があると、一つのキーワードが生まれる
しゃしゃも自分の仕事に対し、強引に使えないか。
やりたいことと、学んだことを強引に結び付けられないか。
共通点はないかを、絶えず考えてみよう。
必ず使える部分があるから。
