心の問題

おはよう、しゃしゃ。
小説を書いていると、どうしても「心の問題」と向き合う。
小説家は心と向き合っているうち、病んでくるのだそうだ。

小説を書かなくても「自分」の一面に気づけば、
自分を変えられるかもしれない。

今日は自分の習慣・心に潜む「奴隷」に気づいた話だ。

 

気づかされたきっかけ

夜9時ごろ、知人の依頼に応えるため起きていたが、
具合が非常に悪く、10時まで粘っていた。

パソコンを見るのも限界だ。
体調が非常に悪くても、相手から電話が来たら応えねばならぬ。

そう思っていたのだけど、決断した。
「体調を優先して寝よう」

すると、自分の中にいる「私」がうるさい声を出す。

「お前の体調なんてどうでもいい。
相手から電話が来るのを待て。12時、1時……になっても来たら応えろ」

うるさかったのだけど、睡魔が打ち勝って寝てしまった。
気づけば朝の7時。知人から夜の11時に電話があった。
(バイブにしていたから気づかなかった)

朝8時に連絡を取り合った。知人は何も言わなかった。
このとき、気づかされたんだ。

「自分の中には、相手へ服従せねばならない。
相手のニーズに何が何でも応えねばならない。
そのためには自分の体調や予定などをすべて壊さねばならぬ。

知人は何も述べていない。知人ではない。自分だ。
相手に依存し、すがって、奴隷になりたい自分がいるのではないか」

 

奴隷は自分の中から作られる

体調がおかしくても、優先してやらねばならぬ仕事があっても、
「相手が強く求めているんじゃないか」脳内で想ったら、
全てを放り投げて、相手へ応えようとする。

結果、体調がますます悪くなり、
優先すべき仕事が間に合わず、かえって自分の心を病んでしまう。

体調が悪すぎて寝る際も、
「何で寝るんだ、起きろ、ほら起きろ」

「お前は他人に従わなければならない。
他人のためにはお前の体調や予定など、どうでもいい」
強く縛る自分を見つけたんだ。

しゃしゃはどうだろう?
何気ない仕草の中に「潜在意識の本質」が現れる。

相手は別に何も言っていないのだけど、
自分の中にある潜在意識が脅迫観念を打ち出してまで、
うるさい声を放って命令する。

自分の中にある「弱気で臆病」な部分を引っ張り出され、
「あれをしなければ(命令)、これをしなければ(命令)。
お前(私)がやりたいこと? 後回し、ってかやるな」

得体のしれない「強気で奴隷にさせたい心」に支配される。

他人の命令が奴隷を創るというより、他人の意見を聞いているうちに、
私(しゃしゃ)の中で「~しなければならない」意識が芽生え、
少しでも逸脱すると「何をさぼっているんだ!」叱られる。

 

洗脳テクニックでもあるのかな?

人を洗脳させる方法にもつながる。
他人の命令を聴かなければ、処罰を下す。
何度か処罰を下すうちに、下された方は学ぶ。

「必ず従わねば、自分は罰される。罰はもう嫌だ」

すると、自分の心と裏腹に従わねばならぬという、
奴隷の出来上がりだ。

処罰を下されても、
「従う義理などない。自分は自分の決断で生きる」

自分で「従わない」決断をすれば、
処罰を下されようとも、奴隷にはならぬ。

他人の命令や処罰を通し、
しゃしゃの心に「他人へ従わねばならぬ」意識が芽生え、
相手が優先で自分のやりたいことが後回しとなってしまう。

意識に気づいたら、
自分の体調・やりたいことを後回しにしても、相手を優先するのか?
自分を優先したうえで、相手を後回しにするのか。時には無視か?

自分の生き方に対する「選択」が現れるよ。

 

不満を漏らしているうちは気づいていない

「ああ、やりたくないのに……」など、
常に不満を内側にため込んでいるうちは気づいていない。

不満は他人を通して「自分の中で」芽生える。
だから他人より「自分の中」を解決せねばならぬ。

すると一つの覚悟へ気づく。
「相手から嫌われようと、罵られようとかまわない」
相手から見捨てられてもいいやという覚悟
だ。

「自分だけ」がそう思っているのであり、
相手はそう思っていない場合が多い。
執着する分野すべてに言えるよ。

 

実践例:お金から見捨てられてもいいや

私が昔、一番悩んでいた問題として「お金」がある。
お金が底をつくたび、常に「お金」を考えていた。

お金という他人を通し、
「お金のために何もかも従わなければならぬ」
自分の中で「お金への奴隷」意識が芽生えていた。

だからこそ私は決断した。
「お金から見捨てられてもいいや」と。

見捨てられる→お金が自分の懐に全く入ってこない

単純に考えると恐怖でしかない。
オーリングを創りながら口に出す。

「お金に見捨てられていいよ」→わっかが閉じたまま
「見捨てられたらだめ」→わっかが開く

わっかが開く→それはだめ(悪影響)
わっかが閉じる→いいよ(良い方へ)

見捨てられていいと決めた後、どう動けばいいのか。
全くわからないから不安を覚えてしまうね。

でも、こういうときこそ
「何かわからないのだけど、お金って入ってくるなあ」

わからなくていい。
自分の頭では予想もできない「神様の領域」を、
自分で操作しよう・わかろうと企むから、悩みが生まれる。

参照:オーリングテストを自分でやる方法

 

見捨てられた後に残った考え

お金を見捨てていいやと思ったら、人によっては不安を抱くだろう。

「どうやってお金が入ってくるの。使ってすっからかんになるだけだ」

それはならないから安心しよう。物事は真空を好まない。
必ず何かしらのお金が勝手に入ってくる。

本当に捨てるべきは「今まで抱いていた関心事・考え事」だ。

考えを捨てたら「新しい考え」が入ってくる。
考えが入ってくるだけでなく、本気で集中できる。

お金に見捨てられていいと考えた後、
「人さまの記憶を中和する」方に考えを集中できた。

ひとつを捨てれば、別な部分を拾う。
拾うだけでなく、少ししか関心の抱かなかった分野へ興味を持つよ。

 

自分に気づいて解放しよう

記事:うるさい少数派Xの存在について

他人が私を洗脳させようとしても、
「あなたの洗脳に従います」決断は自身にある。

「うるさい少数派VS静かな多数派」について書いている。
うるさい少数派は自分が少数派で受け入れられないとわかっているから、
なにがなんでもうるさい声で自分を操作し、命令を下す。

現実社会でも見てみよう。
うるさく騒ぎ「これからは○○の時代だ」
あちこちに敵意を作りながらも騒ぐ人ほど、少数派だ。

グローバリスト、LGBT、極左側……
多数だったら大声を上げる必要などない。

少数かつ賛同する人がほとんどいないからこそ、
うるさく自分を主張せねば、言うことを聞いてくれない。

うるさい少数派ほど、人を無理やりにでも従わせようとする。
しゃしゃの心でも同じ現象が起きている。
自身をどうありたいのか。一つずつ決めていこう。

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著者紹介

千賢 光太郎
千賢 光太郎
ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。 雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。 0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい 3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる 8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。 12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。 18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった) 21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける 27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。 28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。 29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。 自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。
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