おはよう、しゃしゃ。
いろんな自己啓発の本に書いてある言葉がある。
「やりたいことをやれば幸せだ。ワクワクすることをやれば幸せだ」
僕にとってワクワクすることは世界観の構築。
ゲーム制作がまさに世界観構築にあたる。
さておかしな現象がおきた。
やりたいことをやっているのに
「おい、なんでもっとこーしてあーしないんだ」
心が怒っている。焦っているというか。
あれ、やりたいことをやっているから幸せなはずじゃ?
私は違和感を抱いたよ。
やりたいことをやっているのに、なんで不満なんだ?
僕はやりたいことをやっているが心は不満だ。
やりたいことをやっている、ワクワクすることをやっている。
なのに心は不満でいっぱいだ。
- 「もっと足りない」だの
- 「何を妥協しているのだ」だの、
- 「悩んでいるんじゃない」だの……
何でやりたいこと、ワクワクすることをやっているのに、
僕の心は不満を抱いているのだろう?
もしかして自己啓発関係の本がおかしいの?
表に上がってくる現象は基本「心の悲鳴」
今まで心の内側にあって表に出てこなかった部分が、
何か行動を通して表に出てくる=気づいた場合、
「それを解決してください」
心は僕に課題を与えてくれる。
僕にとって気づかなければならない問題が生じた。あなたはどうだろう?
やりたいことをやっている。なのに心がちっとも喜ばないどころか、
「もっとやれ、急げよ、何ボケっとしているんだ」といった、
不満でいっぱい満たされている。
幸せなことをしているはずなのに、ちっとも幸せを感じない。
僕の生き方が間違っていたのか?
不安を抱くだろう。小見出しにも書いたが「心の悲鳴」が表に上がってきた。
幸せを否定していた自分に気が付いた
心屋仁之助さんの本が目にとまり読んだ。すると彼の言葉のある一言がひっかかった。
「人間、どんな環境(最悪の環境でも)幸せ。
幸せを追い求めても幸せはない。すでにそこにあるのだから」
僕は気づいてしまった。
これも自己否定、自分の幸せを拒んでいた証だったのか
すると苦しみが消えていった。
心における苦しみの原因は「自分でも気づかない自己否定」だ。
自己否定は「不幸であり続けていいよ」であり、
「幸せであるという事実を認めたらだめだよ」
だから僕は自分に言った。
「今幸せである、幸せであると認めていいよ。ちょっとずつ成長していいよ」
言葉において「無理しなくていいよ」と入っていない。
というのも潜在意識を越えたところは肯定も否定もない。
だから無理しなくていいは「無理していい」と同じ言葉であり、
初めから別の言葉を使うべきだと考えている。
自分に伝える言葉、最近気を遣うようになった。
あなたもぜひ自分にかける言葉を慎重に選んでほしい。
やりたいことがない、見つからないという大きな間違い
「やりたいこと」と見つけると、
「やりたいことが見つからない」という言葉が出てくる。
今私がやっている内容も本当にやりたいことか?
言われたら正直戸惑う。
もしかするとやりたくないことかもしれないからだ。
やりたいことは見つけるものでない。
「すでにある」と幸せと同じく気づくのが大切だ。
やりたいことはすでにある。ただ自分で「許可を出していない」だけだ。
例えば私のようにゲーム制作を通し、
独自の世界観を作りたいと「やりたいこと」に気づいている。
気づいているというより頭の中、心の中でぼんやり描いている。
だけど実際にゲーム制作をやろうとしたら、
- 制作に費やす時間が取れない
- 制作中お金はどうすべきか
- あの仕事、この仕事もやらなければならない……
色々な理由を通し「やってはいけない」と自分で不許可を与えている。
だからこそ自分に伝える。
「いいんだよ、それらを後回しにしてやりたいことをやって。
場合によっちゃやめてもいいんだよ、お金など大丈夫だから」
実際お金は本当になんとかなる。
誰かに頭を下げたり、最適な時間で働ける仕事が見つかったり……
大切な事実は一つ。やりたいことに対し適当な言い訳で逃げない。
逃げるという言葉は重圧だから、やりたいことに許可を与える。
自分を許し、緊張をほぐしていけばいいだけだ。今すぐやってほしい。
日記:かわいいことをやってみると
インスタにイラストを載せています。
ヒロアカのトガちゃん、かわいいよ。
なんか今、ツイッター上でいろいろ騒ぎがあるけれど、
自分は「丸太は悪役だからいいんじゃね」だ。
正義の役だったらちょっとは考えるけれど、悪役だしね。
それだけしかない。