
おはよう、しゃしゃ。
ついさっき、子供が物語を書いた。
国語を習っていないから、基本の文章ルールも分からない。
原稿用紙を見たとき、感じた。
「漢文(白文)じゃないか」
ひらがなだけの文章

原稿用紙に書かせた理由として、
「文字にばらつきがあり、読みにくい」からだ。
解読にも時間がかかったし、
「あれ、これなんだっけ、えーと、うーんと」
書いている本人も読めなかったのだ。
そこで「原稿用紙に書け。原稿用紙は一文字ずつ埋める。
自由帳に書いているから、文字もばらつきがあり、乱れる。
原稿用紙なら一文字しか入らないから、文章が読みやすくなるはず」
1時間後、子供が「できた」言った。原稿用紙を見ると「漢文」だった。

よく見ると、空白はあるんだけど、改行ではない。
子供に尋ねたんだ。
私「段落って知ってる?」
子「知らない」私「改行って知ってる?」
子「知らない」私「、や。(句読点)は?」
子「知らない」
子供は幼稚園で過ごす日々の自主訓練により、
ひらがなやカタカナをある程度書けるようになった。
しかし「文章を書く規則」は習っていないようだ。
改行や段落のすばらしさ
漢文には改行や段落に加え、「、。」や「()」もない。
書き下し文を書いた人も読むうちに「ああ、面倒くさい」
思ったのではないだろうか。
「新しい文脈なら、ここで区切ってくれよ」
「どこまで会話なのかはっきりしてほしい」
「文章の終わりなら区切ってほしいなあ」
不満がたまり、「」や、。といったルールができた。
(国文法に関する文献があれば、読んでみたいな)
漢文は白文で、句読点すらない。
読み手は「こういう内容なのね」通じたから、
分ける必要がなかったと考えている。
しかし時がたつと今までの読み方では徐々に、
「うわあ、読みにくいわあ」考える人が多くなった。
技術の進歩と文章

現代は「わかりやすく、すらすら読める」文章ほど好まれている。
理由の一つが「スマホで読む人」が増えたからだ。
(しゃしゃは今、どちらで読んでいる?)
スマホはパソコンと違い、片手一つで文章を読む。
難しい言葉を使うと、ストレスを与えてしまう。
スマホきちんと読んでいるようで、
適切な情報を抜き出しているに過ぎない。
よって「要点」を抜き出す力を鍛えられる。
技術の進歩に合わせ、思考や行動も単純になった結果だ。
技術が増えると、手段や世界観も広がる。
すると、今まで使っていた道具が新しいものに置き換わり、
古いものは使わなくなってしまう。
原文と現代語訳の違い

今はほとんどの古文を「現代語訳」つきで読める。
しかし現代語訳を読んで終わってはいけない。
必ず「原文」を読むべき。
内容だけなら「現代語訳」を読んでつかめばいい。
しかし「その当時のリズム、考え、文化」に触れるなら、
現代語訳では絶対に無理だ。
原文を声に出す、写経して体内に取り入れる。
すると「リズム」はもちろん、
「その時代の人が持っていた考え方」を吸収できる。
吸収したうえで「現代」に何かしら応用できないか。
考えてみると、役に立つと考えるよ。
中国の古典本:大学・中庸 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 (角川ソフィア文庫)
おすすめ古典音読本:竹取物語(風刺テクニックが面白すぎる)
白文が読みにくい理由

子供が書いた文章を読んで、
「段落や改行、句読点など文章を書く規則がないと、
読みにくいし、ストレスがたまるなあ」感じたよ。
文章規則を生み出した先人はすごいと思ったよ。
でなければ現代もかぎかっこをはじめ、
句読点や改行がないまま、文章を読まされていたからね。
おまけ:漢文の勉強と常識

漢文は句形を勉強し、単語を学びながら本文を読む。
大学入試の参考書や問題集を「体が勝手に覚える」までやろう。
後は本文をひたすら読んで答える……だけじゃ物足りない。
「中国の古典常識」は知っておいたほうがいい。
現代語訳を読んでも「は? 意味がわからん」内容が多い。
たとえると、スマホを持っていない人が所持者から
「今さ、アプリをDLして遊んでいるんだ」言われても、
「何言ってんだ、こいつ?」理解できない。
スマホを手に入れ、アプリをダウンロードしていないからだ。
同じように、当時の中国を知らねば、
現代語訳を読んでもさっぱり理解できない。
世界史+倫理:ゆげ塾の中国とアラブがわかる世界史
そこで「世界史の中国(古代中国から清まで)」が一つ。
「倫理」で中国の思想を勉強しておくといいよ。
勉強したうえで漢文を読むと、読まないよりは理解できるよ。
