おはよう、しゃしゃ(あなた)
しゃしゃはフェイスブックをやっている?
私はやっていないけれど、分身が時々使っているんだ。
分身? ああ、気にしなくていいよ。
ところで「フェイスブックに疲れた」
という調査報告がデンマークにあったんだって。
デンマークの幸福調査
友達と呼べる存在は大人になればなるほど、一人くらいしかいなくなる しかも会うのは不定期。そんなもんでいいんだよなあと https://t.co/NMkEIAKxO9
— 千賢光太郎 (@megabi0) 2015, 12月 1
デンマークのシンクタンク「幸福度研究所」が発表したこととして、
フェイスブックの利用をやめた人は幸福度が高まった。
という調査報告が出たんだって。
ユーザーは他人の素晴らしい経験の投稿をうらやむ傾向にあると。
確かにそうだねえ……後で述べるけれど、幸せそうなことばかり書いているもんね。
自分の幸せ自慢が受けているというか。
参照サイトで、フェイスブックは「幸せ」を装わないと辛いらしい。
私が読んでいて面白いと感じるのはやっぱり、
時事ネタに突っ込みを入れている人かなあ。
後は自慢日記が多い。書いたら「いいね」を押してくれる人がいるからね。
ただ、押す人はたいてい義務でやっている。
以下に述べる気持ちでやっているから、疲れが出ると考えているんだ。
日本にある「返報性」文化
ん〜、ネット初期からやってるけど面倒くさかったり時間が無かったら返さんでもいいっしょ。リア友の場合はそんなんで関係切れないし、ネットで知り合った相手で関係切れちゃうならそこまででいいっしょ。重要な要件だったら返報しないワケ無いし。 https://t.co/UzYAs3wV2x
— メロンパン (@melonpan_s1) 2015, 12月 1
基本、「いいね」を押してもらうと喜ぶ。
だから相手のフェイスブック記事に「いいね」を押す。
しかし、押してくれた人が自分が書いた記事に対し、
何も「いいね」を押さなければ思ってしまう。
ああ、なんで押してくれないんだろう?
一つの疑問が精神的な疲れを生むんだ。
どう? フェイスブックをやってそんな気持ちを感じたことない?
分身は時々あるそうだ。
後、フェイスブックで「いいね」を押してもらったほうは、
同じように「いいね」を押し返さなければ、
相手に「嫌われる」「いいねを押されなくなる」
不安を抱えて疲れる人もいるそうだ。
まあ、フェイスブックだろうが結局問われることは、
人間関係、周りの空気をぶち壊さないことだからね。
日本人には「返報性」と「和」がある。
和は良い雰囲気を壊さない、日本人が持つ昔からの空気ですね。
日本は和歌などを通し、言葉から発する気持ちを察してくれよ。
察する気持ちがポイントだからね。
次に返報性。こちらは「相手がやったことを必ずお返しする」
日本人が持つ「恩返し」の気持ちだ。
童話や昔ばなしでも恩返しを題材にしたものがある。
例:傘地蔵、鶴の恩返しなど
人間、ありがたいことをされたら同じようにありがたいことをしたい。
それをしないやつは冷たいやつとみなされやすい。
実際、されないと「あいつはなんて野郎だ」と思うこともしばしばある。
ただ、行き過ぎると「もういいよ」という気持ちにすらなる。さじ加減が難しいよね。
考えてみたらツイッターも
@megabi0 裏も取らないで記事を書いた時点で記者失格です 朝日も国益を損なったので共犯です 今後名誉回復には莫大な税金が必要になります 損害賠償請求裁判をしない国も共犯では? 国民が最大の被害者ですね
— 加藤繁幸 (@ogaki1959) 2015, 12月 1
ツイッターに「いいね」機能がついているせいか、
いつの間にかフェイスブックのようなことをしている自分。
意見を返さない場合、たいていいいねを押して終わります。
いいねがあって本当にいいね。
西欧は「個」の文化
一方で西欧は和よりも個の文化だ。
個性を尊重するため、別に返報しなくてもよい。
自分の気持ちをまずは優先し、何が何でも相手にありがとうを言わなくちゃ。
別に相手から憎まれても、自分を優先するから憎まれても構わん。
欧米を見ているとそんなところがあるね。
もちろん、個は日本のように空気を察知しないからこそ、
相手を説得させる技術、論理が中心となる。
論理は日本人にとって弱みの一つだから鍛えなければ……
と思うかもしれない。確かにそうだ。鍛えたほうが良い。
鍛えるならこちらの記事を参照してください。
でも感性を鍛えることだって大切だ。
感性を日々研ぎ澄ましているからこそ、日本人は見えないものから発想を得る。
すなわち、想像力がつくんだから。
過去記事:
和歌から暗号のヒントをつかむ
脳の右側で描けに泣いた
無理しないように

日本人はどうしても相手に対する和を重視し、人間関係に敏感になっている。
だから少しばかり鈍感になってもよい。
こっちが「いいね」を押して相手が押さなくても、「まあいっか」で済ませてよいと思うよ。
「こうしなければ……」「ああしなければ……」
と思う気持ちが焦りを生んでストレスをためるのだから。
また、集団でいいねされている人を見ると、
毎日フェイスブックに投稿して、FB中毒に陥っている人が多い。
四六時中フェイスブックの「いいね」やメッセージに対し、
スマホをじっと見つめている人。
バッテリーが足りなくなり、充電器具を購入した人。
悪い事じゃないんだけど、私にはできないなあ。
セミナーを売り込むために「いいね」
フェイスブックには「仕組まれた」いいねも多い。
ある商品やサービスを売りたい。たいていはセミナーだね。
だから集団で仕込みを行う。
ある女性が記事を書く。
すると、ぽっと出なのにものすごい数の「いいね」を押すんだ。
もちろん、その人はサービスを売る。
その人一人が行ったのでなく、裏には大手の会社がいる。
仲間と知られぬよう、シェアされる記事を書く。
たいてい良いことを書いているんだ。
こういう人はたいてい、相手のフェイスブックに「いいね」を押さない。
自分のところに時折コメントは書くけれど、たいてい記事を書いて終わり。
でも「いいね」する人は多いんだ。
「なんでいいねを押してくれないんだ?」
思うかもしれないけれど、
その人はフェイスブックで一人でも多く見てもらうことが目的。
だから気にしなくていいんだよ。背後に会社がある。
会社として商品を売り込みたいがために、
仲間と悟られないようにフェイスブックで「いいね」や「シェア」をする。
そしてお客様を取り入れているのだから。
自分だけの時間を持っている?

フェイスブックをやたら開いている人、
自分で主体的に動く時間を持っています?
例えば勉強して自分の仕事に役立てる。運動して自分の体を管理する。
フェイスブックなどをやめると時間ができます。
開いた時間を自分の勉強のために使うと、結構増えるんだよねえ。
勝負はここにあるんじゃないかと思っているんだ。
はまるのもよい事なんだけど、はまりすぎて時間を取られないように。
マツコ・デラックスさんも苦言

彼女もフェイスブックユーザーに対して述べているね。
「(フェイスブックで行われる交流について)
フェイスブックにつぎ込む神経が分かんないんだよね。
何でそんなストレスを自分から抱え込むんだろう?
私(マツコさん)は極力対人関係を作りたくないのよ。
数が多ければ多いほど、そこにストレスは発生するわけじゃない?
だから最低限の人数で私は生きていたい。友人も仕事仲間も含めて」
人それぞれだから意見は自由。
私も友人と呼べる人は一人か二人程度で、後は思いつかないな。
仕事仲間は数人いるけれど、それで世の中成り立っているし。
他はどこかの共同体やラジオで同じ意識を持つ集まりに参加している。
そこでやり取りしている程度かなあ。
参照:マツコ・デラックスのFacebookユーザーへの指摘が正論
結びに:いいねを入れない私
私のところにもフェイスブックのアイコンはある。
「いいね」でなく「シェア」しか入れていない。
いいねとシェアの違いは何だろう?
いいね:自分が良いと感じたもの。ただそれだけ
シェア:人に伝えたいという気持ちが働く
だからシェアしか載せていない。
私の記事で何か学び、ほかの人にも教えたほうが良い。
と感じたらぜひシェアボタンを押して、伝えてほしいな♪
追記:文体を変えてみた
ということで、「しゃしゃへ」という形で記事を書いてみました。
いつもは思ったことをだだだっと述べるだけなのですが、
しゃしゃ(あなた)と意識して書くことで、何かが変わったような気がします。
「人」を具体的に意識して書いているためか、ものすごく書きやすかった。
