
ピース又吉さん「火花」が芥川賞受賞。
もう一人は羽田圭介さん(29歳)「スクラップ・アンド・ビルド」
おめでとうございます。
受賞できた理由
山田詠美選考委員は又吉さんの作品について、述べています。
「最初の投票で一番高かったのが又吉くんでした。
切実なものが迫ってくる感じ。
欠点も多々あるが、何か強いものを感じた。主人公と先輩、火花散るような関係がよく書けていた。
最後のエピソードを削っても、
私個人は文学作品として成り立つのでは?」
私は素直に嬉しいです。
むしろ、又吉さんが何らかの賞を取らないほうがおかしい。
そう思っていたほどでした。
新・四字熟語を読んだ時に感じたのです。
又吉さんが漢字四文字で熟語を作り、意味を作る。
これ、素直にすごいのですよ。
内容紹介より
鈴虫炒飯:嚙むと鈴虫の鳴き声のように、美しい音が響く炒飯。
幹事横領:信じていた人に裏切られること
自家楽園:ひきこもっているが、そんな日々を本人は楽しんでいること。
熟語を作ること。少なくとも感じに精通していないと出来ません。
漢字に精通するということは、漢文をやっていないと無理です。
ちょっと漢文というか、漢字について補足を。
補足:漢字は表意文字
※ 絵も表意文字の一種だと思う
漢字は表意文字です。
表意文字とは、文字そのものに「意味」があること。
反対は表音文字で、ひらがななどが当てはまります。
例をあげますと、
「学」これは表意文字です。「学」1つで何を意味するか?
「学ぶ」「何かを修得する」といった印象を持ちますね。
漢字一文字から感じる印象を「表意文字」と言います。
一方「う」これは表音文字です。
音だけを意味して、「う」そのものに意味は無いのです。
「くうき」と、他のひらがながくっつくことにより、意味を持ちます。
ただ、「う」単独では意味を成さないのです。
ピース又吉さんの文章力

彼の文章力を知るサイトとしてこちらがあります。
「たしかにお前は大器晩成やけど」
これを呼んでいる限り、上手なのか下手なのか?
よくわかりません。リズムで見ると、「た」の繰り返しが多いな。
もうちょっと変化をつけてもいいかなあ……
自分ならそう思いますね。
又吉さんは芥川龍之介や太宰治などに影響を受け、
目指す人間性や文章もそこに収まっていった。
芥川龍之介といえば、芸術至上主義です。
地獄変という小説において(解説参考はこちら)
芸術こそ命をかけるべきもの。
芸術が一番、子供や友人、生活その他は二番。
芸術に傾倒しすぎた生き方を持っていました。
一方、太宰治といえば私生活がろくでなしと言われています。
ある意味、芥川龍之介の作品に出てくる地獄変の主人公が
あの時代にいたような感じです(言い過ぎか)。
ろくでもない人生を送りながらも、自責の念にかられ、
苦しんだところから生まれる言葉を書くことで、
後世に残る文章を描けたのですね。
又吉さんが二人の影響を受けすぎて、
変な方向に走らないようにしてもらいたいものです。

これは火花のレビューで、星ひとつが5つより多いです。
星1つを見ていくと、いろいろ書いていますね。
又吉さん、芥川賞をとったのは良いのですが、
これからもずっと書き続けるのでしょうか?
受賞してよかったと思う「裏の」理由

新・四字熟語を通し、又吉さんは日本語を学んでいます。
熟語を作り、お笑い芸人の感性を活かして意味を作る。
だからこそ、彼は「お笑い芸人」の視点を持ちながら、
「作家」としての視点も持ち合わせている人。
彼がこういった場所で褒められないのがもったいないと、
勝手に思っていました。
でも、これだけじゃないのです。
たいてい、嬉しいと感じる場合は自分自身も意味しています。
すなわち、自分も芥川賞じゃないけれど、
それに近いもの。抽象的に見ていくと、
多くの人に才能を認められたいと考えている。
自分の願望を又吉さんに重ねあわせているわけです。
他人を褒める=自分が褒められる
(自分はつかさのほうに性格がにて、ぼーっとしている。
嫁と姉はまんまかがみみたいな人、顔じゃなく性格がw)
他人を褒めることは自分が褒められることであり、
他人に嫉妬することは、自分に呪いをかけているのと一緒です。
どういうことか?
一言で言うと、褒める人も嫉妬する人も、
自分と同じ能力や生き方、性格をを持っているわけです。
何かしら、他人と共通するものがある。
ただ、他人を通して自分自身を見つめる機会になり、
それが自分に取って「心から求めているもの」だと嫉妬になりやすい。
嫉妬と褒めるの境目は行動だと思っています。
又吉さん受賞を見て「いらつく」と思ったら嫉妬。
「あ、すげえ、やったじゃん」と思ったら賞賛。
あなたはどっちでしょう?
嫉妬した時の対処法
(沢村は古谷に嫉妬しているかと思ったら……わからん)
嫉妬したら、なるべく気持ちを抑えることです。
じゃないと、自分で自分の足を引っ張ってしまい、
向かうべき道になかなかたどり着けないからです。
私だって感じるときはあります。
「(この人が)もう二度と自分の目の前からいなくなればいい」
そう感じると、ますます嫉妬心は消えません。
消えるにはただひとつしか方法がありません。
自分自身もがんばるのです。
もちろん、頑張る方向はただひとつ。
「自分自身が心から欲している道」です。
自分自身が心から欲する道に対し、
どんなに傷つけられ、絶望を味わっても歩む人と、
引き返してしまう人にわかれます。
どっちの道をとってもいいのです。
ただ、いろんな人に愚痴をこぼす人はたいてい、
引き返した自分に後悔しながら、
茨の道を踏む人に対して妬んでいます。
でも妬んでいるのはその人じゃありません。
「本当は自分もそっちの道に行きたかった」のに……
自分自身にまとわりついている「殻」を破るのが怖く、
結果として逃げてしまった自分です。
情けないと感じれば感じるほど、
他人に対して苛立ちと逆恨み感情が募ります。
だからこそ、必要なのは自分自身が求めている道に対し、
真正面から取り組み、進むことなのです。
一番やりたいのに、やろうとするとつい、つい、
自分で邪魔をしてしまう……そこが最もやりたいものです。
終わりに
何気ないところから自分自身がどう考えているか。
自分は誰に嫉妬しているか、醜いか……色々出てくるものです。
なるべく無視をしないできっちり見据えて行きましょう。
その上で自分のやりたいことに命をかけて行きましょうね。
又吉さん、羽田圭介さん、おめでとうございます。

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