作品の手直しをしているのですが、その時嫌でも感じることがあります。
それが表現がここまで苦しいとは。
なぜそうなったのかというと、百人一首の解説本を買ったからです。
これが古本屋でたまたまあったから買ったのではなく、
作詞の研究、歌の研究を作品の関係からすることになり、
その時にこの本が目に留まったのです。
実際、勉強のやり方は簡単です。まずは当然のことながら音読。
その後文章に実際に書いていく。文法などわからないことは辞書などで調べる。
そして作品鑑賞、キーワード、言葉の意味や背景を書いていく。
後日復習してどこまで言えるか、書けるかを自分でテストする。
これをするかしないかで、どんどん理解度が変わっていきます。
といっても最初のうちは通しでばーっとやってしまうので、復習はしません。
一冊すべて読み終えて、2周目に入ってからみっちりやっていこうかと。
ここらの勉強はほかの教科と同じです。最初は問題を解いて答えを見ながらやっていく。
でもそれじゃあ限界がやってくるので、その後教科書をみっちりやる。
教科書がなかったら練習問題の文章一つ一つを分解し、キーワードはきっちり調べ、
後日問題そのものと答えのたどり着き方、そして問題文に隠れている重要な背景などを言えるようにする。
それができないってことは理解していないってことなので、めちゃくちゃ時間はかかります。
でもこのやり方が自分にとっては今のところ、一番いいやり方です。
ということで、百人一首の勉強をしていて気が付いたことは
当時の人たち、みっちり計算して考えて短歌を作っているなあ。ということ。
日本の旗のように、赤と白のような遠近対比や掛詞、枕言葉によるその言葉がもたらす裏の意味。
そういったものを解説しているので、「ここまで深く考えたほうがいいのか」
という表現者へのすごさと絶望が浮かび上がってきました。
これを読んでから作品の編集をするとさあ大変。
何しろ表現一つ一つの「意味」を考えながらやっていかないといけないのです。
これを書いている時はほとんど自由に任せて書いていますが、
これすらもみっちり編集するとなると、数日は簡単に使います。
ということで、みっちりやりたいがために、今、ワードで編集しています。
ティラノスクリプトで現代文の読み方を書こうとしたのですが、やはりPDFのほうがいいなあと
やっていて気が付きました。
もっとも現代文の解き方というよりは分析の仕方と妄想の仕方について書いていく予定ですが、
それでも仕事を自分で作るというのは大変奈文、気合が乗りますね。
でもこれらって誰のためにやるのでしょう?
実は誰のためでもいいのです、半分は私自身のためです。
私自身がぶれないため、同時に私が弟子をとるときに弟子に教育するため。
そしてもう一つはあなたのため。日本のため。
特に日本のためとなった場合、日本国民をレベル上げするために自分としてできることは何か。
そう考えると、発想が大きくなりますので、ぜひこれでやってみるといいでしょう。
なお、表現で苦しむ場合は自分が偉ぶりたいためにやっていることに気が付きました。
自己満足といいましょうか。そうじゃないよねえと。
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