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エリザベス女王崩御に対するマスコミの言葉と女王の魅力を語る

エリザベス女王

おはよう。英国エリザベス女王が崩御した。
在位70年、第二次大戦からEU離脱と
日本では昭和平成令和の時代を生き抜いた女王だ。

ご冥福をお祈りいたします。

ところでうちのフォロワーが指摘した。

「なぜ女王がお亡くなりになったのに、メディアはどこも”崩御”と書かないのか」

ヤフーニュースを見たら「死去」書いている。

思えば安倍晋三総理が暗殺されたときも、
全てのメディアが言葉をそろえて「死亡」と書いた。

死一つに対して専門の言葉があるのに、
なぜ専門の言葉を遣わず、一般表現を使うのか?

情報工作の一環なのか?
メディアの質が落ちた証拠なのか?

色々気になった。

 

エリザベス女王の生い立ちそして死まで

エリザベス女王は1926年お生まれになった。
1952年父の国王ジョージ6世が崩御し、新たな王として君臨した。

英国の王は「君臨すれども統治せず」だ。
王は直接政治にかかわらない。日本と同じで政治の中心はあくまでも国会だ。

日本でも天皇陛下は総理大臣の任命をはじめ、
来賓対応、膨大な決め事のサイン(=国事行為)が中心だ。

英国王も陛下も暇でなく、国に雇われたサラリーマンとしてお仕事なさっている。
仕事をしている人なら、あまりの激務に心配あるいは尊敬の念を抱くだろう。

話がそれてしまった。

第二次大戦中は英国女子国防軍に属し、軍人としてお仕事をなさった。
47年にフィリップ公と結婚し、3男1女ができた。

イギリス史上最長在位の君主でありながらも、
子供たちをはじめとする王族スキャンダルには頭を悩ませた。

私がエリザベス女王を強く意識した出来事は、
チャイナ習近平主席による英国訪問だ。

ブラックジョーク満載の外交を行い、
英国のえげつなさと面白さ、敵に回す怖さを思い知った。

詳しくはこちらで触れているので、後で読んでほしい。

エリザベス女王が来日した時期は1975年。
来日記念として「エリザベス女王杯」が生まれた。
3歳以上牝馬が最低条件だそうだ。

日本でも陛下とのエピソードがあり、
王室として色々尊敬しあえる関係となった。

最後の仕事はトラス新首相との握手だろう。
まさか握手画像を見てすぐお亡くなりになるとは思わなかった。

参照:英国王室:女王やキャサリン妃はどんな1日を送ってる?

 

エリザベス女王の死因は何か?

エリザベス女王はまだまだ元気なおばあちゃんだと思っていたので、突然の死にびっくりした。

例えるなら作曲家渡辺宙明さんが老衰でなくなったのと同じショックを抱いた。

安倍総理の暗殺と上島竜兵さんの自殺は別の意味で大きなショックを受けたよ。

ゴルバチョフ書記長の逝去について、
私自身ゴルバチョフがどれだけ日本に影響を与え、話題になったのか。
あまり知らなかったので、哀悼の意をささげる程度だった。

現段階で死因は明らかにされていない。
王族の健康状態はプライベートだから、あまり公表されない。

今年2月に新型コロナウイルスに感染したが回復した。

科学者武田邦彦先生は過去、虎ノ門ニュースでおっしゃった。
「老人の死亡はどんな病気があるにしろ、すべて老衰です」

老衰は内蔵機能の低下及び細胞死亡によって、
生命活動を維持しにくくなる状態を示す。

※渡辺宙明さんの死因も老衰。

エリザベス女王の死因も老衰と見ていいだろう。

参照:老衰で亡くなるってどういうこと?加齢による体の変化・兆候

 

英国女王崩御、株価は?

英国株価と崩御

エリザベス女王がなくなったときの株価だ。
経済は経済としてみなければならない。

がくっと落ちているときに発表されたのだろうか?
女王は午後崩御なさった。英国ではこの時間当たりに発表されたのかな。

 

崩御と死亡と死去の違い

国語辞典によると

  • 崩御は天皇・皇后・皇太子レベルの人がお亡くなりになるときに使う。
  • 死亡は一般的及び事務的そして客観的に述べる際、用いる。
  • 死去とは死んでこの世を去る意味で、身内や関係者の死に使う。
  • ついでに逝去(せいきょ)は死ぬの敬語化だ。

言葉の定義を見ると、エリザベス女王に関して崩御を用いるのが一般だ。
崩御が嫌なら逝去が一般的だろう。

多くのメディアが「死去」と書いており、身内あるいは関係者だったのか?

言葉の定義を抑えるとツッコミを入れてしまいたくなる。

ツイッターで「崩御」調べたところ、
テックサイトはきちんと「崩御」表現している。

私が大手メディアに対して厳しい言葉を理由は、彼らは言葉のプロだからだ。

崩御あるいは逝去という言葉を知らなかった場合、メディアとして失格と考えている。

崩御という言葉を知っているにもかかわらず、
死去という単語を選んだ場合、何かしらの情報工作はもちろん、

「俺は女王が嫌いだから、崩御なんて品ある言葉を使いたくないね」
エリザベス女王に対する敬意のなさと敵意を感じる。

あるいは死去の定義から、次の考えも浮かぶ。

「私たちメディアはエリザベス女王の身内です。私たちも位が高いのです」

特に死という言葉について重く考えていないところが一番だと思いたいが、
もしかすると言葉を上手く使って「位の高さ」を表しているのかもしれない。

要は虎の威(女王)を借る狐(メディア)だ。

日本にある英国大使館は「崩御」を使い、鑑定も「崩御」表現しているよ。

ただ官邸の場合は「御崩御」と二重敬語になっていたけど。

参照:エリザベス女王、96歳で崩御(テックサイト)

 

敬意をきちんと抱いているけど…

ちなみに私自身、死亡とか死去という言葉が一般的であるため、
「崩御よりも死亡」という言葉を使ってしまう。

彼女には敬意を抱いているよ。
だけど言葉の使い方について、深く気にしなくてもいいよね。

自分がどんな言葉を述べようとも、他人が何を思っていようが、
自分は敬意を持っているのだから。

気持ちも生じた。ただ「自分が」思っただけであり、
他人が私の言葉を見ると思うだろう。

「あ、こいつ敬意を持ってないな」

時・状況・役職などにおいて、ふさわしい言葉がある。
ふさわしい言葉を使っていないと、心の中では敬意を抱いているとしても、

より多くの知識を持っている他人から見れば、
「あ、こいつ舐めてるな」見られてしまう。

特に言葉及び情報のプロ集団であるメディアが、
崩御という言葉を使っていない場合、狙っているんだろうなと思う。

狙っていなければ、質及び会社レベルの低下でしかない。
あるいは「崩御を遣ってはいけない」ルールでもあるのか?

 

敬語を学べば品格が上がる


言葉は自分が思っている以上に人柄を伝える。

言葉の使い方を上げるだけで、
「こいつなら仕事を頼もう・任せよう」といった、
人付き合いの上でメリットを得る。

表に出てこない部分だからこそ実感できないかもしれないが、
品性・振舞い・言葉の使い方と選び方ひとつで、相手に与える印象が大きく変わる

「言葉の力を上げたいなあ、敬語を使いこなしたいなあ」

思っているなら古文敬語を学ぶといい。
現代の敬語よりも古文の敬語だ。

はっきりと敬意の対象が明らかなのでわかりやすいうえ、
敬語一つで「誰に敬意を表しているのか」が、主語抜きでわかる。

外山滋比古さんによると、敬語は器具に挟む油の役割であり、
なめらかな人間関係を保つために必要と述べていた(はず)。

少しでも未来の自分のためにチャンスを手に入れたいなら、
ぜひ古典の敬語を学んでほしい。

古典敬語は文法本の中に入っているよ。

アマゾン:ステップアップノート30古典文法基礎ドリル

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安倍晋三総理暗殺時の朝刊

「安倍元首相 撃たれ死亡」

安倍総理が暗殺された翌日の朝刊はすべて同じだった。
どこの新聞も例外なく、印象操作を行った。

「暗殺・謀殺」という言葉と「撃たれ死亡」には響きが異なる。

漢字だけだと固い響きがあり、心にも引き締まるものがある一方、
大和言葉「撃たれ」だと、軽い印象を抱いてしまう

海外の新聞では「暗殺」報じており、
日本の新聞が一斉にタイトルを合わせたところに他人事を感じる。

また同じところに「自分たちで考えられない」性格、
「個性を出さず周りに合わせる」護送船団式、

普段は国を批判しておいて、いざという時は国に縋りつく姿など、
タイトル一つから色々見えてしまう。

 

アベガーならぬエリザベスガー

日本では安倍総理暗殺後も相変わらず
「アベガー」さんたちが湧いて反対の声を上げている。

国葬儀に関して賛否はいいのだが、
マスコミ含む反対派の一部は過激になっている。

英国でもやはり「エリザベスガー」さんがたちはいて、

なんだ、向こうにもちゃんといるのか

笑ってしまった。

次は英国での大規模葬儀について反対の声を上げるばかりか、
反対運動を起こすのだろうか?

 

ゴルバチョフ元大統領の逝去

ロシアの歴史においてゴルバチョフという人は有名だが、
具体的に何をしたのかと言われても、すぐに指摘できない。

米ソ冷戦に幕を下ろしたばかりか、ソ連崩壊及び民主化を進めた人物だ。
今ロシア連邦があるのはゴルバチョフ大統領のおかげだ。

私は大統領より書記長のほうがぴったりくるんだけどね。
(めちゃイケでの企画、ブンブンバイクのせい)

現地新聞のコラムによると「ロシアを地獄に落とした人間」であり、
一方でプーチンは「帝政ロシアへの復活と国民生活を豊かにした英雄」評されている。

ロシアメディアは情報統制されているから、額面通りに受け取ってはいけない

ゴルバチョフは英国含む西側の手をつないだ人間であり、
ソ連はスターリンの死からベルリンの壁崩壊、
そしてレーガン政権の作戦を通し、崩壊寸前だった。

メディアでは「悪夢の始まり」されているが、
モスクワ中心部にある労働組合会館「円柱ホール」では、
多数のロシア国民が集まり、彼に敬意を表していたという。

ゴルバチョフさんが王室の人間なら「崩御」がふさわしいだろう。
王室でないから事務的な意味なら「死亡」、
死亡より敬意を表すなら逝去でいいのだろう。

話が飛んだので、エリザベス女王に目を向けたい。

参照:フルシチョフの曾孫が考える「ゴルバチョフの真価」とは?

参照:【解説】ゴルバチョフ氏の死を考える「ロシアに地獄の道を開いた人物」

 

女王と4人の子を持つ母親エリザベスの違い

Vogueによると、エリザベス女王の仕事姿勢は保守的かつ禁欲的と言われている。
くわえて感情を表に出さず、几帳面で馬オタク。

女王としてでなく「母親」エリザベスとしてはどうか?
ELLEの記事によると、幼い子供の日常的な世話は使用人の仕事だった。

母親として子育てに費やす時間は少ないとみられる。
チャールズ皇太子(長男)は乳母や最愛の祖母とは深い間を築けても、
母親との間には深く築けなかったと、ELLEには書いてある。

歴史家のロバート・レイシーによれば、
公務のために子供を外に連れまわすより、乳母に任せた方がいいと考えていた。

エリザベス女王も住み込みの使用人や家庭教師からいろいろ教わった。

彼女は家よりも国に時間を費やした。

後にチャールズ皇太子は両親の育て方を批判したが、
一方で残り3人は「母から色々アドバイスをもらった」語っている。

長男とはあまり親子で費やせられなかったけど、
二人目三人目以降はだんだん「母と子」として費やす時間も増えていった。

子供たちは性的暴行や浮気、わいろといったスキャンダルを取り上げられた
王室の権威が揺らぐ事態も起きたが、何とか威厳を保っている。

何より女王はスキャンダラスな行為をしていない
品性ある人間のお手本だったのだ。

参照:エリザベス女王の驚くべき7つの規律

参照:国民的母親!? イギリスのエリザベス女王はどんなママだったのか

参照:英王室を襲った数々のスキャンダル

 

エリザベス女王の最大功績

https://twitter.com/Mayumii50/status/1567989149952790528

エリザベス女王の功績と書いても、うまく指摘できぬ。
私が思う一番の功績は「イギリスをつぶさなかった」だ。

エリザベス女王がだめんずならぬだうぃーめんず(ダメな女)なら、
英国が今頃どこかの国に乗っ取られてもおかしくないし、
スコットランドなどの独立もされて、領土縮小となっていただろう。

あるいは革命が起きて潰されてもおかしくなかった。

英国は議会にかかわらないとはいえ、王室は最後に砦でもあると考えている。

くわえて王室があるよりないほうが、
政治や外交でもやりやすいと考える他国だってある。

プラス英国の歴史を調べると、かなりのスパイ行為を行っており、
えげつなさで行ったら一級品の国だと捉えている。

いろんな意味で”汚い”国だけど、汚さも国を守り、国益のための行動だった。

エリザベス女王が存命だった時代は数多くの内戦や紛争はもちろん、
相手国の機嫌を取り持つ役柄であり、下手すると英国が大損をこく可能性もある。

微妙なかじ取りをしたうえで、英国の利益をもたらすためにお仕事をなさっていた。

英国を次の王につなげたところが、一番の功績と考えているよ。

 

エリザベス女王が愛される理由

一方でエリザベス女王は文化にもイキイキと染まっていた。

007において女王はボンドと共演したばかりか、
くまのパディントンともお茶会を開き、コミカルに演じてくれた。

たくさんの公務があるなかで、
コミカルな映画や舞台への出演は息抜きになったのではないか?

日本競馬では「エリザベス女王杯」大会まで開かれており、
ノリノリなおばあちゃんと厳格な女王様が同居しており、
ギャップがたまらなく人気を集めたのではないか。

激動の時代、本当にお疲れ様でした。
エリザベス女王のご冥福をお祈りいたします

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。