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中国教科書から魯迅が消された!?本当の理由に心から震える

嘘だろ、魯迅がいない扱いだと

おはよう、しゃしゃ。
最近世界史や日本史を勉強している。世界史は大変だ。幅が広いから。

今日の虎ノ門ニュースに出演した楊海英先生が驚きの発言を行った。

日本では世界史及び現代文で習う魯迅がチャイナでは存在すらないと。

魯迅が消された理由として、
いつの間にか差別用語にされた「支那」を使っているからだと。

うちのフォロワーから別の視点で、
別の視点から魯迅がいないこと扱いにされて心から震えたよ。

 

魯迅とは何者?

初めに魯迅を知らない人もいると思う。
魯迅は現代文の阿Q正伝、狂人日記が有名だと思う。

魯迅は1881年に生まれ、1936年に没している。
1902年に国費留学生として来日し医学を専攻したものの、
同じく西洋哲学や思想にも触れてしまった。

ニヒリズムのニーチェや進化論のダーウィン、
ゴーゴリやチェーホフなどロシア文学
をこよなく愛し、
一部文学の翻訳を携わった。

参照サイトによるとゴーゴリは骨董無形な話を、
ユーモア踏んだんに交えて描いた
作家だ。

もちろん当時のロシアや農奴制についても書いている。

チューホフもゴーゴリと似た部分が多いものの、
読者に対して説教するような内容でない、決めつけない。
解釈はあなた(読者)にゆだねるところが特徴だそうだ。

ユーモアあふれた当時の社会批判は阿Q正伝によく表れてると思う。

参照:20世紀文学界の巨星「ゴーゴリ」。その生涯や代表作のあらすじを紹介

参照:あなたがただちにチェーホフを読まなくてはならない理由

 

阿Q正伝と作家を目指した動機

阿Q正伝は「精神的勝利法」なる言葉を生み出した。
言葉もよくわからない、周りに乗せられて騒ぐ。
最後は訳も分からないまま殺される。

解説サイトによると辛亥革命(清が滅んだ後)が舞台だ。

日露戦争で国力を高めた日本と、
支配に慣れてしまった自国民(主に漢民族)に啓蒙目的で描いた
そうだ。

阿Qみたいな人間にはなるなよ、お前らと。

wikiには日露戦争で自国民が無残な死に方をしてるにもかかわらず、
屈辱を覚えないどころか、好奇心な気持ちで見る自国民に失望を抱いたと。

医学関係者になるより作家として民の心を燃やすべきではないかと。
日本に留学し、日本人に触れたおかげで、燃える思想を抱くようになったんだなあと。

中国に帰ってからは文学者として国民党の体制を批判しながらも、
発作によってお亡くなりになった。

参照:魯迅作『阿Q正伝』ってどんな話?作品の内容を詳しく解説

 

魯迅が消された理由と別の視点

楊海英先生いわく、チャイナの教科書から魯迅が消えた。
魯迅が自国民を「支那人」と書いているからという

魯迅は自国民を示す言葉として「支那人」を用いた。
またチンギスハンの関係なども「日本で習う世界史」と基準に述べていた。

チャイナは歴史を使った膨張主義を行っている。
モンゴルをとった、ウイグルをとった、尖閣を台湾をロシアを……
そのうち東ローマをはじめアメリカも全てが我が国の領土だと。

歴史でもチャイナが全て根底にある。
だからモンゴルなどは「存在しない」と歴史の書き換えを行っていると。

支那という言葉は支那そばという単語があるように、
昔は普通に使われていたが、タイピング候補をはじめ、
支那という言葉が一発で出てこない
んだ。

支那事変(日本側が言う日中戦争)という単語もあるね。

シナがいつの間にか差別語になっていた。
日本共産党の質疑応答が真っ先にヒットしたよ。

「シナ」は、外国人が中国を呼ぶ用語として、それなりの歴史的根拠をもっています。しかし、問題は、それが、戦前・戦中、日本の中国侵略と結びついて、中国にたいする侮蔑(ぶべつ)語として使用されたことであり、中国国民はこの呼称を拒否しています。

引用:https://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990429_faq.html
東京都知事になった石原慎太郎氏が中国を「シナ」と呼んだことについて、「差別的だ」という批判がでました。

石原都知事はほかにも三国人とかいろいろ言ってたなw
石原都政(1999)以降からシナという単語が差別用語として大きく取り上げられたのか。

さて、魯迅が教科書から消えた理由は「シナ」という単語を使っていた。
今チャイナが教えている内容と反するから消えた
と思っていた。

フォロワーからある写真が送られてきた。

 

着物を着る魯迅はヤバイ!?

ろじん

フォロワーが着物を着た魯迅を送ってきた。
色々出典を調べたところ、下記のブログに画像があった。

下記のブログによると、上海に魯迅記念館があり、
先代に留学していた現東北大学医学部の若かりし魯迅の姿
があった。

日本の袴を着用しており、完璧に着こなしていると。
もちろんチャイナには日本の着物を着こなす文化などなかった

魯迅は日本の価値観に染まっており、
当時のチャイナ価値観には染まらず批判をしていた

当時の価値観は現在にもきちんと受け継がれており、
魯迅を出す=現政権の批判につながる
=少なくとも習近平国家主席ら共産党には都合が悪い

考察しており、チンギスハンにもつながるなと思ったよ。

画像元:若冲's here!

画像元2:日本人にとっての魯迅

 

周恩来は靖国を訪れていた

もう一つフォロワーから教えてもらった。
周恩来も日本に留学していた時、着物をこよなく愛していたそうだ。

彼は1917年から19年真で留学していた。
靖国神社にも行って間隙を受けたと書いてある。

参照:靖国神社の大祭に出会い、それを見てはなはだ大きな感慨を催す-周恩来

 

中国の中の大和民族「日本」?

虎ノ門ニュースではもう一つ、チャイナの「民族」について解説していた。

有本さんいわく孫文の時代、民族について一つの発明をした。

大陸にいる多くの民族はすべて「中華民族なんだ」と。
今の共産党ではなく当時の中華政府が述べていた。

理論だと少数はもちろんユーラシア大陸すべての西欧や
中東民族も含めた全てが中華民族なんだと。

下手すると大和民族も中華民族のひとくくりにされると。

すると楊海英(日本に帰化済みなので日本人)先生が「実例ある」と。
93年にウイグル自治区で学術調査し病院にいった。

先生から病気を診てもらったところ、チャイナのカルテには「民族」項目があり、
「大和民族」と記載されていたと。

姉御が「外国人」でなく「中華民族の一つ」にされると。

学術会議の千人計画をはじめ、チャイナって面白く怖い国だねえと。

 

チンギスハンを消せ!

チャイナはなぜチンギスハンを消せとフランス博物館に伝えたのか?

仏西部ナントにある美術館で、
でチンギスハンをテーマにした展示イベントを開こうとしていた。

内モンゴル博物館の協力を得たものの、
共産党側が「モンゴル文化に関する偏った書き換え」と文句をつけ、
チンギスハン、帝国、モンゴルを消せと圧力をかけた。

フランス美術館側は延期を決めたと。

先生はもう一つ、チャイナ関係の論文を出すときは必ずチャイナ側の目が入る。

オックスフォードでは論文を必ず公開するのが原則だけど、
名前は伏せてもいいよと認められている

中国現代史学会ではすでにチャイナの顔をうかがわないと、
自由に研究も学問も発表もできない
と述べていた。

日本学術会議側も日本国内の政治家には勢い良く批判するが、
チャイナに対しては表立って批判しない。

表立って批判したら、貴重な史料を借りられず困るからと。

さらに有本さんはチャイナ側がチベットの歴史書き換え本、
「チベットは何千年前から中国の一部!」世界に対して本を出した。

チャイナ側が出した資料の一部は偽造していると。

すぐにチベット側がボロボロの本だけど、
「中国の言うことはすべてデタラメ」本を出した。

日本の学者はチャイナの豪華本に対して誰一人反論していない。
学術会がすべき仕事をやっていないと嘆いていた。

今後日本の「媚びる姿勢」がどこまで変わるんだろうか。

 

日本学術会議とチャイナの関係から見える今後

虎ノ門ニュースで魯迅が教科書から消えたという情報に驚いている。

最近は学問方面で一つの戦争が起きている。
学術会議のメンバー見直しをはじめ、防衛に関する学術会議の矛盾、
日本の発展に対した役に立たないどころか、阻害につながる提言など……

今まで通用していた一つのビジネスはもちろん、
日本の金で日本を敵視し尖閣などとる気マンマンのチャイナに手を貸す。

大きな矛盾と武を持って圧力をかける存在にひれ伏す姿が現れた。

学術会議の案件ではバズフィードを筆頭として
「そんな事実はない」火消しが色々飛んでいるけど、
一度ついた炎はどんどん燃料投下という形でついていく。

日本の尖閣はもちろん、台湾、アメリカのアンティファ+BLM、
ロシアやインドなどあちこちに隙あらば入る形跡が見つかり、

「チャイナは日本を含むすべての国々を屈服できるのか?」

屏風を広げすぎてるチャイナが目に浮かぶんだ。
チャイナ国内の情報がほとんど入ってこないので、内部はどうなってるのか?

気になってしまうよ。

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雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。