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報知”富川悠太アナ「自分に代えは利かない」”に心が痛んだ

おはよう、しゃしゃ。
報道ステーションの司会、テレビ朝日富川悠太アナウンサーが、
COVID-19(武漢発のコロナウイルス)を患ってしまった。

兆候はあった。38度の熱を2日続けて出し、
いったん36度に戻るとすぐに出社しお仕事をなさった後、
体調に異変をきたして検査の結果、陽性となった。

私は報道ステーションを一切見ていないので、
富川アナがどんな人か全くわからない。

私が気になった部分はスポーツ報知の記事タイトル、
「自分に代えは利かない」という表現
だ。

正直かつまじめに仕事をしている人ほど、
「自分がいなくなったら終わりだ、この会社は回らない」

思っていないだろうか?

 

富川アナ感染に見るテレ朝のむごさ

https://twitter.com/PeachTjapan2/status/1249278422053826562

富川アナがどんな経緯で感染を患ったのかわからない。
テレビ朝日として感染経路を調査してほしいと考えている。

富川アナは金曜日と土曜日に38度の熱を出したものの、
すぐさま平熱に戻って、熱も上がらなかったので仕事をした。

7日の番組でガラガラな声を出し、多くの視聴者が違和感を抱いた。
8.9日は息苦しさを感じながらも番組に出た。

富川アナは二日も高熱を出した状態に対し、周りに黙って仕事をしていたのか?

あるいはすでに一部スタッフには「高熱が出たんだよ~」
言ったけれど「今平熱だから大丈夫だろう」と判断したのか。

どちらにしろ「テレビ朝日、会社として大丈夫か?」思ってしまう。

テレビ朝日といえば前に福田淳一元財務事務次官との話を盗聴した際、

「テレビ朝日は女性記者にセクハラまがいの取材をさせているの?」

テレビ朝日としての倫理性について問われた際、
深夜に突如記者会見を開いて炎上を小さくさせた経緯がある。

最近だとモーニングショーの玉川さんが批判されているね。

 

富川アナ以外も体調不良を訴える

記事を書いてから反日たったころ、富川アナ以外も体調不良を訴え、
全スタッフが自宅待機状態
になった。

なお別のスタッフを招いて番組を行うそうだ。
迷惑をかけないように行った結果が、かえって別の迷惑をかけた

なんともいえないねえ。

 

「自分に代えはきかない」が持つ危機感

富川さんに関する記事を調べたところ、現在は奥さんとお二人のお子さんがいる。

早く治ってほしいね。ところでスポーツ報知の記事タイトルが気になった。

コロナ陽性・富川悠太アナ、「自分に代えは利かない」強すぎた責任感…記者の目
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200413-04130008-sph-ent

富川アナと一緒に仕事をした同僚の視点だ。

自分に代えは利かないという言葉が強く気になった。
まじめで仕事熱心な人ほど、自分がいなくなったときの危機感を抱く。

休んでいられない状況で休んでしまった。
すると会社に大迷惑をかけてしまい、多くの社員が自分に怒りを向ける。

また現在の仕事は自分がいるからこそ回っていると。
自分がいなくなると仕事が回らなくなってしまう。

自分という「歯車」があるからこそ周りの歯車もしっかり回る。
自分がいなくなるとギスギスし、動きを止めてしまう……。

実際はどうか?

富川アナが休んでも代わりはいる。歯車がかけても別の歯車が入り、何とか回る。

自分がいなければ……といいながらも、
実際にいなくても何とか回るが、効率は少し落ちる

じゃあ、自分は勤めている会社にいなくてもよかったのか?
自分という人間は何のために仕事をしているのか?

自分がいなくても歯車が回りだす社会に絶望を抱かないだろうか。

 

いなくても歯車は回る、だからこそ

自分がいなければ歯車が回らない……

確かに「自分のスペア」は他部品で補えるけれど、
効率や思考といった部分は替えがきかない

どうしても効率は落ちるし、ぎこちなさだってある。

例えばラジオ番組で改変期においてメインDJを変えたとする。
やっぱり以前担当していたかたと比べてしまい、

「うーん、(前DJに比べて)ちょっと面白くないなあ」

考えてしまうと「次回も聞く」理由が減ってしまう。
リスナー離れを引き起こしてしまうわけだ。

だけど新しいDJも回をこなしていくうちに、だんだんルールがわかり慣れていき、

「これはこれで面白いな」

新しいDJなりの魅力が出てくる。

「自分がいなければ終わってしまう、回らない」

当人は思ってしまうのだけど世の中は違う。
はじめはぎこちないけれど、だんだんうまく回るのだ。

そう、当人がいなくてもね。だから焦る。

「自分はどう生きたらいいのだろうか」と。

 

私がいなくても世の中は回る、だからこそ

私という人間がいなくても世の中は回る

世の中に社会貢献したいのに迷惑しかかけていないと、
自分をとことん責めて落ち込んでしまう。

自分がいなくてもいいなら、生きる気力もなくなるわあ……

今まで必要とされていると感じていたから生きていたのに、
実は必要とされていなかったんだもの……

もしあなたが上記の心理状態なら、
「必要とされる/されない」という考えを捨ててしまおう

必要とされてもいいし、されなくてもいい。

だからこそ自分として「やりたいこと」に費やせばいい。
自分として「できること」でもいい。

できる×やりたいにくわえて、
自分が第三者として「ほしい」ことにも力を費やす。

全て自分スタートでありゴールだ。

自分がお客なら欲しいもの、ほしい状態。
「ほしいもの」に対し「できること、したいこと」を行う。

自分が第三者として「ほしいこと」は、
自分以外にも「ほしい」と願っている人が最低一人以上はいる。

だから自分及び一人以上に向けて「できること、したいこと」を出していく。

今まで「自分がいなければ仕事も回らない」捉えている人にとって、
私が提唱する生き方は自己否定につながりかねず、
また「ほとんど抱かない考え」であるから、抵抗も強いだろう。

たいていの仕事は交換できる歯車だ。

交換後の歯車は以前使っていた歯車に対し、
効率(トーク力、気配り、仕事作業速度など)は必ず変わる。

だけど新しい歯車も使い続けると、だんだん慣れが生じ、
以前の歯車を使わなくてもいい状態になる。

仕事に対する責任感はある程度重要だけど縛られる必要はない。

 

もっと周りにゆだねてもいいよ

「自分はいなくても世の中、回るんだな……」

まじめに責任感持って仕事に取り組んだ人ほど、
絶望を抱いてしまいがちになるのだけど、
ちょっと考え方を変えれば、価値観も変わる。

例えば「自分がいなくてもなんとかなる。
もうちょっと周りに身をゆだねてもいいんじゃないか?」

周りに甘えていいんじゃないかという他力姿勢だ。

今まで自力で何とかやってきた。

自力度合が強いから「自分じゃなければ……」
強迫観念を持ってしまい、人によっては心が壊れる。

自力観念を緩めて、もっと周りにゆだねてもいい。甘えちゃっていい。

もしゆだねて仕事がなくなれば、今まで勤めていた会社はその程度の器だ。

自分以外に代替品はないと悩みを持つ人は基本、まじめな性格だ。
あなたのまじめな性格は周りがきちんと見ている。

だから周りに身をゆだねてもあなたの信頼は落ちない。
むしろまじめすぎるがゆえに別の方面で迷惑をかけているのだ。

ポイッと捨てる会社ならその程度であり、今後付き合わなければいいだけ。

あなたがいなくても仕事や世の中は回る。

だからこそ「もっと世の中に身をゆだねていいか」と考え、
自分の「したい、できる、第三者としてほしい」ものを追求してほしい

そりゃツイッターを見ると「自己責任度」が強いよ。

現在COVID19で多くの流れも滞っているからこそ、
政府に身をゆだねながら、できることをするだけだからね。

 

日記:自分のできること
っ票

インスタグラムにてイラストを載せています。

また最近は自作ゲームを作っており、近日出す予定です。

私も昔は自分がいなければ世の中は成り立たない、くらいに思っていた。
私だけでなく義兄や友人も同じ状態であり、みんな体を壊した。

結果、自分はいなくても回ると分かった。
これは大きな絶望だよ。自分を否定されているのと一緒だからね。

誰かに認められるために働くのか?

違うんだ。認められなくてもいいや。
自分としてできる、やりたいことをやっていこう。

考えを切り替えるのに1年ほどかかったよ。
人間、そう簡単に考えなど切り替えられない。考えも生活習慣の一部だからね。

「自分はいなくても世の中は回る」絶望は多くの人が味わうと思う。
でもって「じゃあ犯罪を除いて好きなことをすればいいんじゃね?」や、
「自分が求められていることをやればいいんじゃね?」

考えの一つが上記動画だ。ウディタを使ってゲームを作っている。
だれからも求められていないけれど、ゲームサイトに出したところ、
きちんとプレイされているところを見ると、

「自分が知らないだけで、知らない間に誰かは自分を必要としている」

結論に達した。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。