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対心恐怖症(対人恐怖症ではない)を自力で克服するには?

おはよう、しゃしゃ。
ちょっと今の仕事で私は姉にいろいろ攻められた。

姉の威圧に何も言い返せないので、うなずきしかできなかった。
その後、姉と母と妻が女3人で話し合い、妻に言われた。

「あんた、対人恐怖症じゃないの?」

自分はいじめられた経験もあって、人と接するのは確かに怖いが、
自営業で何度か「その手の人たち」と相手をした経験があり、
怖いには怖いが、方向が違う。

すると自分の中にある言葉が浮かんだ。

「人でなく心。対心恐怖症だ」

人も確かに怖い人はいるのだけど、
人よりもより怖い存在が「自分の心」だ。

自分の心に対する恐怖症について書きたい。

 

対心恐怖症の定義

対心恐怖症とは己の心に対する恐怖が大きくて、
やりたいことをやれないうえ、自分を見下し、
より不幸な現実を招く現象だ。

対心恐怖症の中に対人恐怖症を含んでいるが、
私自身は「対人恐怖症と思っていない」ので、対心と対人は区別したい。

対心恐怖症にかかると、やりたいことがあるのに、
「それをやったら、お前の元に不幸な出来事がおきるぞ~」
といったささやきが自分の心から生じ、やることを先延ばしにする。

やりたいことをやろうとしても、他の作業をさきにやって、
何とかやりたいことを「やらないように」時間を潰す。

結果「本当はやりたいことをやりたかったのに、
自分の心に負けて、結局何もできない自分」
に苦しむ。

自分だけが苦しむのではない。
自分の苦しみは周りにも広がり、周りの幸運を吸い取ってしまい、
連鎖反応で周りをも不幸にさせてしまうと自覚する。

お金で言うと、自分が貧乏神になって、
周りについている福の神を追い出し、みんな貧乏神にさせながら、
貧乏神である自分を憎み苦しみ、迷惑をかけたと周りに謝る存在だ。

対心恐怖症を別の側面から見ていくと、酸性雨だ。
窒素化合物が空にあがり、pH7未満の酸性雨を降らせる。

すると湖や川が酸性になり、木々を枯らす羽目になる。
酸性雨の元になる窒素化合物こそ「恐怖に抗えない自分の心」だ。

 

人からの罵倒や指摘はあまり怖くない

私は仕事柄、人から突っ込まれたり批判を受けたりする。
堂々と言われたときは腹が立つけれど、恐怖心はわかぬ。

むしろ自分を責めずに考える。
人から言われた言葉の「意味・タイミング」を。

その言葉は「今後の自分にどんな必要があるのか?」と、
自分に尋ねてみれば、必ず次の展開が浮かぶ。

妻から「対人恐怖症じゃないか」言われたとき、
私は次の展開「人でなく心の恐怖、対心恐怖症だ」閃いた。

対人恐怖症は人から言われると怖すぎて、
正面から向き合い、対峙するのが怖い。

私も怖いところはあるけれど、
堂々と向き合えば早く問題が解決するのを肌で感じているから、
「自分が強くなるチャンス」捉えて、向き合っている。

対心恐怖症も同じ。正面から向き合い克服したほうが、
心も強くなり、自分をいじめる苦しみも減っていくよ。

 

対心恐怖症を克服する戦略

対心恐怖症の克服は2つのやり方を行っている。
どちらも地政学と心理学系の本を参考に対策を練ってみたよ。

 

ハードルを低くして正面突破

例えばテストで100点を取らなければ、自分を見下すと設定し、
実際に0(あるいは99)点を取ってしまった場合、対心恐怖症へ向かいやすい。

「なんで0(あるいは99)点を取ってしまったのか」

自分を責め、見下し、対心恐怖症に陥る。

そこで自分に対して、
「0点でいい、99点でいい」とハードルを下げて自分を認める。

認めたら、何も考えずに正面突破する。
作品なら何も考えずに出す。

失敗や成功を一切考えないで、恥をさらけ出してみる。
すると、必ず次に何をすべきかがわかる。

後は自分の「恥を隠す心、対心恐怖症」につながる心の声を無視し、
どんどん作品を出していけば、心が図太くなり乗り越えているよ。

この戦略は心屋仁之助さんの心理学を元に作ったよ。
こちらの本はハードルを下げてもいいんだよ。
下げてうまくいった事例がここ(心屋)にいるのだから。

実例があるので、ハードルを下げるところに不安を抱いたら、
ぜひ彼が書いた本を読んで、試してほしい。

 

人から対心恐怖症の話を聞く

やっぱりうまくいっている人はもちろん、
自分の中で相談できる師匠みたいな人に話を聞いてみる。

自分に対して喧嘩腰にならない人でなく、
きちんと聞いてくれる人に話を聞いてみる。

すると気づくだろう。彼も「対心恐怖症の側面」を持っていると。
でも乗り越えた。乗り越えた先に楽しい世界があるのを知っているから。

対心恐怖症は「失敗したくない」という苦しみもある。
実際に失敗したら「意味がないじゃないか」自分を責めるが違う。

失敗はすぐさま視点を変えればコンテンツになる。
なぜ失敗したかを分析してレポートにすれば、
読み手の未来につながっていく。

失敗はだめではないし人助けだ。
視点を変えれば対心恐怖症の克服へつながるよ。

 

サラミスライス戦略

ほんわか

サラミスライス戦略は現在のチャイナが尖閣諸島をはじめ、
南シナ海などあちこちの領土や領海を取るために、
今日は一歩前進、また明日は一歩だけ進む……といった感じで、
細かく進みながら、目標を達成するやり方だ。

サラミスライス戦略を知りたければ地政学の本を読もう。

サラミスライス戦略を対心恐怖症にも当てはめる。

例えば対心恐怖症の一つになっている「自分の作品を出す」場合、
今日はイラストだけを載せる。明日はラフ画像だけを載せる。
次の日はシナリオを少し載せる……といった形で、

少しずつ情報を小出しにしながら、
自分の中にある対心恐怖症と向き合ていく。

そしてある日、1番目の正面突破戦略を用いて克服していく。
サラミスライス戦略の弱点は自分いじめをしやすいところだ。

「ほら、これしか進んでいないじゃないか」と、
自分を裁く、いじめる、叱る存在に心をやられる。

その声は焦りであり、焦りに沿って動いてもろくな目に合わないうえ、
豊かさからどんどん離れていくだけなので、無視してかまわぬ。

サラミスライス戦略とこちらの法則を組み合わせると、
少しずつ前に向かって、やりたいことに後ろを向かなくなるよ。

 

正体がわかれば前へ進める

レモン

対人ならぬ心(自分の心)に対する恐怖症と分かると、
苦しみの感情が抜け落ち、前に進む気持ちしか起きぬ。

今苦しんでいるものの本質は「適切な言葉」がわかれば、
「あ、なんだ、そーいうことか」わかり、先へ進める。

本当の苦しみは「言葉」が見つかるまでであり、
発見後に心がすっきり晴れたら、正体とチャンスをつかんだといえる。

私と同じように「人に恐怖心はあるにはあるけれど、
ひきこもるレベルではないが、心に負けて苦しんでしまう」

私は対心恐怖症という言葉がすっと浮かび、
それまであった「心の苦しみ」が一気に取れた。

はあ、長かった。

 

日記:今書いている作品の情報
七夕

インスタグラムにてイラストをあげています。

今回書いた記事のきっかけにもなる出来事として、
自分は自分が出す作品に恥ずかしさを感じるばかりか、
出すのはだめなことだと思っているところがあります。

少しでも完璧にしないとだめだ、少しでも完全にしないとだめだと。

完璧と完全によって、どんどん完成が遠ざかる皮肉。

だからこそ小出しにしていこうと思ったのです。

てきさすおぎん

このイラストは私でなく父親が描いたイラスト。
子供と一緒にお絵かきして、完成したイラストだそうで。

どんな活躍をしているのやら、テキサスおぎん。いいネーミングだ。
画像をあげるってのは、恥ずかしいところもあるけど、
何かよくわからないけれど面白いですね。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。