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この命桜より儚い~佐竹曙山の生き方に見る歴史作品の意義

おはよう、みんな。

私がInstagramで交流している方がいる。
たかつきみほさんという女性漫画家だ。

彼女の描いた作品
「この命桜より儚い(「秋田蘭画」若くして逝った天才達の物語)」
先日最終回を迎えた。

読み終えて歴史作品とは何か?
私なりに気づいたところがあったので書きたい。

 

「この命桜より儚い」のあらすじ

公式サイトから乗っける。

江戸の最も困窮期に、病弱な殿様、佐竹曙山が力ではなく、自らの絵で国を救おうとした、壮絶な人生を、家臣小田野直武と共に描いた、秋田蘭画の悲しい物語。

作品で注目してほしいキャラは

  • 佐竹曙山(主人公)
  • 小田野直武
  • 司馬江漢
  • 平沢(佐竹の優秀な家臣)
  • 八重(ゆう:悪役)

そしてもう一つ。
田沼と松平についても別の視点から見れるという、
日本史を勉強している人が「この命」を読むと驚くはずだ。

デイズネオかインスタグラムを追いかけていけば、
最新話まで読むのに苦労しないだろう。

まだ読んでないなら、ぜひ読んでほしいと考えている。

 

佐竹曙山と小田野直武と秋田蘭画

佐竹曙山の秋田蘭画

佐竹曙山を語る前に彼の秋田蘭画を見ていただこう。
上記絵はwikipediaから引っ張ってきた画像だ。

日本画の具材を用いて西洋画の構図を描くやりかたを秋田蘭画という。

西洋画法のやり方とは陰影や遠近法だ。
上記画像を見ても、奥行きのある構図(道)と正面左の松の木が、
互いに×状態を作っている
ね。

参照サイトにて秋田蘭画の簡単な歴史と秋田蘭画展に関する感想を書いており、
「この命」の登場人物、司馬江漢の絵も乗っているよ。

参照:秋田蘭画@サントリー美術館

 

八重(ゆう)の悪役っぷりとその最期

まず注目していただきたい部分が悪役の女「八重(ゆう)」の悪行と最期だ。

漫画を読んでいて最もゆうに殺意を抱くのは直武を罠にはめたうえ、
直武が切腹を選んでしまうところだろう。

くわえて佐竹を精神的に追い詰めた八重だが、
最期は自ら彼女が佐竹を殺しに来ようとしたところ、
家臣の平沢に救われ、ゆうと直接話し合い……

ゆうの最期について直接描写はないけど、
徳川幕府を裏切った罪として無残な最期を遂げたそうだ。

もちろん八重がなぜ憎い人物(佐竹や読者から見て)人物になってしまったのか?
最後の方できちんと描いている。

彼女の生い立ちを見ると、それまで抱えていた憎さが消えて、
彼女も江戸という時代の波にのまれた女だったとわかる。

もちろんいくらでも違う道はあったのだから、
そうならない道に行けただろうが、自分から断ってしまった。

一つの目的があったから……(詳しくは漫画で)

人生の選択肢と目的によって人は平気で悪になれる。
(もちろん全対象に向けての悪ではない)

ゆうの生き方がまず一つ。

 

天変地異と子供の死

次に私のこころ大きく打った出来事な天変地異だ。
何度か大きな地震及び大噴火が起きた。

加えて佐竹の子も病気で命を落としている。
亡くなった娘を抱えても生きる佐竹(彼も体が弱い)を見ると、
自分の中に何かしらの感動を呼び起こしてしまった。

今も自然災害や病気といった、突発的な出来事に追われる日々だが、
昔の人々も突発的災害に絶望を抱きつつ、考え方を変えて生きていた。

今も昔も人は絶望しつつ、新しい希望を見出している。

自分の生き方と重なる部分があったから、
私は佐竹の絵を描いてしまったのだろう。

 

松平定信に対する見方が変わった

松平定信

そして私が最も価値観を変えた存在が作中内に出てくる松平定信だ。

日本史において松平定信といえば田沼時代の後の寛政の改革だ。
定信を語る前に田沼を語らねばならない。

吉宗による享保の改革によって、都市や農村に変化が生じた。
同じく1732年、全国的な飢饉(享保の飢饉)が発生した。

財政再建を任された田沼意次は経済システムを変えた。
(田沼は吉宗による実力主義で重役に登用された人物)

商人から税をとりつつ、商業振興策をとった。
おかげで町人や役人の生活も米から金銭へと価値を変えた。

百田さんの日本国紀によると、
田沼は今までの時代に穴をあけようと試みた人物と述べている。

田沼時代になって、芸術も発展したと学研日本史の参考書に書いてある。

天明の飢饉が生じ、打ちこわしなども増えて、田沼は失脚させられた

次の時代に入ってきたのが松平定信だ。
田沼時代が金銭での経済中心から松平はコメ中心の経済へ戻そうと試みた。

松平はあらゆる厳しい倹約を行った。
百姓の出稼ぎを制限しつつ、飢饉への備えとして、積極的に倉庫を作った

治安回復の一環として長谷川平蔵に「人足寄場(職業訓練)」を命じた。

そして緩んだ思想を直すために朱子学を徹底し、
庶民に対して出版統制令を出した

統制で佐竹の秋田蘭画も大きな影響を受けてしまう。

漫画や小説の類はほとんど禁止だ。
より田沼がやろうとしていた政策をほとんど禁止した。

田沼がやろうとしていた政策の一環として、
蝦夷やロシアに関する天然資源の調査及び貿易を松平は白紙にした。

おかげで外国に対する情報が疎くなった。

将軍と揉め事起こして松平が失脚した後、
契約の反動が起きて新たな「化政文化」が生まれる。

松平定信に関する大まかな歴史的知識を知ったうえで、
「この桜~」に出てくる松平定信を読めば、また違う見方ができる。

松平定信は洒落本などの書物を統制し、作者には厳しい罰を与えた。
もちろん罰の中には死刑を含んでいる。

そこまでの定信はクリエイターからするとただの悪役だった。

悪役だった理由の一つに、定信が町人及び職場の実態ほかについて、
あまり詳しく知らなかった

定信によって多くの職業が規制を受け、廃業させられた。
無職になった人々は幕府から新しい仕事を強引に任された。

仕事の一部は金山での金発掘だったが、
とても危険な職場であり、多くのものが帰らぬ存在となった。

「この命」では失脚させられた後の松平定信を書いている。

失脚前、改革を行いながら町民や武士、農民の反発を聞いて、
自分のやり方及び気持ちに不信を抱くようになった

失脚後の定信は白河藩に帰り、地元民の声を聞いて気づかされた。

ああ、俺は田沼と競っていたんだ(田沼に劣等感を抱いていた)」

気づき、その後は田沼と比べずに白川藩の発展に尽くしたという。

「この命」を読む前まではクリエイターにとって極悪人の一人だったが、
松平失脚後の展開を見ると、松平に対する考えも変わった。

それまでの知識は学研の日本史参考書と百田さんの日本国紀くらいしかなかった。

ここに歴史漫画の最大価値がある。

参照と画像元:松平定信、吉宗の孫

 

歴史小説や漫画の最大価値「別の側面」

モブ長

歴史漫画や小説、ゲームをやると、特定の人物に対する見方が変わる。
例えば一番有名なのが織田信長だろう。

※上の画像は戦国コレクションというアニメの織田信長。
信長と聞いて真っ先に浮かんだのがモブ長、
次に信長協奏曲、そして信奈、鬼武者の信長……。

画像元:戦国コレクション23話

織田信長を極悪人の立場で描く人もいれば、
実は面白いキャラだった、かわいそうなキャラだった、
この人の部下になりたいと思わせられるキャラだった。

色々な信長が見えてくる。

歴史の史実だけを見ると、信長は既存価値を破壊しつつ、
時には憎く、怖い者なしの魔王だった。

いろんな人がいろんな信長像を描くから、

「信長は必ずしも強いわけではない」

一人の人間に対して別の視点から評価する。

善悪だけで物事を決めるほど世の中は単純でない。

あまりにも単純に物事を見ると、
複雑に物事を見る人物や団体から、掌の上でクルクル転がされる。

少しだけ複雑かつ別の側面から物事を見る。

ノンフィクションの中に会話や演出といった
フィクションを混ぜた歴史作品の価値は、まさに別の視点を得るところと考えている。

 

レビューや記事を書くのも別の視点

歴史に限った話ではない。
私も漫画やアニメ小説などのレビューを時々行う。

最近だとまた時間を設けて書きたい作品がアオアシだ。

アオアシで最も強烈かつ主人公アシト(画像左)の人生に影響を与えたであろう、
阿久津(画像右)に対する見方及びやり方は記事にしておきたいと考える。

漫画を読めば別に語る内容もないんだけど、
語るからこそ自分が持つ視点以外の考え方、

「こういうふうに捉えるのもありだなあ」

単純に物事を見るのでなく、少し複雑な視点で背景を見る。
そこに隠された「意外性」を見つけ、面白さを見出す。

面白さだけではない。読み手の「人生と比較」作業が待っている

気になる小説、映画、ドラマ、漫画、ゲーム他はすべて、
詠み手自身の人生の何かにも引っかかる部分がある。

自分が今抱えている問題について、
誰かが書いた作品内の人物の生き方とつなげ、

「そうか、こういうふうに考えればいいのかも」

自分が抱える問題の解決にも大いに役立つし、

「この問題についてはこういう見方を持った方がいいのか」

新しい気づきを得る。

誰かが作品について感想を述べるとは、彼の生き方や考え方を含んだ、
一つの二次創作となり、読んでいる人の人生にも何かしらのつながりを見つける。

結果、今抱えている問題について気づくか、
問題解決の糸口になるかといったメリットを得る。

だから作るとは尊い行為だ。

その視点だけでは見えない「別の側面」を表に出し、
新たな仕事やチャンスに気づく可能性を見出すのだから。

「この命」はまさに人生の半ばに差し掛かるであろう人たちの、
次々生じる問題について、一つの光を示すと考えている

漫画はインスタかデイズネオでやってるから、
まだ読んでない人は必ず読んでほしい。

リンク:たかつきさんのインスタ

リンク:この命桜より儚い(デイズネオ)

たかつきさん、お疲れ様でした。
次の作品も期待しています。

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ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。