おはよう、しゃしゃ。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、ある大型店で音楽イベントをやっていた。
シンガーソングライターを聞き終えた後、和太鼓に入った。
すると、和太鼓を聞く人の多いこと……。
なぜシンガーソングライターに比べ、和太鼓を聞く人が多いのだろう?
疑問を抱いたので記事を書いて考えていきたい。
雑音の大きさに勝てるか?

※ 当日やっていたシンガーソングライター
シンガーソングライターの歌声はよかった。
ギターを弾きながらノリノリで自分は手をたたき、
首をたてに振ってリズムを出していた。
ただ、周囲の雑音も気になった。
シンガーソングライターが出す雑音でなく、
お店に流れる音楽をはじめ、人々の声も耳に入る。
自分の耳にシンガーソングライターを含む、
様々な音が耳に入ってくるんだ。

シンガーソングライダーの歌声を「最も聞きたい音」とするよ。
最も聞きたい音<それ以外の雑音
こうなると、私の中では歌い手以外の音も気になってしまう。
自分の耳に入る「聞きたい音楽」以外も入ってしまうか。
お客様を足止めする一つの要素だなと思ったよ。
和太鼓だと人の足が止まりやすい

一方で和太鼓だと、胸に太鼓の音が響くばかりか、
周囲の雑音がかき消されるほど大きいので、安心して和太鼓に集中できる。
多くの人も和太鼓を見るために、
シンガーに比べると足止めをする人が多かった。
周りを観察すると、和太鼓に合わせて手をたたく人も多い。
メインは和太鼓、サブに笛で演奏をしていたよ。
和太鼓はギターやピアノのような「様々な音色」を出すものでなく、
ベースのような単純さがあるので、手をたたきやすい。
太鼓はただの雑音でも、人が発狂した声でもない。
リズムがあり、手をたたきたくなる「行動」を伴った音楽だ。
何に使えるだろう?

和太鼓をたたいたから多くの人が足を止めた。
単純な考えでなく、何があったのか、どうして?
「自分の何に応用できるか?」考えると、使えると思うんだ。
シンガーに比べて和太鼓は音が大きい。
周囲の雑音を耳に入らせないほど強い。
自分の生き方において、周囲の雑音とは何だろう?
和太鼓は何に当てはまり、シンガーは何に置き換えられるか?
別なものを自分に当てはめると、
必ず今後を生きるうえで役に立つと思っているよ。
神社での参拝で考えたこと

正月は必ず神社で参拝するよ。
参拝する際、祭壇に向けて私は述べる。
「去年、色々助けてくださりありがとうございます。
今年も色々挑戦しますので、温かく見守っていてください」
神様はお願いする対象というよりは、投資家に近い存在だと考えている。
神様をどう考えるか?
神様に対する考え方も「今後」を生きるうえで大切だと考えている。
神様は人間が「到底考えられない、予想外」を普通に考えるうえ、
「人から見て、どう見てもつながらない出来事」を、
当たり前のようにつなげて、面白い物語を作る。
人にはわからない世界が、神様には「当たり前」として見える。
私たちは見えない世界の存在を当たり前としてとらえつつ、
やりたいことから生じる「自分の弱さ」に逃げず、向き合う。
太鼓と雑音に当てはめると、
- 「雑音」が勝っていると、太鼓に集中できぬ。
- 「太鼓」が勝っていると、太鼓に集中できる。
太鼓=自分のやりたいこと、突き抜けたい課題
雑音=やりたいことから遠ざかる考え、不安、弱さ
置き換えると、人としてどちらに意識を向けるべきか。
しゃしゃはどっちがいい?
今年もよろしくね。
