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差別ツイートを大勢の前でさらす公開処刑の「自由」は怖いな

どうも、しゃしゃ(あなた)。

しゃしゃはツイッターを使っています?
ツイッターの扱い方を考えさせる事件が続いていますねえ。
ブラジルにおいて、反差別を掲げる人が愚かな行為をやったよ。

 

発言者を特定し、目の前でさらす

ぱよぱよちーん事件ブラジル

ツイッターにおいて人種差別内容をつぶやいた人が、
ブラジルの反差別グループCriolaによって自宅を特定され、
近隣の看板を借り上げて大きく掲示しました。

「実生活で自分のネット発言を目撃する」

私だったら虎の門ニュースで時折ツイッターを読まれているため、
差別的内容関係なく、ちょっと恥ずかしいな(笑
(しかも日本語の使い方をコメントで指摘され、赤っ恥)

こんなの実際にされたら恥ずかしい。
だからツイッターも過激で侮蔑丸出しの言動を書かないようにしたらいいね。

ただ、こういう行為をされて「正義」かといわれると、なんか違うんだよねえ。

私は反差別グループ、Criolaが普段からどんなつぶやきを行うのか?
彼らも差別的な発言をしていたら、すぐに貼り付けられるよね?
結果として自分たちも恥をかくんじゃないだろうか?
最も、覚悟しているなら何も言わないけどさ。

 

スマホがあれば特定される

はすみとしこのぱよぱよちーん

ぱよぱよちーん事件において、エフセキュアに勤めていた元社員が述べていました。

「スマホがあれば誰の個人情報だろうが一発でわかる」

スマホだけでなくパソコンだってそう。
パソコンにIPアドレスがあるから、大まかな特定は私たちでもできる。
細かい特定について、何かしらの道具が必要になるでしょう。

ネットは自分を偽ってハンドルネームなどを作り、
つぶやくことができるところが良いんだけど、
反対に一度でも大ごとをやらかすと、徹底的に暴かれる。

自分の情報は漏れると思ってやるべき。
ぱよぱよちーん事件も「まさか」自分が暴かれる側になろうとは……
思ってもいなかっただろうね。

 

自由がもたらす怖さ

自由という言葉について、改めて見直す時期が来ています。
大学受験の教育分野に、個性とわがままについて述べた文章があるんだ。
子供に個性や自由を尊重する教育を促したら、
子供たちがわがままで自由気ままな行動をした。
(上記動画、学級崩壊もその一つ)

すなわち「自由」の意味をはき違えているって。
「自由」とは他からの強制を受けずに、自分の思い通りにできること。
ただ、自由はたいてい後に何かしら残す。それが責任だね。

述べた後に出てくる「現象」から逃げることはできない。

 

そのあと何がおきても逃げられない。
彼らは自分の情報や過去に述べたつぶやきを暴かれた。

何を述べたって自由だ。でも、その後に何がおきたって逃げられない。
ツイートを消したからと言ってネットから逃亡しても、
自分の心の中に「後悔」が必ず残る。

また、世間が彼を見下すようになるだろう。
そういった、自由がもたらした行為を引き受けるまでの流れ。
前後を踏まえて「自由」なんだ。

 

自分は例外

自由の根底にある考えは「自分は例外」だ。
どんな法律も「自分だけは例外だから自由にふるまってよい」
でも自由にふるまった結果、どうなっただろう……

自由にふるまうのは良い事だけど、
振舞った後に何がおきたとしても、決して逃げずに向き合ってね。

逃げても自由がもたらした恐怖は追いつめてくる存在だから。
恐怖は真正面から向き合うことで、責任を受け入れることになるんだよ。
向き合うためにオポノポノを読んでおくとよいよ。

本当の自由は行為を行った後にもたらされる衝撃を、
受け入れたときに出てくるものだからさ。

じゃあ、しゃしゃに良い事が起こりますように。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。