香港の教科書に六四天安門事件が載ってるってのもすごい。香港が必死になるのもわかる。
後、別の記事では香港の「批判的思考」という教育内容にも共産党は大きなメスを入れる。個人的にこれが一番でかい。香港がどんどん弱くなっていく……https://t.co/QU5AvBIdj5 https://t.co/YxTB1tZpBb
— せんけん (@megabi0) August 22, 2020
おはよう、しゃしゃ。
昨日香港に関する一つのニュースがあった。
チャイナ共産党が香港に対して一国二制度を形骸化させてから、
いろんな方面で香港をからめとっている。
絡めとった一つに教育があった。
驚いている。香港で天安門事件を学んでいると。
さてチャイナでは天安門事件をかき消すほか、
香港で行われている「批判的思考」教育も消して、
絶対的な教育を施そうとしている。
共産党の姿勢から教育業界として「批判的思考がどれだけ大切か」がわかるね。
批判的思考の定義
そもそも、
サービス内容ではなく、CM起用タレントで購入判断をしている時点で終わっている。
自分の人生もそうやって他人頼りで、自分の頭で考えないから何やっても中途半端なんだよ。
CMに向ける批判的思考を、少しは自分の人生に向けてみたらどうですか?
— メンタリストDaiGo (@Mentalist_DaiGo) August 16, 2020
批判的思考とは何だろう?
批判的思考について論じたサイトから引用すると、
クリティカルシンキング(critical thinking)は、批判的思考とも呼ばれるものであり、
感情や主観に流されずに物事を判断しようする思考プロセスです。物事について考える際「なぜなのか」「本当に正しいか」といった批判的な問いを行います。
自分の意見に対して「間違っているかもしれない」という批判的な視点を持ち続けることで、
より実践的な意見へと近づけていくことができます。「批判」は必ずしも否定を意味しません。
重要なのは「なぜ」「どうして」「本当なのか」といった疑問を忘れないことです。
定義一つをとっても、チャイナ共産党がいかに嫌がるかがわかる。
自分の感情や目先の変化に惑わない
「なぜ? 本当に正しい?」を問いかける
自分の意見が「間違っているかも」と考える
様々な視点で考えるため、解答を一つにし世論をつくりたい共産党にすると、
それに非効率だし将来を考えたらヤバイんじゃない?
香港では「中学校」から事例として、
市民的不服従についての議論、抗議デモで使われた特定のスローガン、さらに複数の政党名
引用元:https://www.afpbb.com/articles/-/3300419
香港の教科書から「慎重要する」内容削除、批判的思考の教育にメス
今起きている出来事を題材に、
「デモは正しいのか、なぜ起きているのか?」
別角度に焦点を当てるため、共産党側の真の狙いに気づきやすく、
一方で共産党側としては世論操作をやりにくい。
香港は中学校から批判的思考を行う。
私が中学生だった時は議論に関する授業などなかったし、
批判的思考についてもほとんど学ばなかった。
「それ」を知らないと活用できない

人間だれしも「潜在プログラム」が働いている。
あなたが意識しないところで、
「この時間にこれをする、これは嫌だ」といった意思選択を決める仕組みだ。
記事を読んで不快感を示した場合も、
「あなたの潜在意識にあるプログラム」が働いた結果だ。
潜在プログラムは自分で意識して少しずつ変えていくしかない。
最近だと私は「個人」でなく「チーム」を意識している。
チームといっても私は個人事業主であり、社員も少ない。
しかしネットには社員でないが「同じ意思を持った仲間」がいる。
「同じ意思を持った仲間=社員」定義し、私は彼らを使い、彼らも私を使い、
お互い「同じ目標」に向かって進む「目に見えない」チームを考えている。
目に見えないチームという言葉をしっかり入れると、
「目に見えないチーム」を創るために動く。
一方「目に見えないチーム」という言葉すら生まれないと、
そもそもチームを作るという意識すら起きない。
だから「個人だけのため」に動こうとプログラムが働く。
言葉を意識し取り入れていくと、
少しずつ潜在意識も「新しいプログラム」に向かって進む。
「それ」を知らないと「それにそった」行動ができない。
数学を知らないと「条件分岐、解析、未来予測、確率判断」など、
ビジネスでは必ず用いる「やり方」を意識してできなくなる。
「え、未来予測も確率判断もできるよ。別に数学をやってなくてもできるじゃん」
意識して行うところがポイントだ。
無意識ならできるかもしれない……が、いざというときできない。
例えば今書いている記事について、
「ただ思ったことを書く」だけだとアクセス数は伸びない。
「読者はこれが気になりすぎて、必ずここにやってくる」
意識して予測を立てるからこそ、当てられるようになる。
批判的思考をつけるために
香港の教科書から「慎重要する」内容削除、批判的思考の教育にメス 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
.@daitojimari https://t.co/fy5UXDPQWJ— Manami Ichi (@Manaming1) August 21, 2020
チャイナ共産党が嫌がる「批判的思考」について、
どうやれば「批判的思考」ができるのか?
- 現代文と数学を学ぶ
- 片っ端から様々なデータやエピソードを集める
- 自分の考えは正しくもあり間違ってもいる
- 自分の考えを相手に強要しない
- わずかなひらめきを必ずメモする
現代文は評論と小説の両方をやり、
数学は二次関数と確率を重点的に行えばいい。
二次関数も確率も「場合分け」の面倒さを味わう分野だからだ。
続いて批判的思考となるには基本情報が必要だ。
データなり論説なり、ビジネスなら財務諸表なりを出す。
次に「自分の考えは正しくもあり、間違ってもいる」と、
きちんと意識したうえで物事を見ていく。
意識しなければ「自分の考えは正解で当然」となり、
「あいつに従っていれば間違いないから考えなくていい」と、
批判的思考は育たなくなってしまう。
意識すると道具も狙って使いこなせられるし、
意識しないと道具に使われる人生を送る。
続いて批判的思考は「最適解や別の視点」を見つけるのであり、
「唯一の正解」を見つける学問ではない。
自分の意見は「唯一の正解」でなく、
「データ内における最適な回答」であり「若干の間違い」も含んでいる。
だから相手に強要すると嫌われる。相手にも最適解があるからだ。
最後、批判的思考を行うと批判を通り越した、
「あまりにも突拍子ないが、確実に自分らを変える生き方」こと、
ひらめきがふっと降りてくる。
批判的思考を行って頭をすっきりさせると、
ふっとわいてくる言葉やイメージをすぐさま書き留める。
もちろん正解か間違っているかなどわからないし、
そもそも正解、間違い判定がおかしい。
ひらめきをすぐ形へ変えられるよう、
計画を練って行動できるよう訓練しておくといい。
批判的思考からの愛国心
中国が香港の教科書から天安門事件を削除するそうです。Timeが報じています。香港は完全に中国の一都市であると考えるべきですね。
— bellbelo99 (@bellbelo99) August 21, 2020
AFPニュースによると共産党や親中派は香港に対し、
批判的思考を削除して愛国心を植え付けさせたい。
だから批判的思考を目の敵にしているそうだ。
愛国心は日本の教育でもあって一部は危険視している。
愛国教育→過剰な愛国心→戦争へ
一つの論理が出来上がっているからだ。
だからこそ「愛国心一つにも批判的思考」が重要だ。
国を愛する気持ちが最終的に戦争へ向かう。
国を愛するといっても「日本よ、愛してます」という言葉を、
何も考えずにただ言うだけなら、批判の気持ちもわかる。
日本はいろいろあるけど相対的にいい国だ。
悪いところだってある、だけど良いところだってある。
良い-悪いを拾い集めていった結果、
「相対的によいから日本という国が好きだ」
愛国心につながっている。
外資で税金払わないAmazonよりも国内の企業、お店、街の本屋さんで買うのが本当の愛国心ではないでしょうか?https://t.co/T7REhs5HKy
— サイダー(全ての人々に補償と給付を!) (@saida248) August 17, 2020
一方で愛国心は「自然と」生まれる意識なのか?
愛国心教育批判の一つとして、
「わざわざ意識して教えることのほどか?」がある。
批判的思考を行うと、初めにデータを集めねばならぬ。
日本の歴史、続いてたくさんのエピソードだ。
たくさんエピソードを出したうえで、
「じゃあ相対的に日本が好きか? 嫌いか?」と考える。
日本という国が嫌いなら好きだと思う国に行けばいい。
嫌いだから国内にとどまってシステムを変えるという意見もありだけど、
本当に国が嫌いなのか、実は国でなく特定の人や団体が嫌なだけで、
国自体は嫌っていないし、大した思い入れもないのでは?
本質を間違えていないか?
例えば日本が大嫌いだ。安倍自民党が嫌いだ。
しかし安倍自民党のみが嫌いであって、日本はそうでもない。
本質を間違えたまま突き進むと、高確率で自分の生活にも支障が生じる生き方を送る。
共産党や親中派は批判的思考教育を無理やり辞めさせたうえで、
愛国心に基づいた教育を植え付けさせるとAFPニュースにあるが、
愛国心教育と批判的思考は直接つながるのか?
別に批判的思考があろうとも自国の様々なエピソードを紹介したうえで、
相対的判断で愛国心教育を行えるのではないか?
批判的思考教育を辞めさせる「適当な言い訳」として、
愛国心をネタにしているだけではないか?
ライバルの自滅は喜ばしい展開か?
第二次世界大戦で、日本が取った行動は悪であり、核兵器投下は正当な行為であり、米国民主党が作った日本国憲法は絶対に正しく、日本国民は反抗せずにまず反省せよ。
この戦後体制を、民主党の言いつけ通り頑なに守り続け、愛国心のある一般国民を右翼とレッテル貼りして排斥してきたのが朝日新聞だ。
— 弓月恵太 (@ssomurice_round) August 16, 2020
一応日本から見て香港はライバルだ。
ライバルの自滅+弱体化を狙うなら共産党を応援したくなる。
だけど日本にも親中派がいて日本でも批判的思考を辞めさせたい。
批判的思考ををやらせたくないと願うやつらはいるとみている。
文科省に批判的教育の資料があった。
一応学習指導要領にも批判的思考はあるそうだ。
もし香港で批判的思考を辞めさせた結果、
共産党に対する疑問をなくす未来の香港青年が増えた場合、
「これは素晴らしい、ぜひ日本にも取り入れたい」
後退を狙う連中もいると考えたら、
やはり共産党を応援なんて言葉は書けない。
今の日本も様々な試行錯誤の上で成り立っているから。
ライバルの足を引っ張ると自分の足も引っ張られるの意味が分かったよ。
日記:日本史を学びなおしている

インスタにてイラストを上げています。
最近インスタでもいろいろ変化を感じるこの頃。
最近世界史の独学を一区切りつけて、日本史をやっている。
日本史の教材として
- 学研の日本史参考書
- 百田尚樹の日本国紀
- wikiなど特定の人物を調べる
日本史を学ぶと、学校の教科書だけでは習わなかった、
数多くのエピソードや人物に焦点が当たる。
現在日本史は南北朝(室町)をやっており、
足利尊氏と後醍醐天皇のエピソードは心が熱くなる。
百田さんの日本国紀では「なぜこの時代にこんな文化が生まれた」のか、
ちゃんと背景を説明してくれるから、芸術がただの創作活動でなく、
「国の在り方につながる」物語の一環だと気づかされる。
芸術は単に「自分だけの」活動ではなく、
背後には「民を思う気持ち」があるんだってわかった。
はっきり書いてないが「自主的愛国心」が現れている。
だからあいちトリエンナーレの一部展示物は芸術品でなく、
単なる「嫌がらせ」でしかないと分かったんだ。
自分の絵や作品はどうなんだろうと思いながらやっていたよ。
