おはよう、しゃしゃ。
母親から叱られる。父親ではない。
すると「僕の心」には一つの怒りが生じる。
「母親が困ればいい」
子供の気持ちが生じ、脳内でやり返すイメージが浮かぶ。
もちろん実際はやらない。
昨日、身内のいざこざから母と私、妻らでいろいろ盛り上がった。
心理学に関する内容であり、私も母に「こういう気持ちがある」といった。
すると妻と母は大笑いした。
「あんた、まだ子供だね(大笑)」
子供はパクパクご飯を食べていた。
翌日(今日)、改めて母が昨日の話をしだした。
その時私は言った。
「これはマザコンだ」
基本的マザコンの特徴

マザコンはマザーコンプレックスの略で、
子供が母親に固執し、母親から離れられない状態だ。
私が覚えているマザコンエピソードとして、
子供時代に人生ゲームをやっていた。
男の一人にマザコンがおり、
「まま、靴下とって~」と眼鏡をかけた中年おっさんが、
母親にあれこれ命令する絵を思い浮かべた。
マザコンは基本気持ち悪いといわれる。
いつまでも母親が第一にいて、青年以降でも甘えて、
自立できないだらしない男とみなされやすい。
一方でマザコン女という言葉もある。
どちらも母親にあれこれ面倒を診てもらっている状態だ。
マザコンと母思いの違い

母思いとの違いは自立しているかどうかになる。
炊事洗濯掃除そして自分の仕事に関する処理など、
大半において自分でそつなくこなせられる状態のうえで、
母の心配をするなら「母思い」になる。
マザコンにも母親思いがいれば、
母親を道具の一種とみなして特に気にかけていない意味も含まれる。
母思いは「母の安否を気遣う」状態が絶対条件だけど、
マザコンは安否を気遣う子もいれば、特に気づかいもしない子だっている。
大きな見分け方として、母親の安否を気遣えるか?
僕はいつの時代も母親に甘えている

本題。私は自立している人間だと思ったが、
母と時々けんかになったとき、抱いてしまうものだ。
「くそう、母ちゃんが困るようなこと、一つでもしてやりてえ」
幼い気持ちがワーッと先に立つ。
もちろん自分で抑えているけど、まれに暴走するときもある。
一回暴走したら、すぐ冷静になった。
「なんてことをしたんだ、自分は」
もう昔の話だけど、みっともなかった。
脳内で起きている「あいつにやり返す」を実際にやったら、
「なんて馬鹿なことをしたんだ、俺は」と罪悪感を抱く。
母親だけでなく自分あてに届いたクソリプに対しても、
同じ行動をとって罪悪感を抱いた。
脳内では完全勝利しているけど、現実は敗北どころか
「いい年してまだ子供になっているのか、俺は」自分の幼さに苛立ってしまう。
気づくんだ。
「ああ、俺はこの年齢でも母親に認めてもらいたい。
いい年下おっさんなのに母親に受け入れてほしいのか」
そして今日、母に一連の出来事を語ったら笑われた。
私には姉がいて姉には男の子がいる。だから語った。
「たぶん男は一生マザコンというか、
母親に認められたい、受け入れてほしいって気持ちがある。
自分が年齢を重ねようとも、母親に対する幼い気持ちは消えない」
すると母は「なるほど~」と言いながらも、
「でもあんたの考えは子供だわ」と言われた。
何と表現すればよいのだろう。
母親とけんかあるいは叱られた。すると母親に対してのみ「復讐心」を抱く。
とにかく目的は「困らせたい」であり、母親の困っている姿を見れば満足だと。
脳内だけが一人で盛り上がっているのであり、実際にやってしまったら激しく悔やむ。
マザコンについて次の話もしておきたい。
母の知り合いの姉もマザコンだった件

母の知り合いの姉はもう70代後半になる。
彼女は押しつけがましい人であり、
子供はもちろん孫の生活や態度においても、
「あれをしろ、これをしろ」と介入してくる。
もちろん母に対しても介入を働きかけてくる。
何より自分の話ばかりして、母親が話すと話を遮り、
さらに高い声を出して自分の話ばかりしてくる。
彼女は自慢話を好む。
「私の子が~孫が~私が~」と自慢話ばかりしてくる。
母の姉の子は実際優秀なんだけど、
いとこがダメな男に引っかかったり、結婚できてなかったりと、
かっこ悪い部分だって出てきているが、触れると怒る。
- 人の話をろくに聞かない
- 人の生活に介入しまくる
- ひたすら自慢ばかりしてくる
母をはじめ、いとこや子供(孫)ですら業を煮やし、
「もう話しかけてくるな、こっちくんな!」
絶縁状態になっている。
で、昨日母と妻と私が彼女の話題をしたとき、
彼女の「幼い頃」に要因があると分かった。
彼女は一番上であり、当時の生活は戦後すぐもあり、
両親が愛情をもって接する機会は少なかった。
父親は戦地から帰ってきて、家でいつも罪の意識に苦しんでいたという。
一時期酒におぼれたときもあったと。
母は子供(彼女ら)を養わねばならず、朝から晩まで働いていた。
うちの母は戦後5年たって生まれた。
母には話せる友達はもちろん姉もいるから、
色々受け皿があって考え方にも余裕があった。
だから北海道新聞を読んでもまともに受け取らず、
「道新の子の書き方、マジで腹が立つ。おかしいだろ」
現在の私を創るうえで欠かせない批判的思考を持っていた。
母も私も「自分が正解だとは限らない」を持つからこそ、
一時期うつに悩まされていた。
一方彼女は「自分が正解! 間違いはない」人だった。
彼女の生き方は幼い頃の両親を見て、
「生ぬるい生き方では私もこうなってしまう」
学習の結果が一つ。詳しくはわからないし推測でしかないが、
「両親に愛情をもってたっぷり接してくれなかった。
だから私は愛情をたっぷりかけて育てるし話もする。
見てろよ、両親! うらやましいだろ!!」
彼女の親に対する反抗心というのか復讐心というのか、
「見てろよ、私が凄いってことを証明してやる!
その時に詫びても遅いんだからな!」
脳内で勝手に定めた「やり返したい気持ち」があったのではないか?
マザコンとやり返したい気持ち

やり返したい気持ちってのは私もある。
例えばインスタなどで今までよくしてもらったフォロワーが、
ある日急に私のフォローを辞めていた。
腹が立ったし「見てろよお前、俺をきったこと後悔させてやる」
子供心すら抱き、数日間なだめるのに大変だった。
記事として書くと「なんで子供なんだ、こいつ」思うだろう。
第三者としてあなたが私を見ているからだ。
一方自分自身だったらどうか。一例をあげると
- 彼氏に別れようといわれた、親しい人から怒られた。
- 自分の仲間だと思っていた人から冷たい言葉を言われた。
- フォロワーから突然フォローをきられた。
- ファンだったのにツイッターでブロックされた。
ファンだったのにツイッターでブロックされた現象は、
結構当てはまるんじゃないか。
例えば百田尚樹さんがいる。
彼の最近の姿勢にツッコミを入れると次々ブロックされる。
ブロックされた人の中には百田さんのファンであり、
応援している人ですらやられた。
ツイッターではかなり怒っていたし悲しんでいた。
「あなたのファンだったのに、なんでこんな仕打ちを!」
この時に初めて次の気持ちが出てくる。
「百田が困るようなことをどんどんしてやる」
現在一部の人が百田さんのツイッターを画像として載せて、
「こいつの意見、どー思う?」と
かつてファンだった人がアンチに寝返る実例を見ている。
反面、より濃いファンを得ている人を私は知っている。
強いファンと強いアンチ、そして味方→敵をつくるやり方だ。
やり返したい気持ちも元をたどるとマザコン、
「母親に認められたい」気持ちと一緒かなと。
認めてもらわないと動けない……

誰が時代を先取りできるか?
答えとして「認められない」状態で進む人だ。
ただし犯罪は除く、犯罪はやっちゃだめよ。
母に、先生に、あの人に認められてもらいたい……
気持ちであれこれやっても無意味だ。
「認められてから動く」のでなく、
「認められないからこそ動く」のが大切だ。
今認められなくても数年後には認められるかもしれない。
数年後も認められなくてもいい。先に進んだからこそ得られる気づきもある。
他人とあなたは全く違う。だから認めてもらわなくてもいい。
ただ「みんなが否定しても自分は認める」という、
自分が自分を認めて進むのが一番いい。
とはいえ凄く不安だ。
「自分は間違っている」と簡単に思うから。
母親に認められたいという気持ちは、
自分の子供心ばかりか将来への成長にも影響を与える。
ここまで書いて気が付いたよ。
親に認められないからやめる……のでなく、
認められないからこそ、むしろ挑んでみる。
すると親とは違う人生観や経験を得るし、
親の常識を超えた世界に踏み入れられるよ。
子供は親を越えられない。しかし子供は親と違う世界を見れる。
数年後、子供も大人になる。
その時、自分はどんな気持ちでこの記事を読んでいるのだろう……。
