私には義兄(姉の旦那)がいます。
彼は心に病を抱え、就職しても長く持たない。
しかし、再就職はすんなりできるのです。一度や二度ではありません。
私は自営業なので、アルバイト経験しかありません。
中途採用が大変だろうなということしかわからない。
ある人のブログで就職採用に関する記事を読み、
義兄がすんなり再就職できる理由って何だろう?
少しでもしゃしゃ(あなた)の参考になればと思い、記事を書きました。
中身は中途採用できる分析と義兄を通して見えた、心の弱さ克服法です。
義兄を分析
義兄の初就職先がある大型書店でした。
そこで10年ほど店員を勤め、副店長まで昇りつめたのです。
しかし体と心をこじらせてしまい、職を辞めました。
(店長含む上と社員含む下の板挟みに苦しんだのです)
義兄は職を失ったので、
安定するまで実家に住むことになったのです。
義兄、姉、子供と私の家は賑やかになりました。
一緒に住むと、相手の良さ悪さが見えてきます。
義兄は真面目なんだけど、少しばかり人を見下すところがある、
自分より強い人には何も言えず、びくびくする。
弱い者には脅すような態度をとっている。
(後で母曰く、姉は精神的DV被害にかかっていたとのこと)
義兄を家族全員で鍛え直し、少しずつ彼は変わっていきました。
他人を見て自分を振り返ろ
※ 週刊文春の年末にある顔面形相似
義兄を見て思ったことは「他人を通して自分を観ろ」
他人が行った愚かな姿を見て、
しゃしゃ(あなた)が指さして笑うとき、自分を観ていません。
また、他人に文句を言うときも自分は見ていません。
だから罵倒ができるのです。
しかし、時間がたつにつれてある日気づくのです。
「自分も罵倒していた人間と同じことやっているじゃないか」
私が初めて気づいたのはお金関係です。
当時私からお金を借りたまま、返さない先輩がいて腹が立ったのです。
しかし、数年後自分も他人に対し、同じことをしてしまった。
その時「自分も先輩と同じことしているじゃないか」
気づいてしまい、色々アルバイトなどをしてお金を返しました。
今、人を馬鹿にしている分野は時間がたつと、
今度は自分自身が体験する確率が高い。
だからこそ、他人を馬鹿にする前後に自分を振り返る。
今大丈夫でも、未来もずっとしないとは言えません。
人間、時間がたつと考え方も変わります。
年を取れば自分に対する甘さも出てきます。
この甘さに乗っかるか、決別するかが成長のカギを握るのです。
中途採用された理由はまじめすぎたから?
義兄はまじめです。面接中にそこを見抜かれ採用されたのかも?
私は考えております。でも真面目すぎると心に病を抱えます。
そして相手の口車に乗せられやすいのです。
例えば口うるさい上司から
「お前はこことあそことどこがなってないんだ」
叱られたとき、へこむでしょう。
義兄は真面目に考えすぎてしまい、
「自分はそうだからダメなんだ」
劣等感を抱え込んでしまうのです。
(劣等感の行き場が弱い者への八つ当たり…DVへ行く)
相手への印象は良いのですよ。真面目に人を見てくれる。
しかし融通が利かないから扱いにくいし騙されやすい。
特に真面目すぎる人はちょっとでも罪悪感を植え付けられると、
まっすぐ受け取ってしまい、無実の罪を償わなければならない。
結果、騙す人間の腹を肥やすだけになります。
何でもかんでも真面目になるのは若いうちに終わらせるべきで、
年を取ると少しずつずるさを身に着けていくべき。私は考えております。
ずるさって何?
私はよく母親から言われます。
「昔のお前は何でもかんでも真面目に受け取っていた。
今はずるさを覚えて受け流している」
真面目に受け取るってどういうことか?
わかりやすいのは子供です。
子供がまだ1歳前後のお話です。
「(ぬいぐるみの)うーたんが倒れた」
私が言うと、娘は泡食ってうーたんを抱きしめます。
大人なら「倒れた」からと言ってすぐさま抱きしめるのでなく、
「ああ、はいはい」受け流します。
なぜならうーたんは生き物でなくぬいぐるみだから。
しかし子供はそうじゃない。
うーたんは妹のような存在、生きているのです。
これがまじめと狡さの違いです。
真面目は私が冗談で言ったことも「本気」で受け取ります。
ずるさは「一度冷静に周りを見て」から受け取るのです。
大人になると狡さを持たなくてはなりません。
何でもかんでも真面目に受け取るのでなく、
「一度客観視」して周りをよく観てから受け取ること。
危険人物がずるさを鍛える
※ 新聞が今でも生き残っているのはずる賢いから
様々な人と接することは重要です。
しかし、なるべくなら地獄を見せてくれる人と接すること。
昔、私はお仕事の関係で怖い人たちとやり取りをしました。
脅しに関していえばさすがプロと言える人たち。
彼らの意見に納得できない部分があり、私も腹をくくってやり取りしたのです。
(原因は私がある法律を知らないまま使っていたこと。
彼らは私が大ごとになる前に止めてくれたのです)
これを通して気づいたことがこちら。
「相手が誰だろうと所詮、人間と接しているんだな」
この事実を自覚してから、
相手がものすごく権威ある人でも、動じなくなりました。
危険だと感じる人と接することで、
自分の心が鍛えられると考えています。
(危険の中には命だけでなく財産なども含む)
危険と感じる人と接する前に自分に問いかけてほしいのです。
「この人は自分に何を教えてくれるのか?」
特に自分にとって嫌な奴が現れたときは
「こいつは自分のどの部分に弱点があることを教えてくれるのか?
弱点克服のためにどうすればよいのか?」
結局自分の心が強くならない限り、逃げたって無駄なのです。
何しろ逃げた先に似たような人が現れやすいから。
一時期逃げてもよいのです。
義兄のように倒れてその人から逃げるのはあり。
しかし、義兄の心が回復して困難に立ち向かえるようになったとき、
必ず義兄の前に「嫌」な人は表れてくるでしょう。
その時、相手の嫌味を受け流せるようになれば合格。
真面目に受け取ってしまい、再び心に病を抱えたら再修業です。
終わりに
大人になると真面目だけでは足りなくなる。
生き抜くために少しずるさを持ちながら、それでも真面目に生きる。
どんな生き方をしても悔いは残ると思いますが、
日々勉強し、頑張って下さいね。