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長時間アップデートで気づいた信じる者は救われるの本当の意味!

おはよう、しゃしゃ。
ウィンドウズ用パソコンを持つ人は水曜日、
とても待たねばならぬ時期が来る。

ウインドウズアップデートを通し、
「ああ、信じる者は救われるってこういう意味か」と分かった。

 

長時間のウィンドウズアップデート

ウィンドウズアップデートは簡単なものもあれば、
長時間要する大規模なアップデートもある。

私の家は二台パソコンがあり、一台は8GBノートパソコン、
もう一台は32GBのデスクトップパソコンだ。

毎週水曜日になるとウィンドウズはアップデートを行う。
朝6時にパソコンをつけ、最新版大規模アップデートを行った

午前10時になってもあるところで止まる。
そこで右クリックを押してタスクマネージャーを開こうとした。

するとパソコンが固まってしまった。
背景は真っ白、画面はうんともすんとも言わない。

こりゃやばい

そこでパソコンを再起動あるいはシャットダウンをしようと決めた。
シャットダウンに決めて、Ctrl+Alt+Deleteから無理やり、
パソコンをシャットダウンした……。

あ、あれ、シャットダウンにならない

シャットダウンのマークは出るが、
パソコンが真っ暗になって完全に電源が落ちる状態へとならなかった。

やばいやばいやばい

私はスタートボタンを長押しした。無理やりシャットダウンしようと企んだ。
パソコンはいったん落ちる。ふう……10分後。

え、スリープだったの? シャットダウン終わってへん

そんな馬鹿な……ことあるのか。

30分経ってもシャットダウンが終わらないので再びやった。
数分後に立ち上げたとき、やっぱりスリープ状態のままだった。

ぐるぐる回るシャットダウンのお知らせ。
右クリックなどを押しても効果がない。

ここで私は覚悟した。

 

よし、パソコンに任せよう

ソフトをダウンロードしているんだ。こうなったらパソコン君にすべてを任せよう。放置だ放置

結果、午前11時30分後にようやく完全シャットダウンとなった。
朝6時にアップデートが始まり、終わったのが午前11時30分

5時間も費やすとは思わなかった。今まで長くて3時間ほどだったから。

完全シャットダウンしてから数分後に再びパソコンをつけ、
後はすんなりサクサクダウンロードできた。

心配でマイクロソフト公式ツイッターからも返信が届いた

今日起きたウィンドウズ10大規模アップデートにおける、
自分のあたふた具合と通して気づかされたんだ。

ああ、これが信じれば救われるの本当の意味なんだ

救われるという言葉は省いていい。

「信じる」の本質がよくわかった。

 

キリスト教ではない神の定義

信じるものは救われる。
キリスト教でキリストさんが述べた言葉だ。

参照サイトによると、誰を信じるかはイエスを信じるそうだ。

ここで私なりに神の定義をしておこう。

例えば私が今使っているパソコン、友達や部下、道具、器具、
世の中の大いなる流れ……「自分以外の対象」を神と定義する。

ウィンドウズ10大規模アップデートにおいて、パソコン本体も「神」と定義するよ。

神は基本「物事をよくする」ために存在している
同時に私は神をある程度操作できても完全に支配できない

パソコンにおいて、シャットダウンや再起動、
右クリックからタスクマネージャーを選ぶ、
スタートボタン長押しなど「ある程度まで操作」はできる

「今すぐパソコンを止めろ」と口頭で命令しても、
パソコンは「処理に必死」で即停まるわけではない。

「素早くアップデートしろ」といっても、
4時間以上費やすように「すぐ」できるわけではない。

自分の命令通りにパソコン(神)は動いてくれない。
なので「支配」はできないと書いた。

人も同じだ。指令を送ってある程度、人を指導(操作)できる。
ある程度までなら思い通りに動かせられる。

完全に「何時何分までにこういういい方であれをしろ」と、
自分の意のまま相手を操作するまではいかないしできない。

完全に相手を意のまま操る、思い通りにする状態を「支配」と呼び、
ある程度(およそ2割)ならできる状態を「操作」と呼ぶ。

参照:「信じる者は救われる」

 

信じられない理由はスケジュール思考にあり

青人襲来

さて私は焦った。なんで3時間もたっているのにアップデートが終わらないのか。
もしかして壊れたのか。何とかしたい、何とかしなければ……

当時の自分を振り返ると「スケジュール思考」という言葉が当てはまった。

私の中には「何時何分くらいまでに、これをしなければならない」
一つの課題ができており、時間までにやらねばならない。

時間を過ぎると自分にとって「生活習慣が崩された」ため、
「崩した原因(今回だとパソコン)」にいら立ちを募る。

くわえて「ああ、遅れた、やばい」焦りも生まれる。

スケジュール思考から焦りまで
スケジュール思考→スケジュール通りでないと焦る、苛立つ
→強引に解決しようと乗り込む→ややこしい問題が生じる
→大変後やむ(なんてことをしたんだ、自分は)

上記の流れに「信じられない」だけでなく、
「裏切り」や「罪と罰」についても触れている

スケジュール通りでない状態に苛立ち怒りを募り、
強引に解決しようと動く展開までを「信じられない」
と定義。

信じられないを「神様(パソコン)」側から見ると、

はあ、なんでワイの仕事に無理やり邪魔をしてくる?
お前(私)はワイのこと、信じてくれへんのか(悲)

相手の立場から見ると私の行為は「裏切り」にあたる。

強引な解決から、さらに問題がややこしくなって、
「なんであんなことをしたんだ」と悔やむ状態を「罪と罰」と定義する。

 

「私の介入」が「心」を裏切ってきた!

魔王の気分

ウィンドウズ10大規模アップデートのおかげで、
「信じる」の意味に気づかされた。

パソコン君(神)の動きにただ任せ、自分は待つだけ。
余計な介入をせず、終わるまでじっと待つだけ。

スケジュール思考をぶっ壊してでも、
パソコン君の頑張りを邪魔せず、処理が終わるのを待つ。

結果、大規模アップデートが終わって、
「罪と罰+後悔」意識を抱かず「何事もなく」終わる

何事かあっても最後はパソコン君の仕事を邪魔せず見守るから、
ちゃんと仕事を終えて”ほっ”とする。

まさに「救われた」状態だ。

信じるものは救われる。体で理解できた。

自分の中にあるスケジュール思考を優先させて、
余計な介入を行うと「不都合な結果」につながる。

神の対象をパソコンから人間や自分の心など範囲を広げてみよう。

ひかり

例えば「こうなりたい未来」があるのに「現実はならない」状態。

心は「こうなりたい未来」に向かって動いている。

しかし私は「本当にそうなりたい未来に向かっているか?」
ちょっとした出来事に翻弄され「こうじゃだめだ」と勝手に介入、
結果「こうなりたい未来」が遠ざかっていく。

「こうなりたい未来」の部分に「お金」や「パートナー」といった、
自分にとって「欲する目標」を入れてみよう。

いやでも気づくはずだ。

「自分がいかにスケジュール思考に満たされ、
心(神)の仕事へ苛立ちそして怒りを抱き、余計な介入を行って、
”なんでこんな現実になってしまったのか!”悔やむ姿」
を。

 

僕にとっての「信じる」は仏教の考え方だった

スカイプ中継

「信じる者は救われる」という意味について、
仏教方面のサイトを調べたところ、私と全く同じ考えを持っていると分かった。

信じることは、自分のすべてを相手にゆだねること、任せきること。信じたらその先は、何が起ころうとその現実を受け入れること。それが信じるということになるのでしょう。後になってガタガタ言ったり、誰かのせいにする。それじゃあ、信じたことにはならないでしょう。信じる、任せきる。

引用:信じる者は救われるか?

お寺版「信じるものは救われる」において、
信じるの定義と意味が「相手にゆだねる」であると分かり、
仏教の考えを自分は身をもって実感したんだと悟った。

 

心を主体に体と脳は心を支える

水俯瞰

「こうなりたいなあ」という未来に対し、
自分は焦りや不安があっても一切構わず無視を決め込む。

心にとって「これをやりたい」思ったものを、
きちんと実行できるように計画や戦略を立てる。

戦略に沿って後は純粋に動く。悩みや不安があっても無視して心の指令を行う。

「信じる」とは「余計な介入をしない」であり、
余計な介入をしないためには「スケジュール思考」から脱却し、
焦りや怒りに基づく行動を行わない生き方といえる

パソコン一台で「今の自分が置かれている問題」に気づいた。

世の中、特に予想外の出来事は「今の自分が置かれた問題」に、
気づくために起きているんだね。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。