おはよう、しゃしゃ。
今日はビジネスでありクリエイターであり、
これまでの自分の生き方を捨てる話でもある。
世の中の流れ=大きなトレンド
いくらあなたが「何かして目立ちたい」思っても、
世の流れを無視した状態で進むと、余計な力を入れ疲れてしまう。
肩の力を抜いて「なぜか」うまくいく状態を作る。
今日は「世の流れ」に関する話だ。
想像力でなく創造力

最近、私は生き方を変えている。
創造者として今まで「自分が前に出る」生き方だった。
自分が一つのトレンド元となり、世間を連れまわす。
影響力を持つために自分として何をすべきか?
いろいろ試行錯誤したけれど、思う結果を残せなかった。
現在私はあるプロジェクトにかかわっており、
文字起こしという一つの依頼をこなし訂正を受けたとき、
ああ、たとえ自分の書き方があっていても、
ちょっと雑で無駄のある話し言葉に変えていかねばならない。
世の中の大きな流れに沿って生きろというメッセージだ。
自分を前に出すのでなくむしろ姿を消すくらいの生き方だ。
大丈夫、姿を消しても自分は"いる(存在している)"
心屋仁之助さんが言う存在給の習得したから、
自分が姿を消しても存在はすでにある。
前に出て世をけん引する必要などない。
むしろ後ろに下がってけん引する存在を助けてあげればいい
私はクリエイターだ。前に出ないと=目立たないといけない!
ずっと思ってたから目立つためにやるべきことをやった……
はずだったが目立つどころか声を上げても、
多くの人が自分に振り向かなかった。
悔しかった。しかし今は違う。
自分という流れはとても弱く細く見えない糸だけど、
世の中という流れは太く強く関心のある糸だった。
創造力は自分が目立つための考え方でなく、
世の流れを支えてあげられるような力ではないかと捉えた。
世の流れの正体

世の流れの正体は「人」ではない。
例えば安倍晋三総理や現在の天皇陛下ではない。
正体は「統計的8割が抱く、人の想い」だ。
形がないので捉えにくいし空気をつかむ感じだ。
想いをどうやって捉えるのか?
例えば私は「今起きていること」を捉える。
現在だとCOVID-19からの緊急事態宣言による自粛要請。
ゴールデンウイークだから外に出てレジャー施設に行き、
いろいろ遊んでいたいはずなのに……自宅をすすめられる。
自粛要請において「やりたいこと」を行う。
- 今起きている出来事
- 出来事に沿ったうえでやりたいこと
- 出来事を通して生じるピンチ
3つを結びつけると「世の流れ」が言語化できる。
「想い」をきちんと言葉にして捉えるまでが大切だ。
未来予測の基本と需要

ついでに未来予測のやり方もわかった。
- 今起きている出来事
- 出来事に沿ったうえでやりたいこと
- 出来事から生じるピンチ
時間軸を少しずらせば
- 今後起きそうな出来事
- 出来事を通してやりたいこと
- 出来事から生じるピンチ
生じそうな出来事とは事件だ。どんな事件が起きるか?
事件を通して「自分ができること、やりたいこと」が一つ。
「自分や周りに生じてる危機」の察知が二つ。
危機は命を脅かすものほど動かざるを得ない理由となる。
需要の捉え方

自粛要請の話に戻る。自宅でいるからこそ「需要」が生まれる。
私にとって需要とは名詞、動詞、形容詞だ。
- 自粛、待機といった単語(名詞)
- 歩く、走る、とどまるといった動詞
- 赤い、キレイといった形容詞。
「自粛」という大きな流れに対し「やりたいこと」がある。
しかし「何かが邪魔をして、やりたいことができない」でいる。
邪魔するものを取っ払える情報を求めている。
一方で「邪魔を取っ払う情報」は持っているけれど、
「誰が苦しんでいるか、声が聞こえない」ので届けられない。
そこで私の出番。
「邪魔を取っ払いたい」という声と
「邪魔を取っ払えるものを渡したい」声を聞き取り、
双方をつなげて私は両者を支える。
「自分が前に出る」生き方では決してできず、
「自分が後ろに下がる」からこそできる技だ。
前に出る役割は「世の流れ=想い」の仕事。
私の仕事は想いに沿っている状態で、
- ボールを持ちたい人
- ボールを渡したい人
二つを意識し「ボールをもらい、渡す」だけ。
言葉でいうのも難しいが形にするのはもっと難しい

言葉でいうのは簡単に見えるが、どうやって具体的な形にしていくか?
理由(Why)がわかっても手法+計画(How)そして実行(What)がわからず、
現在試行錯誤をこなしているよ。
ただわかっている事実として、自分が前に出るのだけはやめる。
自分が出なく「世の中が」と主語を変えていく。
世の中がどんな流れに沿って進んでいるのか。
そこで自分は後ろから誰々をつなげてあげればいいのか?
今まで「考えなくていい」部分を考えるようになった。
考えない部分は大まかかつ楽しんでやっていたが、
楽しい+考えないでは、次の流れに乗れなくなった。
時代の流れを優先し、時には自分の信念すら曲げる。
自分が大切にしていたものを変える。
クリエイトにおいても「自分が前に出す、表現する」のでなく、
「自分が後ろに下がる、鑑賞者と創作者」の流れをつける。
自分が創作者の場合なら「自分が」でなく「内側にいる神様が」と捉えなおす。
内在神すら置かなくていいかもしれない。
自分はあくまでも中継点であり、つなげたい人同士を結び付ける役割でいい。
存在感がなくても私は存在してる。
前に出なくても私はすでにいる。いるだけで価値がある。
世の流れ=想いを支えてあげられる生き方を私はしたい。
この情報が役に立つ人たたぬ人

現在私がやっている「新しい企画=この記事」にて、
「なんか知らんが言葉を書き留めたくなった」場合は役に立つ。
というのもあなたの中にも似た想いがあり、
「ほら、ここにヒントがある、この言葉を表に出してごらん」と、
あなたの内側が強くささやいているからだ。
反対にこの記事を読んでも特に何も感じなかったら、
今のあなたには役に立たない記事だ。
「今の」あなたには役に立たないのであり、
「未来の」あなたには役に立つ記事かもしれない。
