
おはよう、しゃしゃ。
私は記事を書いており、しゃしゃはここを読んでいる。
私も人さまのブログ記事を読んでいる。
私が書いた記事に対し、読者として「読みたい」内容か?
思ったらそうでない記事が結構あると気づかされた。
読者の中には私もいる
私が書いた記事を後になって読んでみる。
「記事を編集」する意味で読むけれど、
「欲している情報」として読んでいるかというと……違う。
読者(未来の自分)も欲する情報ってどんな時だろう?
基本、グーグルを使って調べるとき、キーワードを入れる。
キーワードを入れたとき、
「調べる狙いは何、最も関心のある情報は何?」
意識しないと「ただ書く」だけが目的の記事ができる。
ただ書くだけを言い換えると、自己満足にほかならぬ。
自己満足の壁をどう乗り越えるか?
自己満足でありながらも、読者の成長へつながる記事。
どうすればよいのだろう。試行錯誤をするうち気が付いた。
疑問は何か?
読者は日々、事件を通して情報を仕入れる。
例えばニュース。遠くで起きている事件を聞いた。
また、急にお腹が痛くなった。
ある芸能人が本を出した。読んで衝撃を受けた……
事件について「解決の糸口」を調べるためにネットを使う。
解決の糸口をつかむ前に「読者は何に疑問を抱いているのか」
つかんでおかないと、自己満足の記事が出来上がる。
私は気になったことや書きたいことを思いつくまま書いていた。
だからこそ、記事を書く前に立ち止まり、
「自分が(加えて読者も)疑問に抱いている部分はどこか」
焦点を当てたうえで記事を書いてみると、ある成果が出る。
例えば読者がどんな言葉でこのブログへやってきたのか。
何に疑問を抱き、どの商品なら解決へ導いてくれそうか。
ある事件に対し、疑問をどれだけ抱けるか?
ふと思ったものはもちろん、予想外の疑問も思い浮かぶか?
疑問解決は「価値」がある。ただ「評価額」がある。
例えばしゃしゃが軽いけがをしたうえ、病気になったとする。
軽いけがと病気、先に直すとしたらどちらだろう?
しゃしゃが先に選んだ方こそ価値が高い。
しゃしゃの周りで事件が起きたとき、関心を抱く順番は何か。
記事について改めて捉え直す時期が来ているなあと感じたよ。
メモを忘れたら伸びないね
私は気づいたことを日々、紙に書いている。
各作業をさぼると、あまたの中で問題を解決せず、
混乱した状態になるよ。
「あんた、何でもかんでもメモを取るんでない。そのくらいもわからないの」
昔、ある場所でアルバイトをしていたとき、
(バイトからまだ1か月もたっていない)
私が何でもかんでもメモを取るので叱られた。
叱られたとき「メモを取ってはいけないのか」
想いながらメモを取らなかった結果、訳が分からなくなっちゃってね……
ある日、先輩に叱られようとも、
何でもかんでも思ったことを紙に書いていったら、
色々気づいて「世の中、面白いな」と思ったよ。
他人が「メモを取るんじゃない」叱っても、メモはきっちり取っておくべきだ。
何しろ、叱る人としゃしゃは「違う」生き物だからね。
(経歴や知識の差という意味で)
