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願いをかなえるために神社参拝が間違っていると実感した件

おはよう、しゃしゃ。
しゃしゃは神社に参拝している? 墓参りもしている?

私は月初めに参拝しているよ。

神社参拝したら「ご利益」がわいてきた

という感じの本を読んで実際に参拝したけれど、実際はご利益も効果もなかった。

「じゃあ、やっても無駄だよね」と。

実は「効果がないしご利益もない」事実こそ神社参拝を行う一番のメリットなんだ。

 

ご利益のない神社に参拝する本当の意味

私は神社に参拝するとき、お金を出してただ頭を下げている。

つぶやく言葉として、

今日もいい日ですね。遊びに来ましたよ。じゃあまた来ます

神社で「〇〇をかなえてください」や「〇〇がかないますように」と、
お願いは決してしないしする気もない。

神社に参拝してもご利益がないと分かっているからだ。

神社は「自分のだれにも言えない話を聞いてくれる場所」であり、
神社は何も語ってくれるわけではない。

語ってくれる場でないからこそいいのだ。人の夢をかなえてくれる場でもない。

願いとは反対の現実を提供し、より厳しい立場に置かれるときもある。

神社が願いをかなえる場所でなく、
誰にも共感してもらえないしわかってもらえない辛さや悩みを、
淡々と聞き流してくれる場だからだ。

 

何ももたらさないコンサルタントにお金を払う自分

私は最近、かなり無駄な方面にお金を使っている。
一つがコンサルタントにお金を払う時だ。

コンサルタントは私の悩みを解決してくれない。
私も悩みを解決しようと思って、彼にお金を払っているのではない。

周りに言っても理解できない意見や宣言を、コンサルタントは黙って聞いてくれる

私はお金を払って、ただ自分の話をするだけだ。
コンサルタントからは特に価値をもらっていない。

しかし彼には「ある特定の話を聞くにふさわしい」と考えているから、
私は喜んでお金を払い、ただ聞いてもらう。

結果、ふと何かに気づいて新しい行動をとる。
コンサルタントは私の悩みを解決しないし、私もよしと捉えている。

ただ自分で勝手にしゃべっているうち、
「あ、こうすればいいか」と気づかされるだけ。

なぜ価値のない存在にお金を払うのか。

 

最強のコンサルタントは自分自身の中にいる

初恋

しゃしゃにとって最強の神様は外側にいるのではない。

自分自身の内側=丹田に存在しているのだ。

私は神社やコンサルタントにお金を払い、
「自分自身の内側」の言葉を表へ吐き出すために語っている。

私の勝手な思い込みだけどキリストやイスラムにおける神は、
どうも「外側にいる絶対的存在」として捉えているように見える。

自分にとっての神様は「己の丹田」に存在しており、
適切な言語を用いて語ってくるのではない

ただ「じんわり」と丹田が温かくなるだけだ。
丹田が温かい=神がしゃしゃに意見を出しているだ。

自分自身だと丹田の言葉を引き出しにくい。
だから「相応の存在」と話を通して丹田の言葉を引きずり出す。

神社やコンサルタントといった存在は「言語翻訳ソフト」であり「受信領域」だ。

神社の本質をつかむと願い事をかなえるという言葉が、
私にとっては「神社に依存」しているだけであり、
「自立していないよなあ」思ってしまう。

自立していると実感するからこそ、
私はご利益のなさそうな墓場でも先祖を通して対話するし、
神社でもただ自分の話を語って頭を下げる。

 

神社にご利益なんてあるわけがない、だからこそ

じんじゃのいぬ

神社のご利益を期待する人は「形あるもの」を求める。
お金、理想の相手、仕事、健康その他……形あるものを求めると、神社に縛られる。

縛られるとは自ら依存に走るのであり、生きる権利を神社に奪われるのと同じだ。

神社にはご利益なんてない。
ただ話を聞いてもらう場所であり、だからこそ価値がある

有名な神社もいいけれどさびれた神社でも意味がある。

ご利益なんて全くないからこそ安全に参拝できるし、
変なストレスも生まれないと強く考えているよ。

 

願いが「その場」で叶った「後」

ままと怪物

参拝から翌日、ふと思ったんだ。

ある歌手が神社で「将来は武道館、さいたまアリーナ」
願った瞬間、さいたまアリーナにいる。

マイクがあり歌わなければいけない。目の前には数多くのファンがいる。
とてつもない緊張感に耐えられるよう、うまく歌わねばならぬ。

願いをかなえるために神社に行く。かなった「瞬間」は気分が最高潮になる。

かなった「後の現実」についてはほとんど考えない
かなった後の現実とは実際の行動だ。

例えば歌手なら今、目の前にたくさんのファンがいると想定する。
ファンを想定し、そこで力強く歌う。

音程をはずさず力強く歌うには、見合うだけの力が必要だ。
力とは技術はもちろん場をこなして鍛えられた心などだ。

「いきなりかなって」しまうと場をこなしていない心はパニックを起こす。
相手を感動させる実力もなければしらけてしまう

場をこなすとは数多くの体験(失敗前提)をこなす意味であり、
反省を通して次へつなげていく。

そう考えると願いを叶えたいという気持ちは、
相応の実力がないとワンランク上に上がれないなと思ったよ。

普段から「かなった状態でシミュレーション」を行うと、
かなってもビビらないし「まさかの出来事」にも何とか対応できる。

「なるほどなあ」思ったら取り入れてね。

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Writer軽い自己紹介

ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。

プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。

 

雷が苦手で、光を見ると頭が固まる(元から固い)。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。

 

■ 簡単な自分史 ■

0歳:釧路のある病院で生まれる。暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい

 

3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる

 

8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。

 

12歳:学校で給食委員長になる。委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。

 

18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている(妻となる人にははっきり言えてよかった)

 

21歳:大学在学中、アルバイトを始める。人手不足かつとても忙しい日々を過ごしながら「どうせなら自分から楽しいことをしていきたいなあ⇒起業って選択肢があるのか」働き方の選択肢を見つける

 

27歳:自分で作った会社がうまくいかず、一度たたんで都落ち。実家でとことん自分を責める日が続く。「何をやっても駄目だな、お前は」など。自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。寝るのも怖かった日々。

 

28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。

 

29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。

 

35歳:人生初の交通事故(物損)に出会う。冬道の運転で車を上下に大回転(スピンではない)を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。

自分の生き方はすべて自分が握っている。わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。