おはよう、しゃしゃ。
ブログを読み返していたら、あまり日記を書いていなかった。
日記はほとんどnoteに記しており書く必要もないと考えていた。
先日noteである有料物を販売した。
有料物を販売する際、自分の中にものすごく葛藤があったのだけど、
ある意識を抱いた結果、葛藤が消えてしまった。
一端休息した後、再び葛藤が現れたのだけど……
ある意識を抱いた結果、集中してゴールへたどり着けたよ。
久しぶりに日記こと「集中力を出す」ための方法を見ていきたい。
集中力とは相手のメリットを考え続ける行為
はじめに「なぜ集中しなければならないのか」だ。
集中しなければならない意味ってどこにあるのだろう?
昨日、noteで有料物を販売する際、
販売するためのセールス文章を書いていた時、
「この情報は相手の成長につながる」
意識しながら書いていくと、たどたどしい文章になりながらもかけた。
相手の成長につながる、相手のメリットになる。
意識しないと「自分のため」になってしまい、
「自分のためって結局、どーでもいいよね」考え、
記事を書くという行為をやめてしまう。
今、しゃしゃは集中力を上げるために何をしたらいいか?
どうしたら集中力が高まるのかが気になり、
私が描いている記事を読んでいると思っている。
だから集中力を出すためにあれこれするのでなく、
「今自分がしていることはお客様、読者にとってメリットとなる」
メリットの種類はわからなくてもいい。
読者が読んで「これがよかった(メリットだ)」勝手に拾ってくれるからだ。
勉強でも仕事でも「相手のメリット」を意識せよ

勉強は自分の未来のためにやるが同時に相手のためにもなる。
例えば私が描いている過去記事に理科系の知識があるから、
周りよりも一段階深い視点から情報をかけた。
私の欠点は「中途半端」だ。
専門家でない中途半端だから、専門的な情報を提供できぬ。
一方で専門家はたくさん知識を持っているにもかかわらず、
読者にとって欲する基本情報をおざなりにしたまま伝える。
専門家だからわかりやすく説明するのではない。
むしろ専門家だからこそ、基本単語の説明もないまま記事を書く。
専門家からすると「それくらいわかって当たり前」で話を進め、
読者からすると「この単語の意味わからない、何を言っているの?」
疑問を挟んでしまい、文章をだんだん読まなくなる。
そこで私の中途半端が生きてくる。
中途半端に知識をつかんでいるからこそ、
私にとって当たり前なん単語でも「わからない人がいる」前提で、
簡単に言葉の解説を行い、話を進めている。
中途半端な知識は勉強を通して培う。
自分のためでもあり「読者のメリット」にもつながるから学ぶ。
しゃしゃが受験勉強でどこかの高校や大学に挑むとき、
集中力がどーしても出ないと嘆いているなら、
どれがメリットかはわからない。わからなくていい。
相手のメリットのためにやる。
すると勉強は自分のためだけでなく相手のためにもなる。
相手がわからない情報をしゃしゃがわかりやすく伝え、
「なるほど、あなたの説明はわかりやすい、あなたから商品を買うよ」
しゃしゃが必死に学んだ知識が将来、顧客に何かを伝えるとき役に立つのだ。
相手のメリットを必死に考えよ

集中力をつけるなら相手のメリットを必死に考えよう。
商品を売り込む場合はもちろん、何かを進める場合、
記事を書く場合、経理か技術の仕事を行う場合……
受験勉強も含んで「これをすることが相手のメリットになる」
メリットは現時点でわからなくてもいい。
現在わからなくても将来ふっと気づくから。
念仏のように「相手のメリットになるんだ」
心がけながら頭を必死に働かせてメリットの種類を考えてみよう。
メリットは気づくのでなく創るものだ。
創るのだからわからなくていい。作ればいいのだ。
受験勉強一つをとっても、メリットを作ってみる。
例えば物事を深く分析し仮説を立てて検証した結果、面白いデータを得る。
面白いデータを顧客に提供すれば、顧客はそこから仮説を立てて検証する。
結果、顧客にとってメリットへつながる
メリットはわからなくてもいい。創ればいいのだから。
創らなくても気づけばいい、気づけなかったら作ればいい。
上記数学のメリットなんて創作だ。
創ってしまえば数学を学ぶ価値が生じる。
同時に自分の勉強が第三者のためにもなるので、学ぶ意味も生まれる。
どーしてもメリットを感じないならやらなくてもいい。
自分にとって「やるメリット」を最も感じる分野に集中し、
「お客様へのメリットになるんだ」意識を持てばいい。
長所こそお客様に与えるメリットがあり、集中力も出るからね。
ということをこちらを書いたときに気づいたよ。
大きな成功もあれば失敗にも気づいた。
一つの失敗をもとに次へつなげていきたい。
